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国連科学委員会2020/2021報告と被曝リスクなど

いろいろあって、東電原発事故に伴う被曝影響(発癌リスク)について書かなくちゃならないなと考えました。この問題は科学的には既に決着していますから、今さらのかたも多いと思います。でも、意外に知られておらず、それが風評や無用な不安を生んでいるようにも感じます。

国連科学委員会(UNSCEAR)は2013年に報告書( https://www.unscear.org/unscear/en/publications/2013_1.html )を出して以降、白書を三度出し( https://www.unscear.org/unscear/jp/areas-of-work/fukushima.html )、さらに2022年には「2020/2021年報告書」( https://www.unscear.org/unscear/en/publications/2020_2021_2.html )を出版しました。これが現時点での科学的コンセンサスの決定版と考えていいでしょう。ところがとても重要な内容が書かれたこの最新報告書はほとんどマスメディアに取り上げられませんでした。不安を煽ることで商売を成り立たせているマスメディアにとって、安心情報にはニュースバリューがないのでしょうか。しかし、福島に暮らす人たちにとっては重要な情報だと思います。国連科学委員会報告書はもっと広く知られるべきです。

以下ではまずこの2020/2021報告書を中心に書きます。なお、報告書が出てすぐにシノドスに明石眞言さんのインタビュー(インタビュアーは服部美咲さん)が掲載されました( https://synodos.jp/fukushima-report/28158/ )。これもぜひお読みください。これで納得されたら、以下の僕の文章は読まなくてもいいです。

最初に注意しておきたいのですが、この報告書が扱っているのはあくまでも被曝量推定とそれによる健康リスク評価です。政策評価や責任問題などは一切扱われていません。この報告書に政治的意図を読み取るのは避けるべきです。現在の科学的なコンセンサスはどういうものかを知ってください。原発事故の責任問題と現状での被曝リスクとは分けて考えるべきです。

最新報告書は2013年報告書を前提としているので、ちゃんと読もうとするとこれ単独では完全ではありません。2013年報告書との最大の違いは、データが増えたことによって被曝線量推定値がより確かになったことです。2013では不確実性を考慮して高めに見積られていたさまざまな被曝線量がより確かかつ低めの被曝線量に訂正されました。ただし、生涯被曝線量予測のようにむしろ増えたものもあります。

それらを踏まえて書かれた報告書の簡単な概要は「UNSCEAR 2020/2021年報告書におけるファクトシート」( https://www.unscear.org/unscear/jp/areas-of-work/fukushima.html )に掲載されています。ただ、日本語版で「委員会の結論としては、改訂された推定線量は、放射線に関連した健康影響が検出される可能性は低いというものでした。」とまとめられている部分、原文(英語版)では "The Committee’s conclusion is that its revised estimates of dose are such that future radiation-associated health effects are unlikely to be detectable." となっていて、日本語訳も間違いではないとはいえ、人々に与えるニュアンスとしては適切でない気がします。「健康影響は検出されそうにありません」くらいではないでしょうか。そう言ったところに少し注意していただきつつ、ファクトシートだけで十分な方はそれでかまいません。

さて、「2020/2021年報告書」の健康影響に関する結論要約は日本語版P97から始まる全体要約のqとrからです。

(q)福島県の住民における健康への悪影響について、福島第一原発事故による放射線被ばくに直接に帰因すると文書に記述されたものはない。本委員会の改訂線量推定値から、放射線が関連した将来の健康影響が更に識別できそうにない程度である(原文は "The Committee’s revised estimates of dose are such that future radiation-associated health effects are unlikely to be discernible.")。本委員会は、利用可能なエビデンスを比較衡量した上で、被ばくした小児において検出される甲状腺がんの症例数の予測に対する大幅な増加は、放射線被ばくの結果ではないと考えている。むしろ、それらは、超高感度の検診手技が、人口集団において以前は認識されていなかった甲状腺異常の有病症例を明らかにした結果である。(以下は作業者についてなので略)

(r)福島第一原発事故のような事象の結果としての放射線被ばく後の高感度の超音波甲状腺検
診の広範な利用と結果を解釈する際には、注意が必要である。高感度の超音波検診が、臨床症状が発現した後に検出されるであろう症例よりもずっと多くの甲状腺異常やがんの症例を検出するという有力なエビデンスがある。結果として生じる甲状腺がんの過剰診断は、その多くが結果として臨床症状を呈さず、診断された人々のうちに不安を起こす可能性や、不必要な治療に繋がる可能性を有し、特に甲状腺線量が比較的低い場合には、その有害影響は放射線被ばくそのものの有害影響を上回る可能性がある。(以下、対照群などの話なので略)

「福島第一原発事故による放射線被ばくに直接に帰因すると文書に記述されたものはない。本委員会の改訂線量推定値から、放射線が関連した将来の健康影響が更に識別できそうにない程度である」というのは、普通の言葉でいえば、健康影響はこれまで見られていないし将来にわたって見られるとは考え難いということです。

ここで「識別できそうにない」という言葉に引っかかりを覚えるかたもおられるかもしれません。報告書によるとこれは「現在利用できる方法では放射線照射による将来の疾病統計での発生率上昇を実証できるとは予想されない(すなわち、寄与リスクがベースラインリスクレベルに比べて小さすぎて検出可能とならない)」ことを意味します。「リスクがない」とは明言していませんし、実際、リスクがないと言っているわけではないのだと書かれています。科学的に健康影響リスクが厳密にゼロと言えるわけではありませんから、科学的な報告書としてこのような表現になります。ここで、低線量被曝での健康影響とは発癌だけであることを思いだしましょう。放射線被曝が多ければ(概ね被曝量100mSv以上)癌のリスクが増えることは確実に分かっています。しかし、逆に極低線量でそれがゼロになるかは分かっておらず、厳密にゼロではない可能性はあります。

放射線被曝で癌になるのは、放射線が細胞内の水分子に当たって活性酸素種を生成し、それがDNAを切断するからです。しかし、活性酸素種によるDNA切断はほかの様々な原因で細胞内で膨大に生じており、そのほとんど全てはDNA修復機構によって修復されてしまいます。修復し切れなくても、細胞死のメカニズムによって細胞ごと排除されます。それでもたまたま残ってしまったDNA損傷が、たまたま癌の原因になることがあります(残ったDNA損傷が必ず癌を引き起こすわけではありません)。この仕組みは放射線被曝が原因でも同じです。壊れたDNAのほとんどは修復されるし、仮にたまたま癌になったとして、放射線被曝が原因かどうかは個々の癌を見てもわかりません。だから、できるのは疫学的調査だけだし、わかるのは集団全体として癌が増えたかどうかだけです。したがって、増えたことを疫学的に検出できるかが問題になります。「識別できそうにない」とは、その意味で「増えそうにない」ということです。疫学的に検知できなくても増えているのではないかという質問は不可知論です。その答は誰にもわかりません。疫学的に検知できない程度のリスクの有無を議論したり心配したりするのは意味がないと僕は考えます。これからきちんと書きますが、はっきりしているのは、今の福島程度の低線量被曝では癌の少なくとも殆ど(おそらく全て)は放射線と無関係だということです。

2013年報告によると、UNSCEARが使っているリスクモデルは以下のようなものです。

「日本の一般住民における固形がんのベースライン生涯リスク(すなわち、事故に起因する放射線被ばくがない場合の固形がんの生涯リスク)は通常、約35%だが、性別、生活様式や他の要因によ って個人ごとに異なる。事前に本委員会は、典型的な日本の住民が全身吸収線量100mGyを急性被ばくしたと仮定した場合、固形がんの生涯リスクが約1.3%高まると推定していた(すなわち36.3/35 = 1.04の相対リスク)」

35%という数字の出どころが今ひとつわからないのですが(国立がん研究センターの統計では、ほぼ二人にひとりが生涯に癌を経験します)、とにかく100mSv(原文はGyですが、ほぼSvです)につきリスクが1%強高まるわけです。ICRPとは少し違うリスクモデルのようですが(ICRPは癌による死亡リスクを考え、100mSvにつきリスクが0.5%増えるというモデルを使います)、被曝量に比例してリスクが増えるという考え方は同じです。急性被曝を仮定していることから、元データは同じ原爆被爆者調査だろうと思います。この比例関係が急性でない被曝まで含めて累積被曝量0シーベルトまで成り立つと仮定するのがLNT(閾値なし線形)仮説です。ICRPはLNT仮説を防護計画策定のために使いはするものの、 被曝量からの事後リスク評価に使うのは適切でないとしています。極低線量の緩やかな被曝ではそもそもリスクが増えるかどうかすら明らかでないからです。UNSCEARも100mSv以下については留保していて、100mSv以下では仮に癌の増加があるとしても疫学的に検知できないと考えているようです。ICRPの放射線防護でも目安は累積100mSvなので、コンセンサスとしてはこんなところです。

すると問題になるのは被曝線量評価です。UNSCEAR2020/2021年報告では、福島に住んでいた人々の中で最初の一年間の追加被曝量が10mSvに達する人は殆どいないと推定されています。生涯追加被曝量が50mSvに達する人も殆どいません。その推定から、癌は増えないだろうという結論になるわけです。

UNSCEAR2020/2021年報告書の癌リスクに関する部分はこんな感じです。(r)に書かれた甲状腺癌過剰診断については、別に長い文書を公開しているので、ここでは書きません。ぜひそちらをお読みください。

ここまではUNSCEARの報告書を中心に書いてきました。ここからはUNSCEARを離れて、現在の被曝量について考えてみます。福島県内各地の空間線量率データは福島県が公表しています( https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/ps-kukan-monitoring.html )。代表的な値は福島市0.11μSv/h、郡山市0.07μSv/h、いわき市(平)0.06μSv/hといったところです。615地点の細かいデータも毎日更新されているので、ぜひご覧ください。大熊町や浪江町には5μSv/h程度の高い値の場所もありますが、これは帰還困難区域だろうと思われます。人々が暮らしている場所の空間線量率は総じて低い値です(原発事故以前よりは高いにせよ)。

東北はもともと自然放射線が少なく、それに比べると西日本は高めです。例えば神戸市中心部はだいたい0.07μSv/hです。つまり、郡山市やいわき市、あるいは福島県内の多くの場所の空間線量率は神戸の空間線量率と変わらない程度なわけです。これは「高い線量」とは言えません。実は福島県内でも矢祭では東電原発事故以前の測定で0.1μSv/hを超えていて、福島市の0.11μSv/hもそういう意味では高くありません。例えば岐阜県には同程度の場所があります。福島県内の多くの場所の空間線量率はすでに日本の他の地域と変わらないレベルに下がっているわけです。

もちろん、福島・郡山などは東電原発事故以前には0.04μSv/hくらいでした(実はいわき市平は事故以前にも0.06μSv/hという測定値がありますが)から、平常時と比べた追加の被曝はあり、形式的には年間の追加被曝量を計算できます。国は空間線量率から年間追加被曝量を計算する式を提示しています。それによると、一日のうち8時間を外で過ごし16時間を屋内で過ごすという設定で

 年間予想追加被曝線量(Sv) = (空間線量率-0.04)(μSv/h) ×(8h + 16h×0.4)×365日

と求めることになっています。これに従うと、年間追加被曝1mSvに相当する空間線量率は0.23μSv/hになります(どうしていきなり有効数字が2桁になるのかは今もって謎です。これを決めた人たちは科学を知らないのだと思います)。逆に、福島市の0.11μSv/hは年間追加被曝0.37mSvということになります。国が提示しているこの計算式はいくつかの理由から被曝量を2倍程度過大に見積もっていると考えられています。だから、本当の年間追加被曝は0.2mSv以下だろうと思いますが、とりあえずは国の計算式通りだと思っても構いません。だいじなのは年間追加被曝が1mSvを大きく下回っていることです。ICRPの方針に従うなら、現存被曝状況では年間追加被曝1mSvを目標に被曝対策をするのですが、それは完全にクリアされているわけです。

年間追加被曝1mSvというのは100年間でようやく累積100mSvに達するという意味です。その時、もしかすると放射線影響で癌になる確率が1%ほど上がるのかもしれません。もしLNT仮説が正しければそうなります(LNT仮説では緩やかな被曝でも癌のリスクが累積被曝量に比例すると考えます。被曝量の足し算でリスクが決まると考えるわけです)。しかし、福島に暮らしていても、今の空間線量率からすれば追加被曝累積100mSvにはほぼならないのです。放射性物質は時間が経つと減るだけですから、これからどんどん安全になる一方です。

以下は私見です。上では形式的に追加被曝量を求めました。しかし、前にも書いたように、福島県内の殆どの場所で空間線量率は国内の他地域と同程度です。もし、いわき市の0.06μSv/hを心配しなくてはならないとするなら、神戸に暮らすのも心配しなくてはならないはずですが、それはおかしな話です。年間追加被曝が1mSvにも届かないようなところでは、追加被曝による過剰リスクを考えても意味がないのではないでしょうか(ICRPも年間追加被曝1mSvは自然被曝の地域差程度だと注意しています)。その意味で、僕は福島県内の殆どの場所で今や過剰リスクを考える意味は全くないと思います。

福島に暮らすことは他の地域に暮らすのと変わりません。被曝による健康影響はこれまでも見られていないし、将来にわたって見られないでしょう。この文章では取り上げませんでしたが、生まれてくる子供にも影響はありません。福島には残された問題がまだまだありますが、少なくとも放射線被曝については安心して暮らせる。それはとてもだいじなことではないでしょうか。

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