さなコン2を振り返って

はじめに

「第二回日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」に応募して、残念ながら賞はもらえませんでしたが、ずいぶん楽しませてもらいました。お祭り気分で楽しめるコンテストで、とてもよかったと思います。800編以上の応募作の中から選考して、しかも一次選考通過作には全部コメントをつけるという大変な作業をしてくださった作家クラブのみなさんに感謝します。

というわけで、いただいたフィードバックコメントを踏まえて、自分の作品の解説といくつかの気になった作品について書いておきます。

このコンテストのルールは「そうして人類は永遠の眠りについた。」という文章を冒頭または結末に配置するというもの。かなり厳しい制約ですが、要はこの文章をきっかけとして妄想を膨らませてくださいというわけです。

自分の作品は『春分の月』『あたしはまだここにいる』『そうして人類は永遠の眠りについたなの!!』の三作でした。当初、『春分の月』だけのつもりが、お祭り気分に乗せられてさらに二作書きました。結果は『春分の月』が最終選考に残った23作のひとつに選ばれ、他の二作も一次選考通過作になりました。冷静に考えて上出来でしょう。

僕はSFファン歴がかなり長いし、『SFマガジン』にも何度か書評や評論を載せてもらってるし、以前は翻訳もやっていたのですが、創作には興味がありませんでした。パロディみたいな作品はいくつもあるんですけどね。いちばん最近(といってももうだいぶ以前)書いたのは『SFファンジン』に載せた『背中の百匹めの猿が嗤った』という作品で、これは往年のファン小説のパロディという「分かる人が何人いるのか」みたいなものでした。だって、原作が何十年も入手不可能なままだし。

シリアスな創作に取り組んだのは先日の「創元SF短編賞」に応募した『アウト・オブ・コントロール』という作品がほぼ初めてで、これもね、堺三保さんとやったネット番組で「SFを書いて創元短編賞に出そう」という趣旨の企画をやってしまったせいで書かなくちゃならなくなったんですね。番組での約束から何年も放置して、ついに重い腰を上げ、わりとさらさらと書き上げて送ったのですが、堺さんからは「うーん」という感想でした。結果として一次選考は通過し、二次選考敗退となりました。

応募前は一次を通れば上出来と思っていたのですが、いざ二次選考敗退となると意外に悔しいものです。これはリベンジしなくてはならんと思っていたところに、pixivで「小さな小説コンテスト」略称「さなコン2」が開かれると知り、よし出すぞとなりました。しかし、どうしてさなコン2を知ったのか、今となっては思い出せない。pixivはBOOTHでCDを通販するために会員になってたから、何かお知らせがあったのかもしれない。

僕の背景的なことを書くと、昔好きだったのはクリフォード・シマックなんですよ。特に『中継ステーション』ね。短編なら『大きな前庭』とか。それからディックでギブスン、最近ならテッド・チャンです。ただ、ディックの短編はいくらなんでも古びちゃってるので(ディックは基本的に長編作家で、短編のほとんどは50年代に書かれています)、ああいうのを書きたいわけではない。まあ、ディック作品はディックにしか書けませぬ。ギブスンの短編はどれも好きですが、真似はしがたいかなあ。でも、ギブスンの影響は大きいです。チャンはね、やっぱり『あなたの人生の物語』ですよ。ああいうのを生涯にひとつ書ければすばらしい。あと、好き嫌いを超えて「うまい」と思わせられるのはパチガルピの短編。そして、真似たいわけでもなんでもなく、バラード。

『春分の月』

どの作品も、書くにあたって、「人類の永遠の眠り」とは何かをかなり考えました。その結果書けたのが『春分の月』です。これはいちおうはイーガンの『宇宙消失』が念頭にあって、地球が外から見えなくなればいいんじゃないかという発想です。そこから、巨大な階段をひたすら登るという筋を思いつきました。巨大建築ものはよいです。でも、プロットを全く作ってないから、どうやって書いたか覚えてない。とにかく階段を登る準備に半分使って、実際に登る場面を後半に持っていき、最後に空を見上げて宇宙に思いを馳せる終わりにしようと考えていたのは覚えています。ハードSFだけど、ハードなところはあっさり切り抜けて、希望と叙情みたいな結末にしたかった。絶望に向かいかねない課題文なので、それに抗って希望を提示したかったんですよ。あと、ハードSFでしか書けない情感ってあると思うんですよ。そこは頑張りたかったところです。構造としては、世界の成り立ちが少しずつ明らかになり、それと並行して主人公たちの階段行が進み、最後にそのふたつが合流して大団円というのが狙ったところです。

書き始めた時点でハードSF的な設定はまだ一切決まっておらず、何も思いつかなかったら量子論ネタで煙に巻こうと考えて、主人公の恋人を量子技術者に設定しておきました。結局、これをフルに使うことになるわけです。女性の一人称にしたのは、なんとなく書きやすいから。女性が書きやすい理由はよくわからないんだけど、よく知らないからかもですね。一人称のほうは、心の動きを書くならやっぱり一人称だなというのと、一人称だと主人公が知らないことは書かなくていい。もうひとつ、課題文を冒頭に持っていくときに、一人称のほうが書きやすいと考えました。

「シュヒギム」とか思わせぶりな単語を入れたのもあとで使えるかもしれないから。使わなかったら消せばいいので。僕は冒頭で設定がまとめて明かされてしまう作品が好きではないので、SF的な設定というか、作品世界の成り立ちなどはおいおい回想形式で少しずつ明かしていくことにして、とにかく書き進めました。時々、さすがにここは設定を考えなきゃというところは少し頭を使って、でもわりとさくさく書けました。最後に重要になるライハネの言葉も「使うかもしれない」程度の気持ちで入れておいたものです。使いそうなものを書いておけば後で役に立つというのを僕は都筑道夫のエッセイで学びました。

ハードSFの説明って難しいですよね。基本は「煙に巻く」です。ただ、僕はなるべく説明を書きたくないわけですよ。読み手としては説明が多いSFは好きじゃないから、自分で書くときも全体に対する説明の比率をとにかく少なくしたい。ほんとは説明なんかないほうがいいんですが、そうは言っても説明が少なすぎると読者に分かんなくなっちゃうから、そこの加減が難しい。幸い、フィードバックコメントには「ハードSFの部分と登場人物二人の感情や行動の文章配分がとてもいい塩梅です」と書いていただけたので、とりあえずはうまく行ったのかなと思います。

このハードSF部分はほんとに描きながら考えていったもので、手をつけた時にはノープランでした。量子計算の可逆性とか量子エネルギーテレポーテーションとかは、書きながら思いついて足していった感じ。量子エネルギーテレポーテーションは東北大の堀田昌寛さんが提案されたもので、僕は研究会で聴いたことがありました。もっとも、名前を拝借しただけですが。結果的に物語の鍵になったもうひとつのテレポーテーションは完全に僕の妄想で、将来的にもあり得ないと思うものの、なかなかいいアイデアだと思ってます。これを考えた人はまだいないんじゃないかな。これで、結末が決まりました。でも、そこにつながるライハネの言葉は既に書いてあったんですけどね。全体的にハードSF的なアイデアの部分は書きながら考えて、なぜかうまくはまった感じです。もちろん、全部嘘っぱちですよ。本当のことなんか何ひとつ書いてないんですが、SFだからいいと思うんですよ。量子論ネタになったのはちょっと不本意ではあったんですが、それでパズルのピースが全部嵌ったのでよかった。研究もこううまくいけばいいのに。

フィードバックコメントに「性的な描写をサラッと描けるところにも上手さを感じました」と書いていただいたのですが、これは狙って書いたもので、近未来社会ではセックスのことなんかあっけらかんと書いちゃうっていう設定です。主人公はバイセクシュアルなんだけど、これも近未来では全然普通だろうというつもりで書きました。

さなコン2は応募後も締め切りまでは改稿できるルールだったので、徹底的に直しました。矛盾点を解消し、構成も一部入れ替えたりしています。タイムパラドックスを解消するために一文足すとか、矛盾点の解消はわりと簡単だったかな。最後はあとひと文字も変えなくていいと思えるところまで追い込めたので、満足です。課題文と長さ制限の範囲でできることは全部やりました。タイトルが最初からこれだったかは覚えてないんですが、ハードSFっぽくないタイトルで、なかなかいいのではないかと思っています。

これが最終選考に残りました。実はもうひとつの『あたしはまだここにいる』のほうがアイデアの面でもテクニカルにも上だと思っていたので、いささか意外でしたが、やっぱり希望がある終わりがいいよねっていうのはあるのでしょう。残念ながら受賞はしませんでしたが、創作第二作で最終選考に残ったんだから、よくやったという感じです。

『あたしはまだここにいる』

『春分の月』を投稿してから、他の人たちの投稿作を読んだり、さなコン2のタグでツイッターを検索したり、スペースを聞いたりしてたんですね。すると、ああお祭りだなという気になってきました。投稿作品が読めるからでしょうね。見ると複数投稿してる人もいる。お祭り気分に乗せられて、もうひとつ書こうかなという気になりました。

『春分の月』が課題文を冒頭に置いた作品だったので、もうひとつ書くなら末尾に置いた作品だと思ったんですよ。しかし、末尾に置くと話者は誰かという問題が発生します。AIやロボットや宇宙人を話者にするのは絶対に同案多数だから、人間を話者にして一人称で書きたい。そこで思いついたのが手記という形式です。だから、これは形式ありきで、そういう意味ではテクニカルな作品です。

永遠の眠りについてもかなり考えたのですが、植物は種子の状態でずっと眠っていられることを思い起こして、人間を種にすることに決めました。理屈として複雑系的なアトラクターの考えを導入するところまでは考えたんだったかな。とにかく複雑系でごり押ししようと、それくらいの大雑把な構想で例によってプロットもなく書き始めました。これも女性の一人称です。主人公を研究者にしたのは、現象に詳しくないと話にならないと思ったからで、いささか苦肉の策的ではあります。本当は研究者じゃないほうがいいんですけど。

課題文を末尾に置く都合上、一直線にしか物語は進まないのですが、『春分の月』と同様にハードSF的な説明を回想形式で随所に置いていきました。まずは何が起きているのか分からない状況からスタートして、現象が明かされ、解釈が明かされ、その間にも絶望的な状況は続いていき、SF的な大ネタを明かしてから、長めのエピローグで静かに締めるという構造になっています。

最後のSF的な大ネタは書いているうちに思いついたんですよ。設定を考えながら書いているうちに、論理的にこれしかないだろうということで。だから、自分でもまさかこの結論になるとはなのですが、しかしこれしかないでしょう。エピローグはわりと早い段階で決めていました。大ネタ開示からエピローグにかけてはなかなかうまく書けたのではないかと思います。課題文を使わなくてよければ、もっとうまく書けたでしょうが、こればかりはルールですから。

この作品は『春分の月』より早く書けて、初稿は5時間くらいじゃないかな。大雑把に見直して公開して、そこから延々と改稿を続けて、こちらもひと文字もいじれないくらいに追い込んだので満足です。実は公開時のタイトルは『種と記憶』っていうわりと無味乾燥なものだったのですが、思い直して今のタイトルに変えました。変えてよかった。

これは一次選考を通り、いただいたフィードバックコメントも好評なんですが、課題文を結末に置くと最後が決まってしまうというところが最終選考に残れなかった理由のようです。これはしょうがないなあ。もうひと山欲しいところですね。そういう意味では10000字制限で書くような話ではなかったと思います。それは『春分の月』も同じですけどね。

『そうして人類は永遠の眠りについたなの!!』

シリアスな作品をふたつも書いたし、もういいと思ってたんですが、ライブを観に行く電車で思いついちゃったんですよ。これは息抜きのお笑いです。この手のものを書くのは得意なので、ライブの往復の電車で書いて、投稿まで済ませました。

こういう話は馬鹿な小ネタとエスカレーションが肝なので、書くのは楽しいですね。自分では「サンディニスタ共産主義SF作家連盟」という馬鹿なネタが気に入っています。

これも徹底的に手をいれて、あらすじを本文に組み込み、あらすじさえひと文字もいじれないところまで追い込んだので、いいんじゃないでしょうか。全体がさなコン612を舞台にしたメタSFになっていてその中でメタSFが書かれているという重層的な構造で、それ自体は取り立てて珍しいものではないとはいえ、そこそこうまくいったかなと。これはほんとにお遊びで書いたので、特にどうこうではなく、一次選考を通過できてよかったなあという感じ。笑ってもらえればいいです。

他のみなさんの作品など

最終選考にのこった作品はほぼ全部読みました。ひとつだけ、どうしても読み通せない作品があったものの、それはまあ相性だからしかたありません。感想としては、「絶対にこれ」っていう頭抜けた作品はなかったんじゃないかな。僕は去年を知らないのですが、去年より全体のレベルが高いそうなので、要するにどれもレベルが高いということかもしれません。僕の『春分の月』も頭抜けてはいないけど、悪くもないという感じだと自分では思いました。あとは審査員の好みでしょう。

23作中で特に印象深かったのは『環』と『寝ているうちにそこに着いてたってこと、あるでしょ?』ですが、これも他より優れているという意味ではないです。ただ印象に残った。ということ。

僕はもちろん応募作品を全部読んでたりはしないので、読んだ範囲ですが、その他の応募作品としては『丹色の星火』『スープがぬるい』『選択』『アウトサイダー・ミックス・シェイク』『方舟がやってくる』『ハートフル+ING』などが印象に残っています。ほかにもあったと思うけど。この中には一次選考も通ってないのがわりとあるんですよね。難しいものです。『丹色の星火』は僕の中ではいち推し作品だったもの。ただ、散逸構造論がテーマになってて、そこの説明がわりと不親切なので、読者を選ぶ作品だとは思いました。でも、僕ならもっと説明を省いちゃうかも。説明の加減は難しいですね。スターリングなんか「プリゴジン」って書いてるだけで、それ以上なにも説明せずに済ませてるんですが。たぶん、書いてる側にとっては少し過剰と思えるくらいがちょうどいいのでしょう。

評判が高かったのに一次も通らなかったのが寒竹さんの『選択』で、これが一次で落選したのには驚いたのですが、おそらく課題文の使い方でしょう。それを除くと小説としては非常にレベルが高いと思いました。

おわりに

楽しいコンテストでした。開催・運営してくださった日本SF作家クラブのみなさんに感謝します。特にフィードバックコメントは大変な作業だったと思いますが、これが読みたくて応募したという面は大きいので、もし第3回があるなら同様に続けていただけるとうれしいです。

お祭りのあとは寂しいのだと吉田拓郎が歌ったのは1970年代ですが、21世紀になってもそれは変わりませんね。また何か楽しいイベントに参加したいものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?