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だってホーガンだもの

SFマガジン2010年12月号 
「J.P.ホーガン追悼特集」
ホーガンのいい読者だったとは言いがたいけど、一度は文庫解説も書かせてもらったことがあります。そんな僕の追悼エッセイを

だってホーガンだもの

 実は、特に理由もなく『揺籃の星』をしばらく読みそびれていた。結局、読んだのはそろそろ続編の翻訳も出ようかという頃、しかも必要に迫られて読んだのだった。今どきヴェリコフスキー・ネタでSFを書くなんて、よほど勇気がなきゃできない冒険なわけで、それはすごいと飛びついて読んでいてもよかったはずなのに読んでいなかったのは、今さらホーガンでもないかという気分が先に立ったからかもしれない。ごめんなさい。

 で、読んでやっぱりびっくりした。ヴェリコフスキー説がどう扱われているのかと思ったら、そのまんま話のど真ん中に据えられているのだもの。しかも、巻末解説では金子隆一さんがそのトンデモ具合を貶していたので、これまたびっくり。この作品、確かにトンデモと言われてもしかたない。そのいっぽう、ある意味とてもホーガンらしいとも言える。そして、物語としては充分に面白いんだから、そうけちょんけちょんに言わなくてもいいと思う。

 創元から『星を継ぐもの』の日本語訳が出たとき、僕はまだ大学生だった。とにかく翻訳前から「すごい」という評判があって、待ち兼ねて読んだのだったと記憶している。いや、もしかするとそういう順序じゃなかったかな。なにしろ30年も前だ。

『星を継ぐもの』は本当に「大技一本でほかには何もありません」みたいな作品だった。絶対にSFでしか書けない壮大な謎と後先考えない思い切りのいい謎解きに、僕たちはまず唖然とさせられて、それから喝采を贈った。正直、設定はかなり無茶だ。でも、無茶なんだけど、SFとミステリーを融合するならこれくらいのことはしてくれなくちゃ、これならうるさいことは言わずに許しちゃおう、と思わせられるそんな迫力があった。恐いもの知らずというか蛮勇というか、それがこの作品の魅力だ。ホーガンの作品からどれか一作選べと言われたら、今でもこれを選ぶ。たぶん僕以外にもそういう人は多いに違いない。もっとも、作家にしてみたら、そういう評価はあまりうれしくないだろうね。

 次に出た『創世記機械』がばりばりのハードSFだったので、ホーガンはハードSF作家扱いになった。こちらも大技一本で通した蛮勇の作品。ただし、僕はあまり感心しなかった。たぶん、物語の風呂敷をあまりにも広げてしまって、なんでもありになり過ぎていたんだと思う。ありていに言えば、ハードSF作家としては筋が悪いし、科学の素養もかなり怪しい。いっぽう、このなんでもありってところに惹かれたファンも多かったはずだ。

 もちろん、ホーガンはちゃんとした傑作SFだっていくつも書いている。それでも、将来僕たちがホーガンと聞いて思い出すのは、たぶん『星を継ぐもの』に代表される、後先考えない蛮勇の作品群に違いない。なぜなら、僕たちSFファンはそういう怖いもの知らずの思い切りのよさが大好きだからだ。それでいいのだ。R.I.P.

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今日はWoodstock 1994でのThe Cranberries "Dreams"

https://youtu.be/6Tk7SstoQ3Y

#SF #アーカイブ

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