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ヴィジョンクエスト|ドリームタイム|06

ヴィジョンクエストはアメリカ先住民(ネイティブアメリカン)の伝統的通過儀礼のひとつ。ラコタ族のことばでは「ハンブレチア」(泣いてヴィジョンを求める、の意味)。彼らは人生の節目、岐路に立つとき、つながる人々につれられて大自然の中に入り、一人きりの特別な時間(ドリームタイム)を過ごす。そこで自分の魂に刻み込まれた生命の意味を飲まず、食わずの究極の状況の中、泣き•歌い•祈り探し求める。そのとき大いなる存在(導いてくれるスピリットや守護動物のスピリット)と出会い、メッセージと力を受け取る。

(マザーアースエデュケーションによる案内文から)

前回は、ヴィジョンクエスト以前に夜の山で過ごした経験、そのときに感じたことを書いた。

ヴィジョンクエストで山の中にひとり置かれていたとき、もしかしたらわたしは何か探そうとか、何か見よう、答えを得ようとしていたかもしれない。以前、夜の山で過ごしたときに前述のような経験があったから、山の中や下山後に何か起こるかもしれない、そんな期待感もあった。あるいは、「下山後にシールド🛡を描いて、サポーターのみんなにシェアしてもらうよ」と事前にきいていたのも、わたしをそうさせていたようにも思ったりする。

山に上がる前、自分の中にある「ビッグYOU」と「リトルyou」と向き合うワークなど、からだとコミュニケーションを使った心理的なワークを屋外、自然の中で二人組になって行った。こういったワークは、セレモニーリーダーである松木正さんのもう一つの専門分野ともいえる。セレモニーと伴って行われることで、ものすごく相乗作用があるように感じている。

ペアになったアツシとワークをしているとふと、何かわかったような気がした瞬間があった。わたしが恐れているものってわたし自身が勝手につくり出しているんだ、って。それは、ふわっと風のように起こって気づかせてくれた、とても不思議な感覚だった。

そのあと準備をして、スウェットロッジに入って暗くなった頃に山に上がった。時計も水も食料も持たず、基本的には自分の身ひとつ。スウェットロッジに入るときに着ていたワンピース一枚にスターキルト(星形のデザインが施されたキルトブランケット)だけ羽織っていた。
靴と靴下を脱いで、敷物を敷いたわたしの場所(スポット)にひとり置かれて、ただずっとそのスポットに居て祈った。目印となるのは二股の木、その根元に座る。普段はメガネをかけているわたしだけど、その時間は裸眼で過ごした。メガネなしでスポットから見た景色は、暗い中に木々のシルエットのようなものだった。

見ているとも、見えているとも、あるいは見えていないような、そんな感覚を味わいながら佇んでいると、そのシルエットは何かとても恐ろしいもののようにも感じられた。その恐ろしい感じを、感じるままに感じていた。するとそれは、山に上がる直前に感じたものを呼び起こしてきた。「わたし自身が勝手につくり出しているんだ」と。怖いもの、嫌なやつ、わたしに悪い態度を取った人…それさえも、わたし自身がつくり出していたのだ、と。それぞれはそれぞれで存在していたのに、わたしがそう捉えて、怖いものや嫌なやつになったんだ。そのことが腑に落ちたかのように、涙が頬をつたっていった。
起きているのだか寝ているのだかもわからない、夢かうつつか、時間の感覚さえもない、こんな状態を「ドリームタイム」というのだろうか。いろんなおもいが浮かんでは消え、それぞれに感傷的になったりして時間が過ぎていったような気がする。

何か得よう、何か答えを得よう、どこかそんな思いがあったけれど、そうしようとすればそれは逃げてしまうようでもあった。昔みたいな、ピカッとした啓示のようなサインが受け取れるんじゃないかとどこかで期待しながら、とりあえずただ、そこに座り祈り続けた。ひときわ明るい星の動きと夜空の移り変わりを眺めながら、早く朝にならないかなぁ、とか思いながら。

結局、ピカッと何かが起きることはなく下山した。
夜から朝に移り変わって行くとき、光の球がだんだんと増えていく様子が綺麗でそれが印象に残ったのでシールドに描いた。

ヴィジョンクエストから受け取ったものを描いたシールド🛡(未完成状態)

(つづく)

※タイトル画像はわたしが居たスポットにある二股の木、ヴィジョンクエストから約1ヶ月半後に行ったときに撮った写真

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