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自分の鏡、だとしたら

カウンセラーでセラピストの友人と話している中で、「鏡、投影」という話になった。

クライアントが抱えている「問題」はセラピスト自身の「問題」の反映でもある。だから鏡、なのだ。

あるいは、セラピスト(ヒーラーでもいい)自身が癒やされていないと、クライアントを癒すことができない。

そのときはそこまでだったのだけど、ふと。
あらゆるセラピーをやり尽くして、結果的に高額な波動調整器を導入してそれを使うセラピストになったものの、「これではいつまでたってもキリがない」と非二元(いい・わるいがない世界←わたしの解釈)に目覚めて、その最終兵器wさえも手放そうとした別の友人のことを思い出した。

つまり「もっとよくなりたいわたしがいるから、まだよくないわたしがいる」のカラクリ。
あるいは「セラピーをやって癒したいわたしがいるから、セラピーを受けて癒やされたいクライアントが生まれる」。鏡の世界は意外と単純なのか、それとも深いのか。

手放そうとした友人は、それで何とかしようという執着がなくなったからなのか、逆に知り合いの口コミや新たに出会った人からセッションを受けたいとぼちぼち問い合わせがきいるようだった。なかなか興味深い話だ。


「やろう、やろう」とせずとも、自然とそうなる。そうなっていく。
その境地はきっと、がむしゃらに目指して至るものではなくて(もちろん、そういう時期を経ることもあるのかもしれないけど)意外とふとしたときに成っているのかもしれない。

だって自分が世界をつくりだしているのだし、ぜーんぶ自己投影の遊びの世界なのだから。
そういうことらしい。
非二元はまだよく知らないからききかじり。

先日参加した戸隠リトリートのこと。↓

このリトリートは、自然とそうなるようにつくられた、みたいな話を主催者さんからきいて、そうなんだろうなぁって共感した。

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