情報弱者を救うのは企業の役割なのか——ahamoの料金プラン発表から学んだこと


先日のdocomoの発表に合わせて、考えていたことをまとめた。
情報弱者差別ではないか、という批判に違和感を感じたことがきっかけだった。
先に結論を書くと「やはり個の時代は終わった。周りと手を取り合う時代が来た」である。
そう結論づけた理由を、以下にダラダラと書いていく。


docomoは情弱差別企業なのか


先日、docomoが新料金プランとしてahamoを発表した。
月々20ギガのプランで月額2,980円という破格の料金である。
同時期に新料金プランを発表したauとsoftbankとは一線を画するプランである。
どれだけすごいのかはYouTubeやGoogle先生が教えてくれるので、各自調べてほしい。
私が毎月支払っている携帯料金が2,980(税別)円になり、しかも安定通信のドコモ回線で、5Gにも対応である。
正直、よっぽど尖った格安sim以外、ahamoに乗り換えない理由がない。
ただ、一つだけ欠点がある。
それが、インターネットを使ってのやり取りができないや、人を介しての契約しかできない人には、このahamoの恩恵を受けることは出来ないということだ。
つまり、情報弱者(通称・情弱)には非対応であるということである。

情報弱者(以下情弱)は、ネットスラングで、社会に流通する情報を正しく知らなかったり、情報を活用できない人のことである。
より詳しく書くと、何が流行っているのか、何が社会問題なのか、そういった情報に疎く、昔の常識をアップデートせず、現代でも活用するが故に生活を変えられない人のことを言う。
もっと雑に言うと、古い常識に囚われている人である。
先程、YouTubeとGoogle先生を使って各自調べてほしいと書いたが、自分で知識を調べないことが、情弱の典型的行動の一つである。
いずれのサイトも、情報が大量に溢れ、調べられないことはほぼないと言って過言ではないほど充実している(もちろん質の悪い情報も大量にある)。
その昔、ググレカスというネットスラングがあった。現代に置いてはググるとろくなサイトが出てこないので最早このスラングを使うこと自体が情弱なのであるが、言葉の綾として使わせてもらいたい。
そう、ググれないものは現代社会では置いてけぼりなのである。


docomoに対して、批判の声がある。
情弱代表である高齢者や、情弱の人には契約しにくいプランであるため、情弱差別だという声である。
果たしてdocomoは、彼ら情弱に配慮する必要があるのだろうか。
私の意見ははっきりしていて、配慮はまったく必要ない、である。
情弱ビジネス、資本主義、そもそもの情報の錯綜、これらの要素が複雑に絡みまくっている現代に置いて、情弱を救うことは不可能である。救おうとすればするほど、人手がかかり、人件費がかさむ。
そんなことを企業がする必要はないし、むしろしないで欲しい。少しでも安くして欲しい。


情弱を誰が救うのか


じゃあ情弱は誰が救うのか。
それは身の回りの人間である。
高齢者を例に話を進めてみよう。

高齢者に対して、社会の動きや新しい常識をググれと言うのは酷である。
じゃあどうすればいいか、簡単な話で、私たちが教えてあげればいいのだ。
昔は情報(流行や社会問題)を、子どもや孫が、高齢者に教えていたのである。
それが核家族化した結果できなくなったというだけで、それを取り戻せばいいのである。
正月やお盆に会いに行き、最近の社会の話をしてあげたり、携帯料金プランを一緒に変更してあげればいいだけである。流行りの服を買ってあげればいいのである。
昔は誰もがしていたことだ。
社会が都市集中化したり核家族化したりそもそも家族関係が希薄化した結果、難しくなってしまっただけで、私たち一人ひとりが情弱を救えるのである。
だから企業の役割ではない。
そもそもそういう社会にしてしまい、そういう社会を迎合していたのは、私たち一人ひとりである。
その責任を企業に押し付けるのは、お門違いではないだろうか。
私はやはり、情弱を企業が救う必要はないと考える。考えざるを得ない。
押し付けるとしたら、それは例えばスマホ教室だろう。
スマホ教室なんてその典型で、ああいう仕事は本来、孫がおじいちゃんとおばあちゃんの隣に座ってやっていたことだ。テレビを見ながら、お茶を飲み、ああでもないこうでもないと言いながら昔ならやっていたことだ。
それが出来なくなってしまったから、スマホ教室が生まれる社会となったのだ。


情報弱者の一つの形として、老害という言葉がある。
老害とは、昔の常識を現代に活用ししてしまう高齢者のことを指している。
例えば、女性に対して高圧的になる男や、早く結婚しなさいと娘に攻め立てる女である。
お客様は神様だと未だに勘違いしている輩や、セクハラしたりパワハラしたりする女も、老害にあたるだろう。
彼ら彼女らも一つの情報弱者なのである。
彼ら彼女らに、的確に情報を与えれば、セクハラは減るかもしれないし、高圧的な男も減るかもしれない。
彼ら彼女らは、最新の情報を知らないだけなのだ。
そして最新の情報を教えないのは、私たち若者なのだ。
教える必要はない、と言う若者も多いが、であるならば、教えなければならない情報を教えずにマウントをただ取っているだけの自分の姿を鏡で見てから実行して欲しい。嫌味をはっきり言うが、マウントを取ることに生きがいを感じ始めたら人生終わりである。


情弱にならないために若者ができること


ここまで、高齢者と老害をサンプルとして、情弱を救う方法を書いてきた。
しかし、私たち若者が、果たして情報強者(情弱の対義語。以下情強)であるかと言われると、まったくそうではない。
私たちも一人ひとりが、必ず情弱なのである。
自分好きなコンテンツに対しては情強かもしれないが、少しでも違う分野の話になるとまったく話についていけなくなってしまう。
アニメが好きなオタクがファッションをまったく知らない、先進技術を研究している大学院生が流行りの漫画を知らない、法律の専門家が現代リテラシーを知らないetc……
人間が能動的に摂取できる情報には、一定の許容量があるのだ。

しかも、歳を重ねるごとに情報の摂取量は減っていく。例に上げている老害への第一歩である。
ググレカスと言うが、ググることは高度なことである。ではどのようにして、私たち若者は情報に向き合う必要があるのだろうか。
実は、仕入れる情報の殆どは、誰か他人から受動的に入ってくるものがほとんどだ。
かくいう私も、ahamoにまつわる携帯料金に関する情報はほどんど知らなかった。好きなYouTuberが総務省に関する情報を発信していて知ることができただけである。
つまり我々が生涯を通じて情強であり続けるには、ググり続けるだけでは足りない。
周りから情報を摂取する必要があるのだ。
そのために私たちが今できることは、多くの知人を持つことである。
漫画のことならアイツに聞こう、服のことならアイツに、お金についてはアイツに……そういう友人関係を持ち続けるのだ。
同年代だけではない。高齢者や、若者とも繋がりを持たないといけない。
小学生に何が流行っているのか、どういう価値観を持っているのか。
高齢者に何が流行っているのか、どういう価値観を持っているのか。
多種多様な、多国籍な流行と価値観、情報を常に摂取する事ができれば、すべての分野で情強になることはできないが、情弱になることを避けることができる。
もう個の時代は終わった。周りと手を取り合う時代が来たのだ。手を取り合わないと、多すぎる情報を仕入れられないのである。


私を含めて、基本的には同年代の友人が多くなる傾向がある。
能動的に、他の世代と関わらないと、対話しないと、加速度的に社会から置いてけぼりを食らってしまう。
docomoがそれを教えてくれた。
ありがとうdocomo。
これまでずっとdocomo使ってて高いからとYmobileに浮気したけどやっぱりdocomoに戻るよ。
まあもっと安いプランが出たらまた浮気するかもしれんけど。

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