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「Shall we ダンス?」 名もなきダッセーたちがカッケーたちになるとき。

「Shall we ダンス?」周防正行監督

(1995年) 役所広司、草刈民代、原日出子、竹中直人、渡辺えり子


 周防正行監督が一貫してこだわるものが「ダサい」もの。
 そこで当時彼が嗅ぎつけたのが「社交ダンス」。
 でも、ただ逆張りしてダサいものをとりあげたんじゃないんです。

 もちろん誰もテーマにしたことがないものなのだけれど、周防監督にとっては、映画監督としてのノーマルな嗅覚が大いに刺激されたのが社交ダンスだったんですね。

 映画って、「物語」と「絵」と「音楽」を同時に表現したもの。
 ストーリーがあって、映像があって、劇判があって。
 
 ダンスは、これら3つを美しく融合できた。
 音楽に合わせて踊るダンスは、見ても楽しめる。華やかな衣装が映えるし、アクションやリズミカルな音楽も心弾む。

 スポーツものはドラマティックでエキサイティングだけど、いかんせん、音楽は劇判そのもの、つまり本来は付け足し。
 その点、ダンスは音楽に合わせて踊るものなので、音楽が劇判チックになりません。

 問題は「物語」。

 カッコいい人がカッコいいダンスを踊っても、観客は感情移入はできないってこと。
 カッコよくない自分には、カッコいい人のことなど、横目で見る以上には、知ったことではないからです。

 だから、カッコいい役所広司と草刈民代が結ばれる展開にするつもりは毛頭なかった、と周防監督は語ります。

 恋の行方の話になると、物語がロマンスに終わってしまい、それぞれが命を燃やしている「ダンス」というものを物語のお飾りにしてしまう。

 物語の中盤、草刈が役所に言い放った「ダンスをばかにしないで!」というのは、これは周防監督の大切なテーマそのものなのです。

 それまで日本で蔑まれてきた社交ダンス。
 でも静かに愛され続けてきた社交ダンス。

 この映画では、カッコいい役所も草刈も、添えものにすぎない。

 それよりも、エキストラ出演したおおぜいの名もなき本物の社交ダンス愛好家たち。
 彼らこそが本当の主役なのかもしれません。

 だって、一番カタルシスを呼び、出世したのは、ダッセーもののトップ「社交ダンス」そのものだったのですから。

周防監督お約束のトイレ場面。これはスチール撮影。
場末のダンス教室。

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