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『STONER』を読んで

数年前に買って忘れていたジョン・ウィリアムズの小説『STONER』を読み終えた。ウィリアム・ストーナーという男の静かな一生を描いた小説である。
この作品では、農家の出であるストーナーがふと英文学への適性を見出され大学人になり、家庭や仕事での挫折を味わい、束の間の後ろめたい幸福にも与り、やがて不可避の衰弱に飲み込まれるという誰しもが味わいうるような人生が描写されている。
だからこそその結末、人間誰もが避けられない運命に向かって淡々と進んでいく語り口には言いようのない普遍的な悲しみが満ちており、そしてそれは親愛さの裏返しでもあるということが確信できる程度には穏やかでもある。
しかしそれと同時に文体に主人公を突き放すようなある種の距離感が存在してもいる。

その距離感とは、あるいは眠りに落ちる直前、意識と無意識の混濁に自らのものであったはずの精神と肉体が乖離し、あたかも精神が後者との距離よりも夜との距離を縮めていくかのような、あの感覚を想起させるものであった。
夜に近づいた精神は、自身の人生を俯瞰する。そこに内在する怒りや喜び、悲しみは等しく遠いショーケース内にある品々と化し、それらによそよそしい愛しさを纏った眼差しを注ぐ、そのような夜。

稀に白昼にもその遊離の感覚に見舞われることがある。大学で油画科の教授が1人ずつ、2週に渡り講演を受け持つ授業があった。普段日本画教授の「ご高説」しか賜る機会がなかった私はこれ幸いと(モグリで)受講した。
正直なところそのほとんどの内容を忘れてしまったが、1人シュルレアリスムを画風とする教授の講義が強く印象に残っている。

彼は1周目の講義で自らの作品についてそのコンセプトやその表現に至った過程を説明した。それは澱みなく、とは到底言えないような辿々しいもので、ときに何か胸に去来するものが大きすぎてとても口からは通過させることができないとでも言うように、喉の辺りで噛み砕こうという苦戦も虚しくしばらく押し黙ってしまうこともあった。

2週目には渡り鳥を追ったドキュメンタリーを鑑賞した。教授が講義室を使用する時間を勘違いし最後まで見ることができなかったが、その際助手へしきりに「なぜ最後まで見せられないのか」と何度も尋ね、そのたびに助手は「次の講義があるから」と困り果て懇願するような表情で諭していた。その問答が4、5回ほど繰り返されたあと渋々承知した教授が撤退の準備をした。

講義としてみたらあまり上手くいっていないこれら2週にわたる授業はしかし、大学のなかでも印象深い時間となった。その理由はおそらく教授の人格、声、モグリで受けていた私の立場など、様々な要因の絡む複合的なものだが、ひとつには『STONER』のような、あるいは夜への沈潜のような距離感をもった人生へと触れる感覚がそこにあったからであろう。
渡り鳥の映画を見るために暗幕で光を閉ざした教室は夜のミニアチュールであった。気まぐれにエアコンに揺られたカーテンから洩れる光がミニアチュールの細部を照らしていた。
夜の似絵が私の精神を肉体から剥がし、自らの経験と教授の悲しみを湛えた経験とが並置される場所まで遠ざけ、その距離ゆえにそれらが混然となった地点で教授の悲しみと親愛とが自らのものと感じられるような経験であったと言えるかもしれない。

このような感覚の根源は、おそらく傲慢なものであるということにも気がついた。夜へと近づくには肉体から離れることが前提となっているが、それは自身の肉体を透明なものと捉えることのできる瞬間が存在するということ、その瞬間が貴重なものとは言えないほど頻繁に到来するということである。それら全てが傲慢さに拍車をかける。


あるとき今はもう亡くなってしまった友人、哲学を学ぶ友人であったが、彼が「教授はこう仰っていたよ」と至極自然に会話中に哲学教授への尊敬を発露したことがあった。それについてなぜか非常に羨ましく思ったものだった。
発話の瞬間、何の抵抗もなく「仰っていた」と言うことが自分にはできるのか?と自問したが、難しそうだった。
しかし、いまこの油画科教授の講義を受けたら、「〇〇先生がなぜ映画を最後まで見せられないのかとしきりに仰ってたよ」というくらいなら衒いなく口にすることができそうだ。
そこに自らの精神の微々たる成長を感じて少し嬉しく思うが、それもまた夜になると他の感情にならび、遥か眼下の街の灯とともに明滅し、翌日の朝には電球が帯びた熱とともに消えているのだろう。

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