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【エッセイ】形式を見る眼

自分が絵の形式分析をする時の眼というか判断力というかの社会的条件がいまとても気になっています。

自分の博論での仕事は伝統的な絵の形式分析の前提に揺さぶりをかけるものだと自分では位置付けていて、というのも、伝統的な絵の形式分析は、ある特権的な位置、つまり「絵の正面でかつフレームが視野に収まる位置」からの眺めを対象としていたからです。その特権性を相対化する意味が自分の仕事にはあると考えています。

で、こういう何かしらの「隠された前提」がたぶん自分の形式分析にも存在していて、それは恐らく社会的条件と言い得るものなので、それが気になっているという感じです。

ところで、形式分析といえばモダニズムですが、それは社会的条件としての前提を覆い隠して、そこでの判断を普遍的なものとしてプレゼンテーションしたところが問題だったわけで、そこで用いられた形式分析という手法自体が問題だったわけではないというのが自分の立場なんだろうという気がします。そこを混同してはいけないと自分は考えているのだと思いました。

なんというか、ブライソンを読み直そうかなという気持ちになりました。

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