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マックスおじさん

 平日の午前9時、周りに誰一人いない会社でパソコンのキーボードを叩いていた。普段なら、平日の早い時間帯から会社にいることなどまずない。だが、南極大陸を使い捨てカイロで溶かすような絶望的な編集作業に、身がどんどん粉状へと変化していく中、昨夜は会社で夜を明かした。新しい一日が始まったばかりの時間なのに、私は昨日の延長線上を生きていた。

「ボーッ」

 押さえつけられた太い低音が外線電話から鳴ったのは、その時であった。
 私が受話器を取ると、

「いつも読ませてもらっています」

 という、やや高音寄りの耳通りのいい声が聴こえてきた。私はその男性の声に聞き覚えがあった。それは、編集部の中で「マックスおじさん」と呼ばれている男性の声に違いなかった。

「最新号を読ませてもらったんですがね…」

 受話器からかすかに紙をめくるような音が聴こえる。いつもそうなのだが、恐らく雑誌を読みながら電話を掛けてくるのだ。

「この菊池っていう高校生は、マックス155キロなんですって?」

「そのようです」

「でもね、違う雑誌には『マックス156』キロって出てるんですよ。これは、どちらが正しいんでしょう?」

 いつも、このような調子なのだ。受話器越しに悟られないよう忍びながら、一つ息を吐くと、私はマックスおじさんの世界に飛び込んでいった。

「おそらく、その雑誌に出ている数字は、甲子園のバックネット裏にいたプロ野球のスカウトが計測したスピードガンの数字ではないかと。私どもの雑誌に掲載しているのは、甲子園球場に備え付けられたスピードガンの数字です」

「そうですか。ということは、この菊池のマックスは156キロでも正しいということなんでしょうか?」

「正しいか、正しくないかと言われてしまうと、なんとも言いかねます。ただ、スカウトのスピードガンは市販の製品を使っていて、厳密に計測できる条件も満たしていません。だから、誤差が生じやすいというのはあると思います」

「うーん、でも、156キロなら、クルーンにあと6キロってことでしょう?」

 会話が噛み合わない。
 そもそも、マックスおじさんは、基本的に人の話を聞いていない。自分が興味のあること、つまりピッチャーのマックスについて、誰かと話したい、いや、言いたい、もっと言えば、「マックス」という時間を共有したい、それだけのために電話を掛けてくるのではないかと思えるのだ。
 編集部員の中には、マックスおじさんからの電話を取ったとわかった瞬間、貧乏くじを引いたと露骨に態度に出す者もいる。相手にするだけ時間の無駄だと言う者もいる。それでも、私がマックスおじさんと少しでも話をしようと思うのは、なぜ、そこまでピッチャーの「マックス」に固執するのか、興味があったからだった。

「お言葉ですが、クルーンのボールと、菊池のボールとでは、質がまるで違います」

 周囲に誰もいないという環境もあり、私は、初めてマックスおじさんに意見することにしてみた。

「プロとアマチュアという差はもちろんですが、右投手と左投手という時点で、打者にとってはまるで見え方が違ってくるはずなんです。あとはボールの出所の見やすさや球離れの位置、腕の振りの強さ、フォーム全体の躍動感と威圧感、それらの要素をひっくるめて『スピード』だと考えるべきではないかと。確かに『マックス』というのは一つの見方ではあると思います。スピードガンが登場してから、野球はスピードを数字で見られるようになりました。それは今までにない、大きな指標になったことは間違いありません。ただ、今度はその数字にばかり目が行って、現実のボールのスピード感や、それ以上にボールにまとっている殺意にも似た存在感が感じられなくなるというのは、とても不幸なことなんじゃないかと思うのです」

 マックスおじさんは、意外なことに一言も口を挟まず、私の言葉を聴いているようだった。そして、私が言葉を切り、両者の間に沈黙が流れた数秒ののち、マックスおじさんは例の高音寄りのキーで言葉を送ってきた。

「沢村栄治はマックス160キロだったというのは本当ですか?」

 私は急に恥ずかしくなって、何も言わずに受話器を置いた。
 その日、それから再びマックスおじさんから電話が掛かってくることはなかった。それでも、相変わらず忘れた頃に、あの聞き覚えのある声が受話器から聴こえてくるのだった。

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