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手ざわりのある言葉を書きたくて

大みそかです。

2019年の振り返り記事が並ぶなか、いつもどおり琵琶湖の近くから奥多摩にお手紙を書きます。


かんせんせい、こんばんは。

私は滋賀で2回目の年末を迎えています。

いつもよりは近所のスーパーが混雑し、普段は静まり返る夜に子どもの声が聞こえてきます。多くの人が帰省してくる場所に住んでいるんだなと実感して、東京にいた頃との違いがおもしろいです。

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東京から滋賀に引っ越して、一年以上が経ちました。滋賀に引っ越したのと同時に、アシスタントなフリーランスを卒業してただのフリーランスになったこともあり、この一年で自分の変化を感じます。

滋賀の引越しとほぼ同時期に奥多摩に出会い、奥多摩の記事を書き、出張先で出会った各地の方にインタビューさせていただいて。大切な人、お金の使い方、時間の使い方、考え方、何もかもが変化しました。

何歳になっても自分を変えられるのですね。

たぶん、自分が変わった理由が「身体性」ではないかと思うんです。私が心から取材したいと思う方々、滋賀で出会った大好きな方々、もちろんかんせんせいとOBCにも身体性を感じます。

だから2019年最後のお手紙では、身体性について書いてみますね。

体験したことないことばかりだった一年間

今年4月から隣町のまちおこし団体「ONE SLASH」の長期取材をスタートし、彼らの村に通わせてもらって8ヶ月。何度も感じたのは、自分の小ささでした。

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大きなかえる、へび、いもり。田んぼで遭遇する、人生で一度も見たことない生き物たち。猛スピードで成長していく稲。「風景」の字のとおり、田んぼで稲がなびくと「風」が見えること。

初めて見る景色、初めて知ること、初めて体験する変化ばかりでした。

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友だちのお母さんにごはんをつくってもらい、泊めてもらうこと。田んぼにいると、近所のおじさんから友だちのお母さん、おばあちゃんまで出てきて、私の名前を知らなくてもコーヒーやお昼ごはんをくれること。友だちのお腹がどんどん大きくなって、子どもが生まれること。

数ある「初めて」のなかでも、人間関係がいちばんびっくりしたかな。

「ツケ」が成立する関係を初めて見ました。今でもその根底にある信頼の重みを理解しきれていない気がします。

「地元」という土地に結びついた強力な人間関係のなかで、生きる力をめきめき育ててきたみんなに対して、私ができることは何もなかった。「してもらうこと」はたくさんあったのに。

ライターで火をつけられなくて、軽トラを時速15kmでしか運転できなくて、声が小さいから田んぼの向こう側に届かなくて、刈り取った稲の置き方が違うから友だちのお母さんに怒られて、田んぼに一日中いたら気を失いかけて。

生きていくための力が、本当に弱いのだと思い知りました。みんながこれまでの人生で五感を使って体験してきたことが、足りていないのだなって。



この「体験不足」を一番強烈に感じた瞬間を、よく覚えています。

酔っぱらったおにいちゃんたちが、遊びの延長で「ひゃくちゃん(私)もパンチしてみて」と言ったとき。冗談でも、動けなかったんです。

どこまでの力を加えたら相手が怪我をするのか、そもそも自分がどこまで力を出せるのか、力の出し方すらわからないから。

結局こぶしを相手の肩にぶつけてみたけれど、全く力が入りませんでした。もう本当に、触る程度の強さでしかなかった。

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彼らはきっと、これまで一緒に人生を歩んでくる途中で、お互いに傷つき、傷つけられて、怪我をして、怪我をさせてきた経験があるのだと思います。

なんせ、生まれたときからの仲です。彼らの子どもたちを見ていると、何度も泣いたり泣かせたりして、力の加減や痛みを知りながら一緒に大きくなっていくんだろうなぁと実感しています。

そういう「一緒に痛みを乗り越える経験」を、私はしてこなかった気がする。一緒に乗り越える前に、痛み発生の時点で「他人に迷惑をかけてはいけない」と教えられてきたから。

他方、おにいちゃんたちの間には、「他人に迷惑をかけてはいけない」なんて言葉は意味を成さないのでしょう。

彼らは同じ村で生きていく以上、助け合う必要性を理解しているから、仲間内での「迷惑」を許容します。というか子どもが怪我をさせたりさせられたりしたくらいで、迷惑だとすら思わないのではないかと感じます。

そうやって育っていくから、どれくらいの力であれば相手が笑い、どこからが相手ともう手を取り合えないほどの痛みが発生するのかを知っています。そして相手が痛いだけでなく、自分にも痛みがあることも忘れません。

彼らを見ていて自分を振り返って、「傷つけたことがある人にしか、分からない痛みがある」という言葉を実感しました。

傷つける痛み、傷つく痛み。それらを経験することで、「人を傷つけるのはよくない」という言葉が身体性を帯び、重みを持つようになるのですね。


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私は今年、かつて近しかったひとたちから批判を浴びました。全て、インターネットのなかで。

その炎上シーズンであっても、パソコンを閉じれば目の前には滋賀の日常がありました。パソコンのなかで何がおころうと、田んぼに行けば稲が着実に大きくなり、村のおじちゃんたちがいつもどおり迎えてくれました。

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この圧倒的な情報量の差といったら。

パソコンのなんとかbitの世界が、そこにおさまっている自分の仕事すら、ぺらっぺらに感じました。

そのとき思ったのです。インターネットで相手を傷つく言葉を投げかける背景には、身体性の伴った経験の欠如があるのではないかなと。

「人を傷つけるのはよくない」。

この言葉を自分のものとして心に刻み込む痛みを経験していない私は、逆に言えば、どこまで何をすれば相手が傷つくのか分かっていないのかもしれません。

なんなら、自分の怒りを少しずつ発露する方法すら知らないのでしょう。だから時には突然怒りを爆発させ、相手を傷つける言動をしてしまう。

おにいちゃんたちは突然キレないし、ひとを攻撃することもありません。自分の怒りをコントロールする方法も、怒りを相手に伝える方法も知っているから。まあそもそも、ほぼ怒らないのですが。

直接会って、話して、ぶつかって。身体性の伴う体験にしかない情報量の多さ、そこにしかないものを感覚的に理解しているのだろうなと思います。


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東京から地域に引っ越して自分の体験弱者っぷりに気づき、自分が経験してきたこと、学んできたこと、成してきたように見えていた仕事は、はたして何だったのだろうと、よく分からなくなりました。

勉強して大学まで行かせてもらって、頑張ればなんでもできる気がしていた自分は、なんにもできないのだなと知りました。

五感を使った体験が圧倒的に不足していて、身体性のないペラペラな言葉で自分を形成していたのだと実感しました。

怪我をしないように、人とトラブルをおこさないように、傷つかないように傷つけられないように。

そうやって補助輪をつけて安全で清潔な道しか走ってこなかった私と、私を批判していた人たちは、何も変わらない。

傷つき、傷つけられる経験も足りていない私は、今回たまたま批判にさらされる側だったけれど、一歩間違って誰かを批判して傷つけてしまうことも大いにありうるのだと怖くなりました。

特に私が仕事で扱う「言葉」というものは、いつだって刃をひそめていると思います。意図しなくたって、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

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私はインタビューとは、「わかったふり」をして書くしかないと思っています。究極のところ、相手のことはわからない。それでも、そのひとの言葉を預かり、代わりに私が世に出す。

だからせめて、ひとの言葉を預かる仕事をしている以上は、できるだけ身体性のある言葉を書けるようになりたい。そのひとの言葉を理解するために少しでもそのひとに近い体験をし、五感を使い、時間を過ごしたい。

そう思いながら取材するようになりました。

どうしたってその本人、例えば地域に関するインタビューを書かせていただくのであれば、土地に根づいて暮らしてきたひとたちには敵わないと思います。その表現には、圧倒的な身体性があるから。

かんせんせいが奥多摩についてつづった言葉は、奥多摩の空気をまとっています。

毎日奥多摩湖を見て、人間の目に美しく見える日もそうでない日も知っているから、輝きを増した瞬間を写真におさめられるのだと思います。

かんせんせいにいただいた前回のお手紙なんて、私から見たら身体性のかたまりです。保育園のお話にも、とても厚みを感じます。

酒井さんが撮っていらっしゃる写真や映像を見ると、いつも自分で手と足を動かして撮影をしている酒井さんを自然と想像します。

夜明け前に寒いなか一人で家を出てカメラをセットし、それでもきれいな雲海を撮れなかった日が何回もあるからこそ、撮影できるカットがあるのだろうなと思います。

お二人が撮る写真は、突然奥多摩に踏み込んで撮れるものではなくて、その写真が撮れるまでに積み重ねてきた時間や文脈がある。OBCの写真を好きなひとは、写真を見たときにその後ろにたしかに何かを感じているはずです。

私たちの先輩であるちゃんちき堂さんなんて、身体性のかたまりのような存在ですよね。

自分の手でケーキを焼き、リヤカーを引いて自分の足で売り歩く。そんな手ざわりのある仕事をしているちゃんちき堂さんの焼くシフォンケーキには、そういう味の奥行きを感じるのだと思っています。


それでも、その土地の暮らしと、そこで生きるひとについて書かせていただくこと。この仕事を選んだ宿命である以上、せめて、できるだけその土地を体験したい。

今年重ねてきた地域取材を通じて、少しずつその思いを強めていきました。

できるだけ長くその土地で時間を過ごし、空気を吸い、風を感じ、普通の暮らしを見せていただく。土地で大切にされてきた存在に、「どうか書かせてください」と祈る。

私の場合、そうやって泥臭く「書く」ことと向き合っていくしかないんだろうなあ。それでも「書く」んだろうなあ。

誰かからの、どこかからの、
有形無形な「手紙」を受けとったからぼくは、
こうしてせっせと「返事」を書いている。

ほぼ日刊イトイ新聞「ネパールでぼくらは。」
#110  「ぼくがこんなに書く理由。」 古賀史健

今年一番しっくりきた、「書く」理由です。受け取って、書く。「書く」ことは、唯一私が続けてきた身体性の伴う行為なのかもしれません。

できるだけ身体性の伴った体験をして、祈りを込めて言葉を世に出すことが、取材させてくださったみなさん、そして言葉を受け取ってくれるみなさんに、少しでも何かを届けられると信じて。来年も書いていきます。


***

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私が東京を離れてから過ごしてきた15ヶ月間は、こういう「今までの自分は何をしてきたのだろう?」と疑問を抱き、自分をまっさらにし、その上に今しかできない体験と思考を構築し続ける日々でした。スクラップアンドビルドの無限ループです。

だから自分でもびっくりするくらい、自分が変わったのだと思っています。変われてよかった。そう心底思えるくらい、大切な気づきをたくさんもらいました。もちろん、かんせんせいと奥多摩にも。

ああ、いい一年だったなあ。結局一年を振り返っていましたね。

この歳になって発見も初めてもたくさんあり、そういうものをくれる方々と出会えて、ずいぶん幸せな人生です。

特に奥多摩には、今年一年で10回くらい行った気がします。まだ一箇所に住むことを決めきれない私にとって、住まなくても物理的に遠くても、奥多摩とこうして取材後も関わり続けられることは希望です。

また来年も、自分なりのやり方で奥多摩と関わっていけたらいいなと思います。とりあえず鍋焼きうどんを食べに行きたいなあ。

今年のお正月にはまだ出会っていなかったかんせんせいと、インタビューをきっかけにこうやってお手紙を書けて、note以外にも近況や考えていることをやりとりできて、うれしいです。

私が奥多摩のインタビューを書いたときにかんせんせいが言ってくれた、「文章に狂気を感じる」「その狂気を大切にしてくださいね」の言葉は、あらゆる地域の表現を支えてくれました。

今年一年、いっぱいありがとうございました。そして次にお会いできるのを楽しみにしています。赤べこ行きましょう。

また来年!

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