自分の役割を、信じさせてくれるもの
いつだって、自分を奮い立たせてくれるのは未来なんだ。
2020年6月4日、伝統工芸品である「和ろうそく」を滋賀で100年以上「つくっている「大與(だいよ)」の四代目・大西巧さんをゲストに、「和ろうそく職人さんとおしゃべりする会」を開催した。
オンラインでの場づくりは初めてなので、まずは友だち限定で。個別に声をかけたら、30名ほど参加してくれた。4月にやってみたインタビューリレーの協力メンバーもたくさんいた。
イベント後、参加者の多くが大西さんの和ろうそくを購入し、灯してみた感想を共有してくれた。
こんなに前のめりに和ろうそくを体験し、感想を聞かせてくれると思わなかったから、とてもうれしかった。
大西さんは、滋賀に引っ越してから出会った一番の師匠だ。
「きくちは何のために書くのか」「誰の、何のお役に立つんだよ」と私に問うてくれている人であり、仕事と向き合う勇気をくれる人。
私はこれまでにも、大西さんと私の友だちをつなげてみたい、そこにうまれそうな可能性を見たい、とぼんやり思うことがあった。
でも、私は躊躇していた。大切な人たちの時間を使う以上、誰の何のための場なのか、自分のなかで定まらなければ動きたくなかった。
それだけ腰の重かった私が、5月下旬に「今動くしかない」と直感し、大西さんに「こういうことをやりたい」と伝えて2週間でイベントを実現した。
場をつくることが、何よりも優先してすぐに動くべき、自分の役割だと思ったからだ。
未来に対して、自分の「役割」があると知った
今年に入ってからずっと、自分の「役割」について考えている。きっかけは、大西さんがくれた伝統工芸との出会いだった。
2020年1月、私は京都で140年以上お茶筒をつくり続ける専門工房「開化堂」の6代目・八木隆裕さんにインタビューさせていただいた。
2019年末、大西さんの工房で開催されたイベント。一番左が大西さん、その隣が八木さん。大西さんにとって八木さんは、工芸に携わる先輩だ
八木さんは職人でありながら、工芸の魅力を国内外に伝え続けているトップランナーだ。そんな人に伝統工芸について何も知らない自分がインタビューさせてもらう意味を、考え続けた。
八木さんを、私は書けるのだろうか。
自分が書く意味を見出せず、「書くのがこわい」と言い続けていた私に、企画から原稿を書きあげるまで伴走してくれたのが、自らもまた伝統工芸にずっと向き合ってきた大西さんだ。
このとき大西さんが問い続けてくれたのが、「きくちは、何のために書くのか」だった。
「工芸に接することがないはずだった未来の人たち。この人たちが、きくちの文章を読んだら、って考えてほしいねん。なにか未来の行動が変わるかもしれへん。少しかもしれへんけど。
つまりやな、きくちも伝統工芸を継いでいく一人なんや」
大西さんは、「きくちは、誰の何のお役に立とうとしているんだ?」と問いかけてくる。「何のために文章を書くんだ?」と。
一人ができることなんて、ちっぽけなら。せめてもの「ちっぽけ」は、「まえ」ではなく「あと」につなげ。
大西さんの文章に、そう言われている。
── 「何のために書くのか」の備忘録
これまで私は、滋賀や取材先で出会った先輩たちがしてくれたことに、何かを返したいと思っていた。
八木さんに対しても、とても多忙ななかで時間を割いてくださった八木さんに喜んでもらえる記事にしたかった。だから、自分には八木さんに返せるものがないことが、怖かったのだ。
でも大西さんは、「返さんでいい、次につなげ」と言い続けてくれた。そして私の「次につなぐ」とは何なのかを、正面から問いかけてくれた。
そして伝統工芸を未来に引き継いでいくのは、作り手である職人さんだけでなく、使い手である自分もその役割を担う一人なのだ、と初めて知った。
なんとかたぐり寄せた思考を、「伝統工芸から受け継ぐ、自分への手紙」というタイトルに込めた。
そうして書き上げた八木さんのインタビューを、友人に「読んでほしい」と送ったら、「開化堂のことを知らなかったけれど、記事に出てきた言葉を仕事中に思い出したよ」と感想をくれた。
こういうことなのかもしれない、と思った。
私の視点でとらえた物語を、私が世に届ける意味は何なのか。
先輩たちから受け取ったものを、私がつないでいきたい相手が誰なのか。
記事を読んでくれた大西さんには「きくち、まだまだやな」と言われたけれど、この頃から明確に、書くことに対する私の意識が変わっていった。
ちっぽけな自分は、本当に未来を変えるのか
それから大西さんと、よく話すようになった。
まだまだわからないことだらけの工芸について教えてもらうときもあれば、他の誰とも話さない選挙や政治の話もする。
自らこの世を去る選択をした一人を思いながら、自分たちに何をできるのかを考える。お互いの大切にしたい部分がぶつかったら、議論もする。
話してきたことを無理にでもまとめるならば、劇的に世界を変えられるわけでもない自分が、それでも未来にどんな一石を投じるのか、次の世代に何をつなぐために必死になるのか、という話であった。
なぜなら、未来をつくるのは自分たちの今の選択だ、と信じてきたからだ。きっとお互いに、そういうものを信じる生き方をしようと決めていた。
でも突然、その意志を揺らがせるものが、ウイルスという形になってあらわれた。
移動ができなくなってから、大西さんは京都・宇治の陶芸職人さんと一緒に、ライブ配信を始めた。
5月上旬からは、民藝をテーマに配信をしていた。たまたま聞いた、「社会」とタイトルがつけられた回で、大西さんが放った言葉を忘れられない。
「僕たちがつくったものが、何かいい方向に社会を変えると信じている。信じているけれど、逆に、何を頼っているんだろうと思って」
「ほんまに僕らがやってることで、変わるんやろうか」
それでもろうそくの役割をもう一度信じようと思えた、という話であったけれど、大西さんが一瞬でも「ろうそくを信用できなくなってしまう瞬間があった」ことが衝撃だった。
自分の弱さとして隠しておくこともできるこういう言葉を、自分の声で世に伝えられるのは大西さんの強さだと思うし、それを発信する理由を未来に見出しているのだろう。
それはそうなのだけど、だけど。
気づいたらライブ配信の画面越しに、涙があふれてきた。
悔しかった。
私に自分の役割を気づかせてくれた大西さんが、ずっと信じてきたものを一瞬でも疑いたくなる事態がおきている。それが悔しくてもどかしくてたまらなかった。
そのあと大西さんと話したら、どれだけ売り上げが減っているのか、会社で何がおきているのかを、教えてくれた。
自分の認識の甘さを痛感した。
一人分が生きていければ十分だ、と仕事が減ってもたいして危惧していなかった私がぼーっとしている間に、社長として従業員さんを雇用し、会社と家を守る立場にある大西さんがどんな日々を過ごしてきたのかを思った。
「ろうそくが売れなくなっているということは、ろうそくが必要とされなくなっているということ」。
大西さんはそうこぼした。
いてもたってもいられず、自分で考えるべきなのだろうに「何か私ができることはないですかね?」とつい聞いてしまった。
「みんなそう言ってくれんねん」と、困った顔を向けられた。
そりゃそうなのであった。
そして、そこで終わってたまるか、と思った。
大西さんがろうそくを信じられなくなった一瞬のゆらぎは、とっくに解決されていたのであろう。
これだけ「次につなげ」と言われてきたのだ、大西さんのために動こうと思ったわけでもない。
ちいさい力しか持たない自分たちが、未来への役割を持っていることを。その役割を担うためにじたばたすることが、ほんの少しでも未来をよりよくするのだと。
そう信じる意志を補強する場が、必要だと思った。次の世代にバトンをつなごうとする私たちのために。
それから二週間、大西さんのおかげでイベントを実現できることになった。
あの場は、私の宣戦布告であった。
ちっぽけな力しか持たない一人の人間が、それでも「ちっぽけ」の意味を信じているために。一人分の、未来への意志という灯を吹き消そうとする何者かに対して、のろしを上げたのだ。
「大丈夫、きくちは書ける」
そう言って私のペンを守ってきてくれた大西さんと、参加してくれる一人ひとりが、一緒に顔を上げて、未来に気持ちを向けられますように、と祈りを込めて。
役割を信じる意志を、補強してくれるもの
中高の同級生から、オンラインで出会って2日の友人、そして友人の友人まで。東は道東、西は長崎、そしてドイツからも。
参加するみんなの興味も違うから、それぞれが持ち帰りたくなる何かを見つけられたらいいな、と願っていた。
そう、祈りだからね。
大西さんにはどんな友だちが参加してくれるのかを事前に伝え、私たちが一番伝えたいことについて語り合った。
それはやっぱり、未来を変えるのは自分たちの選択だ、という話だった。
言い換えれば、どんなにちっぽけであろうと自分の人生を抱きしめよう、生きることをあきらめないでいよう、という祈りだったかもしれない。
当日、大西さんはスライドを使ってまっすぐに言葉を届け、みんなも真剣に耳を傾けてくれた。
アフタートークを終えたときには深夜1時過ぎ。イベントは4時間を超えた。
参加してくれたみんなが、自分の言葉で大西さんに質問したり考えを伝えたりしてくれた。
そして私が想像していたよりもたくさんのものをみんなが受け取ってくれて、想像していなかった未来がたしかに拓かれたように思う。
イベント後、大西さんと参加者のみんながいるメッセンジャーグループにも、SNSにも、会を通じて思ったこと、ろうそくを灯してみた感想が、続々と共有されていった。
大西さんと「こういうことを伝えられたらいいね」と話していたことを、みんなが自分の言葉で語ってくれた。
話を聞いてろうそくを買いたいと思い、その灯から何かを受け取ってくれている。
参加者のみんなにとって「和ろうそく職人さん」だった人が、「大西さん」になった。
「きくちに向けて書く」と言ってくれていた大西さんのnoteは、これからはイベントに参加してくれたみんなの顔を思い浮かべながら、つづられていくのだろう。それがとてもうれしい。
大西さんと参加者のつながりだけでない。一緒に参加していた人どうしが、お互いの感想にリアクションしたり、オンラインで悩み相談をする場を設けたりしていた。
この場がなければつながっていなかったかもしれない人と人とのつながりが、たくさんうまれていた。
のろしを上げて宣戦布告した相手に、勝ったのだと思った。
勝たせてくれたのは、イベント後に私の心に灯った希望であり、私にその希望をくれたのは、一緒に未来を向いてくれる仲間であった。
意図せずして、あの場が信じさせてくれたのは、ちっぽけな私の力だった。自分にできることがある、担うべき役割がある。もう一度、そう信じさせてくれた。
けっきょく私が、いちばんたくさん、もらっちゃったな。
大西さんはイベント後、こんなnoteを書いてくれた。
でも「知らなきゃよかった」と笑いながら、知ることを、知ろうとすることをやめないでほしい。
知った人が未来を作るんだぜ。
一人ができることなんて、ちっぽけだ。
そんなことを、ぼくたちはもう知っている。何かに必死になったところで、そう大きく未来は変わらない。激流に一石を投じても、その石は流されてしまうかもしれない。
でもそのちっぽけを、ぼくたちは信じていたい。
一人で信じているのがしんどくなったら、消えかけた灯を、そして一人分の灯をたやさずにいる勇気を、隣にいる人に分けてもらえばいい。
だって、ぼくたちが未来につなぎたいものを、届けたい人がいる。
ぼくたちの行動が未来を変えるのだと信じていなければ、何も変わらないんだから。
「岡崎さん、これは誰かに届くのかなあ」五郎は歌うでも、嘆くでもなく、のんびりと言った。「なあ、誰か、聴いてるのかよ。今、このレコードを聴いてる奴、教えてくれよ」
俺からは、マイクを握った五郎の後ろ姿、かろうじて左の耳が見える程度だったから、どういう表情で喋っているのかは分からなかった。ただ、いつもの穏やかな口ぶりではあった。「これ、いい曲なのに、誰にも届かないのかよ、嘘だろ。岡崎さん、誰に届くんだよ。俺たち全部やったよ。やりたいことやって、楽しかったけど、ここまでだった。届けよ、誰かに」五郎は言って、そして清々しい笑い声を上げた。「頼むから」
間奏が終わり、五郎は何事もなかったかのように、また、歌いはじめた。
(中略)
「うるせえな、とにかく、おまえたちの曲が回り回って、世界のためになる。そういうこともありえるってことだよ」
── 大西さんがおすすめしてくれた小説・伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』より
だって大西さんのろうそくは、あなたが大人になった未来につなぎたいものだから。
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