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1932年ララ洋菓子店の事、少し書いておきます

前回は「作る⇒造る⇒創るの違い」の途中まで来ていましたが、まだ始めたばかりで他の方、先に始められているパティシエさん達の記事を見て
そうか自社PRとかして良いんだ、会社紹介から入るんですね、と納得。

そこで、『創る』へ行く前に自分とララ洋菓子店の話を少ししたいと思います。
前回までに「職業講話」などで話す機会があってと言っていたと思いますが、小学校・中学校・高等学校・専門学校の全てお店の近隣市町での依頼です。
つまり、「ララ洋菓子店」を知っていてくれるであろう静岡県東部の方々(子供たち)なのです。
講話内でも初めに『おじさんのお店知ってる人?』などと掴みで使います。
(ローカルですが、テレビやラジヲ、ショッピングセンターでのイベント事などで顔を出したりしてますので)

1932年(昭和7年)に、三島広小路にララ洋菓子店を祖父母が開業します。
祖父・儀雄は本家「芝町・菊屋」の次男坊で和菓子を修行したわけでもなく機械工学が好きで、当時珍しかったカメラいじりなどが好きでした。軍隊でもその様な部署であったと聞いています。
当初は、洋菓子と言うより軍用のパン(韮山・パン祖、江川担庵)を研究した仲間と仲良くなりお店を開くことを決意。
東京からちゃきちゃきの江戸っ子・千代子(祖母)を連れ帰り住居兼店舗(カフェ併設)を始めます。独立の洋菓子専門店は静岡県ではまだ珍しく洒落たお店と看板娘として開店当初から評判だった様です。

戦前、戦中、戦後の話などと著名人、財界人などの逸話もテレビ(静岡ローカル)などで話したり、特に「太宰治」がコラム紙に書いたり、友人に語った話などは、又の機会に。
三島宿のララ洋菓子店。その長男(二代目・恒明)の長男として自分が昭和40年に生まれます。(自己紹介を参照ください)


次回は本当に「作る・造る・創るの違い」の話の続きです。

静岡新聞記事、ララ洋菓子の初代女将・千代子は江戸っ子でした。


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