見出し画像

『下田喜久三小伝』を片手に ーーこれから書いていきたいこと

 北海道出身の農学博士に下田 喜久三(しもだ きくぞう)という人物がいます。


 氏は明治初期に北海道の岩内郡で生まれ、大正~昭和にかけて農業分野に限らず様々な研究・活動を行いました。日本におけるアスパラガスの栽培を成功させ、肝油製造法を開発して肝油ビタミンを研究し、栄養学を中心とした女学校を設立するなど多くの功績を残しています。

 北海道開拓期に移民二世として生まれ、戦前から戦後にかけて寒地における生活をより良いものとするための"生活科学"を研究した下田喜久三博士。その兄弟を含めた北海道発の種々の活動は日本各地にも多くの影響を与えているものの、その記録は岩内町を中心とした彼らの活動地域に留まっており、北海道内ですらその知名度は決して高くはないと思われます。

 昨年、私は縁あって下田兄弟が活躍した後志地方(後志振興局)に属する町に移住してきました。そこで、下田喜久三博士の息子にあたる下田晶久氏が私家版として執筆した『下田喜久三小伝』(2005、平成17年)を17年の歳月を経た今になって初めて熟読しています。
 私は『下田喜久三小伝』が完成した年にこの本を貰い受けていましたが、当時はあまり縁のなかった土地での出来事に「アスパラを日本に広げた凄い人らしい」という記憶が残っただけでした。岩内町が比較的身近な土地となった現在に改めてこの本を開いたことで、下田喜久三博士とその兄弟の偉大さを改めて実感し、これを元に氏の足跡を集めることを思い立ちました。

 奇しくも下田喜久三博士がアスパラガスの栽培を開始した1922年(大正11年)から今年がちょうど100周年であることに気づき、せっかく調べるならばとここにその記録を残していこうと考えています。
 見切り発車で始めた取り組みであり、私には文筆・執筆の経験もありません。どこまで続けていけるか分からないという不安もありますが、『下田喜久三小伝』の内容を大まかに紹介しつつ、そこから派生する情報を追記していきます。

 なお、下田兄弟に関する記録は岩内町郷土館が積極的に収集しており、常設展として貴重な品々が展示されているはずです。『下田喜久三小伝』も元々は岩内町郷土館に展示されている遺品の数々を補足するために執筆されたものと聞いています。残念ながら私は同館を十年以上前に一度訪問したきりで、現在の姿やその歴史を引き継いでくださっている方のことを知りません。是非改めて訪問をと考えているものの、移動手段の都合上いつになるか目途がたっておりません。よって、これから私が記述していくことはあくまでも私的な記録であることをご了承願います。
 その上で、何方かにとって下田喜久三博士に興味を持つきっかけになれれば光栄です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?