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49歳の時、気功と出会い、その後、1000人以上気功治療をしてきた方の体験談です。(中編)

盛鶴延先生の気功教室に参加されている方に、気功を学ぼうと思ったきっかけや体験してみた感想などをお伺いしました。

今回は、盛鶴延先生が2001年から7年間教えていた福建医科大学日本校気功専科(以下福建)に49歳で入学し、卒業後1000人以上の方の気功治療を行ってきた60代の女性の方です。(プライバシー保護のため一部編集しています)

***


福建での体験入学が終わった後、
教室に1人残っていらした盛鶴延先生に、
入学の希望を伝えました。

「こちらの学校に通いたいのですが」

しかし、盛先生は私を見てはっきりと言われました。

「無理だね」

「・・・・・・?」

 ええーーーーっ!!!

驚く私に、その理由を説明してくださいました。

「今の君の状態だと
 とてもじゃないが
 体力的にも
 この学校に通うことは難しいね。

 だから学校に入学することは
 おすすめしないね」

そして続けて言われました。

「今の君は
 マイナス120%だね」


気功ではよく
気が100%、110%という言い方をします。

疲れていたり、病気になったりすると
気が70%、50%になります。

でも気功をして気を補うと
100%とは言えなくても
元の良い状態に近づいていきます。

そして更に修行して
110%ぐらいまで補うことができたら
その10%分を治療に使うことができます。

逆にいうと、
自分の気が100%超えないないのに
気功治療をしてしまうと
自分の気を治療に使ってしまうことになるので
危険です。

その気が、
私は
120%ならぬ
マイナス120%だと言われたのです。

もちろん当時は何を言われているか
さっぱりわからなかったのですが、
今になるとわかります。

私は生きていなかったのです。

体こそ、
骸骨にように痩せ細りながらも
この3次元の世界にありましたが、
気的には死んでいたのです。

マイナス120%の世界を
彷徨っていたのです。

そのことすら気づいていない私を見つめる
盛先生の目をみながら
突然、あっと思い出しました。


この先生の目。
あの時の気功老師の目だ!

実は、まだ夫が生きていて、
私の体もそれほど具合が悪くなかった頃、
何気なく見たテレビに
盛先生が出演されていたのです。

テレビ東京系全国ネットで放映されていた
「レディス4」だったと思いますが、
その時のテレビ越しに
盛先生の目を見ながら

「私、この先生と絶対に会う」

と隣にいた夫に言ったのです。

その頃はまだ夫から、
「お前には気功が合う」とも
言われていませんでしたから、
気功自体、全く知らない時でした。

でも、その時の盛先生の目を見た時、
なぜか、
この先生に会う、
絶対に会う
と確信したのです。

でも、そんなことすら
すっかり忘れていたわけですが、

福建で盛先生の目を見た時、
「あの時の先生だ!」
と思い出したのです。

なのに!
まさかの入学拒否です。

その時、私はとても悲しそうな顔を
していたのだと思います。

盛先生はそんな私を見て、
可哀想に思ったのか
こういう提案をしてくださいました。

「君の今の体力だと、
 この大学で気功を2年間学ぶことは
 難しいと思う。

 ただ、どうしても気功を学びたいと
 思うのなら、
 試しに僕が他で教えている
 気功教室に来てみたらいい。

 そこだと、
 いつでも自由に来ることができるので、
 君の体力に合わせて参加できるから。

 そして、それでももし、
 まだ気功を学びたいと思うのだったら、
 来春、もう一度、この大学を受けに
 来てみたらどうだろう」

そして再度、念を押すように

「よーく、よーく考えてね」

と言われたのです。

確か時期的には10月頃だったと思います。
なので半年間、考える時間を
与えてくださったのでした。

***

当時、盛先生は自由が丘教室の他に
東京の神楽坂で月2回、
気功を教えていらっしゃいました。

私は早速、
神楽坂の教室に体験入学に行きました。

ちょうど、1日ワークショップが
開催されるとのことだったので、
それに参加することにしたのです。

しかし、盛先生が言われた通り、
私は体力的にかなり厳しい状態で、
神楽坂の教室に
杖を付きながら辿り着くだけでも
息切れ切れで、
体験入学に来ながら、
気功をすることもできず、
教室の隅に寝転がっていました。

しかし午前中が終わり、
お昼ご飯を食べる頃になると、
なんとなく座っていることが
できるようになり、

午後からは座って
上半身だけでも
盛先生の動きを真似することが
できるようになっていました。

そしていつの間にか
立って真似できるようになり、
帰る時には
普通に歩けるようになっていたのです。

帰り際、
「杖、杖忘れているよ!」
と言われて、
自分が杖もつかずに
すたすた歩いていることに
気づいたのです。

それから半年間、
神楽坂まで通いました。

そしてようやく翌年の春、
晴れて!
福建医科大学日本校気功専科に
入学することを許されたのです。

(次に続く)

***

(編集後記)
盛鶴延先生と、彼女の出会いの話は
気のつながり世界を象徴するようで
とても興味深かったです。

この後、2年間、福建で学びながら
1000人以上もの方々を気功治療が
できるまでになられるわけですが、
次はその授業のお話をお届けします。

どうぞ次回も
楽しみになさってください。

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