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巣ごもり生活で向き合った「家族の食卓」。これこそが究極の「会食」である|おじさんになってもまだまだ学べる!会食のススメ#1

編集長のミスターS.Kです。

いやぁ、困りました...。
まさかのコロナ騒ぎで、これを書いているのが4月7日。
前回の記事で、会食の素晴らしさを綴っていくと決めたものの、今日の夕方に緊急事態宣言が発令され、会食はおろか、普通の外食でさえはばかられる事態となってしまいました…。
あちゃ~。。。という感じです。でも、このタイミングでお話ししたい会食のススメがございますので、記念すべき第1回は家族会食のススメをお話しします。

そもそも私がこのテーマを選んだのは、この十年位、午前中は会議、昼からは外部の方との打ち合わせや外出、夜は会食というルーティーンで月曜日から土曜日を埋め、日曜日だけがオフという生活を送っていました。
忙しいというよりは忙しくしたい感情が強いといった方が正しく、予定を詰めるのが趣味になっていたと言っても過言ではない感じでした。

ですので、日課の会食をテーマに、色々お話ししたいことがございましたが、このタイミングですと非常に不謹慎な話題になりかねません。
先に述べたように私がこの記事を書いているこの瞬間は、今にも非常事態宣言発動かという直前の時、且つ不要不急の外出制限という最悪の状況下ですから(笑)。

というわけで、今、旬だと思われる家族会食について書いてみたいと思います。
どう旬かというと、滅多に家族全員が揃うことのなかった家庭が、コロナ騒ぎのお陰で家族が一同に会すという機会が急激に増えました。そして、皆で食卓を囲むというシチュエーションが多くなり、少しの戸惑いを感じている親父さんが増えているのではないでしょうか。

一見当たり前のようでいて当たり前ではないこの「一家全員集合」という条件で食事をすることになったこの状況を、私は『団らん』ではなくあえて『会食』と捉えています。

また父親という立場としては、普段仕事や外出のため滅多に家に居なかった自分さんが、飛行機がランウェイにスムーズに着地するように、自然に家族に受け入れてもらえるのか?という試みが、相当数の家庭で行われているのではないでしょうか。

このシチュエーションで「家族団らんする」ということはまさに会食といえるのではないでしょうか!!

一般的には人と会って食事をすることを会食と言いますが、ここでは、少し気遣いやもてなしの精神の入った複数名の食事会のことを会食としていますので、そういった意味ではまさしく家族揃っての食事は『会食』なのです。

そう、家族会食が今、花盛りなのです!旬なんです!!

だんだんと家族会食のススメの重要性に興味が湧いてきたのではないでしょうか?(笑)
家族会食の意義がご理解いただけたと思いますのでそろそろ本題に入らせていただきます。

家庭内における父親の存在感

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昭和生まれの私の子供の頃は、夕食時の一家団らんが日常的にありました。

実家が自営業で、両親共働き、職場と自宅が同じでしたので、食事時は家族全員がそろって「いただきます」をしてから、皆で食事をするのが日常でした。

また私の暮らしていた大阪市生野区というところは、土地柄として家内工場も多く、隣近所や友人宅も同様で、そんな風景は日常的であったように思います。
テレビアニメのサザエさんなどで、波平さんやますおさんが居酒屋で一杯引っ掛け、酔って帰宅する親父さん像をを観たりすると、世間の会社員家庭は接待や会食、付き合いなどで、平日の夕食は父親不在のことも多いのかなぁなどと、幼いながら感じていたのを覚えています。

そして時が経ち、この仕事を始めた平成10年代、私が30代前半の時期、現在の法人がデイサービスなどの在宅系介護事業のみを運営していたころで、夜勤なども無い時期でしたので、私は遅くても8時までには帰宅をし、家族で食卓を囲む日常を送っていました。

とはいえ、夕食は家族一緒にとか、団らんしなければとか、そんな意識に囚われていた訳ではなく、普通にお腹が空くため、毎日その時間に帰宅をしていただけでした(笑)。

残業がそれ以上に必要な時でも、一度自宅に戻り、食事を済ませてからまた仕事場に戻るようにしていました。

ですが、同世代で且つ会社員の方たちは恐らく自らも、幼少期に家族揃っての食卓をそれほど経験しておらず(※昭和時代は週休1日程度だった)、自分自身も週末パパになっているケースがほとんどだったのではないでしょうか。

ですので、一般家庭の親父さん像はイメージではありますが、

❶たまにしか見かけない
❷且つ見かけると小言を言う
❸時には権威を振りかざす
❹つまらないジョークを言う

など、家族からはちょっと煙たくて、煩わしくて、嫌いとまでは言わないものの、あまり歓迎すべき存在ではないのではと想像していました。

ということは家族会食を成功させ、家庭にもう一度自分の居場所を確保するには、この想像に難くない負の要素を消し去ってしまえば、歓迎すべきまでとは言わなくとも、自然に食卓の一員として馴染み、溶け込んでいけるのではないか。
これからしばらく続く家族で囲む食卓を居心地の良い空間へと昇華できるはずだと考えました。


そう考えた私は、まず家族会食の準備として、先ほどの分析を参考に、以下の方法を考えてみました。

⓵自宅内でもたまにしか目に触れさせない工夫
自宅にいるときは寝室にいるか率先して買い物に出かけるなど、家族が自分を見かけない時間を増やす工夫をする

⓶小言 = 注意や意見は言わない
子供と言っても社会人・大学生・高校生ではあるが、話せば説教臭いことを言いたくなるので、基本的に声を掛けない

⓷権威 = 上から目線の物言いは言わないまでも控える
⓶と被りますが、あれしろこれしろやダメ出しをするのが日常茶飯事であるため、引き続きこちらからは声を掛けない!『忍耐』あるのみ!

⓸自分で評価が高いジョークでも発しない
これが辛いのですが、笑いのツボは多種多様、千差万別。ウケない怖さよりも、ウケなければならない辛さを慮(おもんばか)れ!と自分に言い聞かし、面白い話を自分の内に封じ込める。

どうですか⁉もう禅の世界に近いですね。
しかし、導入さえ上手く行き、ある程度場が温まれば、存在を自然に受け入れてもらえるのではないでしょうか。

しかしそこまででは、ただの「ちょっと気遣いのできる親父さん」レベルの話。快適な在宅ライフにするには、コミュニケーションを図らないといけません。そう、ここで会食の出番です。

家庭内会食における演出方法

会食というからには、どんなメニューで、どんな風に卓を囲んで、どんな内容の話をするかのフルセットで準備しないと、快適な在宅ライフの入手という目的達成にはなりません。
いつも外で会食のメニューを考えるときは、相手の方にいかにスペシャル感や特別感を感じていただけるかを大切にしています。
それを家族に置き換えた場合、どのようなもてなしになるかが、一番重要なポイントです。

一番手っ取り早い方法、それは『自分も作る』ではないか。しかし、私は今まで一人暮らしの経験もなく、幾度かは台所に立った経験はありますが、正直自分が調理したものは食べたくないレベル。ですのでこれはNG。

次に考えたのは、高級食材を買い並べて誤魔化す。反則技でもないし、喜ばれる可能性は高い。しかし、モノに頼るのは敗北感が襲ってくる。。。いわゆるプライドが許さない。

そんなにアイデアもないまま思いめぐらせても仕方ない。答えが出てこないときは、とりあえず買い物へ行くべし。といそいそと近所のスーパーへ買い物に出掛けてみることにしたのですが、到着するなり入り口近くの陳列棚で目に入った食材、それは私の大好物の『サツマイモ』!

家族でよく食事に出かける居酒屋で、一番最後に必ず食べるデザートのことを思い出し、この瞬間に会食メニューが完全にひらめきました。それはサツマイモを使い、バターと蜂蜜で味付けをした“サツマイモバター”です。これなら出来そう!しかも、自分の好物なものを作って、家族にふるまう!これは会食の極みではないか!!!!

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ここまでくれば、食事は自分がしなくても大丈夫。むしろ、先に述べたできもしない台所活動で、皆の目の前をウロウロするほうがかえってマイナス。ウザいと思われては元も子もない。

食事が終わるまでは何食わぬ顔で過ごす。
そして食後におもむろに台所に立ち、芋をザクザクと切りかかる。
多少メニューがしょぼくとも、自らが調理することの意義、そのスペシャル感の演出の影響は計り知れないはず。かと言って、私が独りでやりきることにはそれほど価値があるとは思えない。まずくては迷惑行為になり下がるからだ。

そう自分に言い聞かせ、やり方は妻に聞きまくりながら、それでも最後まで不器用ながら仕上げる。所詮、サツマイモバターなんて、どんなに失敗してもまずくなることはないだろう。出来上がったそいつを振舞えば、会食のフィニッシュは飾れる。完璧なプランではないか…!

そうして出来上がったひと盛のサツマイモバター。このおもてなしが家族に受け入れられ、家族団らんの中に自分の居場所獲得が、いよいよ最終段階になりました。
決して上手とは言えないそのデザートですが、まずまず見かけ、失敗ではない食感と味、皆の薄っすらとした反応。家族がそれを口にした瞬間…!

無反応………。


勇気を振り絞って聞いてみる。

「パパが作ってん。どう?」

家族全員から抑揚のないコメント。

「おいしいよ…」

ここで、言い忘れておりましたが、我が家は5人家族。
妻、長女:社会人、次女:大学生、三女:高校生。

私以外全員女。

また、普段から妻は飲み友やお稽古事の仲間と食事会、長女は仕事帰りは友人たちと外出三昧、次女は九州で独り暮らし、三女は出前大好き人間で家族がいないと出前が食べられる!と喜んでいる。

ここでやっと気づいたのです。最近、家族全員が揃わないのは、なにも私だけの責任ではなかったということに。

なので、誰もがそこにそれほど意識がなかったようだ。。。

こうして、結構気にしていた家族に上手く着地することを目的にした会食でしたが、私以外は誰もそこにさほど価値をおいていなかったようです…。これが令和時代の価値観なのかもしれません。

また、親父の存在感は自分で思っていたよりも全然小さく、影響はありませんでした。平たく言うと、居ても居なくても気にされていなかったという…。

それを、いかに家族が気にしているかという風に期待を膨らませている自分の心の浅ましさに気づくことになってしまいました(苦笑)。

いまこそ家族の食卓を充実させるとき

私の「家族間会食作戦」は空振りに終わったわけですが、会食の醍醐味は「誰に、どんなシチュエーションを用意し、どんな反応が返ってくるかを楽しむ行為」なのかと思います。
そして、それが期待した結果にならくても、それを楽しむ行為だとも思います。

コロナウィルス騒ぎで自宅待機を余儀なくされ、偶然にも昭和時代に戻ったような夕食時間。今、それをどう過ごすかという技を、会食技術で試してみてはいかがでしょうか。

Text by ミスターS.K


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