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夏の風景

noteをちょっとずつ書き始めて、わずかではあるけどポツリポツリと反応をもらって嬉しい。今後も日々思ったことを週1くらいのペースで書いていけたらなと思ってます。日記のような、手紙のような。

生きるということの問いに対する答えを日々出し続けてる感じっていうのがあって、音楽、絵、文章、そのどれもが、いやもっと言えば料理をつくること、部屋を掃除すること、庭の野菜や植物たちに水をやること、そのすべてが毎秒、瞬間瞬間で答えとして打ち出されている。持続的な答えなんてなくて、その瞬間瞬間に自分でものを考え、行動するということが生きることに対する切実な問いかけであり答えであると思う。
生きる道筋ってものが、線で繋がってるように見えて、実はすべて細かな点の連続であるような感じがする。その一点一点が常に答え、っていう。

開いている状態と閉じてる状態って、断然開いてる状態がいいっていうのが基本ベースにある。開いていくとマジでウチの庭で好き放題茎を伸ばしてるミニトマトと同じように、伸びたい方に伸びて開いて行く。この向かい方がすごい自然で、綺麗なんだよなーとても。人との関わり合いとか出会い方っていうのが、その開いて伸びていった先にあるととてもいい出会いになるしさらに開き具合が連鎖していく。自分がこれ好きだなあ!とかこれ良いよなあ!っていうものを言う前からにやにやしながら伝える感じで、それを交換しあえる関係ってめっちゃいい。それはたとえ恋人じゃなくても友達じゃなくても、この人にこれ教えたいなあ!って感覚。今年はそういう出会いとか関わり合い方がより加速していってて、すごく精神衛生的にもよくなってる。

かといってくすぶってる、葛藤してる、「畜生」という迷いや憤りも美しいし、開いてく最初のモチベーションはむしろ閉ざしてる側にあるって思う。逆に慢心で置きに行った作品はつまらない。死なない限り続いていく生命の迷いやざらつきって慢心して洗練され完成された作品よりも(本当は完成とかないんだけど)物凄いエネルギーを放っている。だから全然落ちる時があっていいしその時間にも間違いなく脳はなにかを考えてるし。もしかしたらオーバーヒートしちゃってつかれてんのかも、とか。オープンもクローズも大事。とても不思議な話ではあるんだけど、やっぱそれは表裏一体っていうか。
この人合わないなーとかってあるけど、きっとそれは一過性のものっていうか、いろいろ迷ったり悩んだりしたあげくにパーン!と開き直れる瞬間を確かに持ってる人とはいつかまたどっかで会える気がするし、深い迷いの森を彷徨った人はより強いし深いやさしさを持ってる。

植物でも、ボロッボロで枯れかかってるのに 胴の辺りから若い勢いのある枝が生えているさまや、雪害で一旦折れてしまった枝先からさらに湾曲しながらも新たに天高く昇ろうと枝を生やしているそのさまを見ていると、うわあすげえ!ってなる。フォルムってあるよなあ。人間も植物も虫も、フォルムがすべてを表してる。


エサキモンキツノカメムシってやつ

それこそ今朝起きたら網戸に背中にハートマークのついたカメムシがいて即Googleレンズ
先生で調べたら『エサキモンキツノカメムシ(江崎紋黄角亀虫)』という名前で、「フォルムもかっけえし名前もかっけえ!」って思ってたら関連画像で虫の一覧が出てきておお!これは!なんか見覚えあるぞ!と思ったらアフリカンマスクにそっくり。アフリカンマスクってマジで昆虫をモチーフにしてんじゃないかってくらい昆虫ぽくて、かっこいいんすよ。見比べてくださいよコレ。


どっちも見てて生命力溢れててめっちゃテンションあがる。昆虫や植物の葉っぱなんかを見てるとだんだん仮面に見えてきて、それこそ確か縄文土器とか土偶はそういう虫や植物をモチーフにした説あるけど、脳内では生み出し得ないような不思議な模様やフォルムをしてるものってえも言われぬ独特な感情になる。

それで思い出したけど、小学校の頃うちの親父がログハウスを建てるって言うんでその間の数年間集落内の少し離れた所にある教員住宅の平屋に家族5人で住んでたことがあって。そこの風呂の浴槽の上に突っ張り棒で支えられた洗濯かごを親が置いてたんだけど、毎日服を脱いだらそこの壁に投げてかごに入れてて。そうすると湯気の細かい蒸気のついた壁に投げた服の跡がついて、当時毎日オリジナルの妖怪を描いてた自分は「これは妖怪だ!妖怪に見える!」とその跡を見ながら妖怪を描いてたんだけど、おもしろいことに毎日毎日違うからマジで無限に妖怪描けるっていう。そんな小学校時代を過ごしていました。

そういう風にものを見てるとやっぱそういう眼になって来て、忘れもしない1997年の8月25日、小学四年生だったぼくは、その日学校の登校日で(同時にぼくのいとこが転校していった日でもあった)、登校日を終えて帰ってきたものの学校にうわばきを忘れて取りに戻ったんだけど、戻ったときに運動場に地上から天に向かって階段のような形の霧のような雲のような大きな物体があがっていくのを見て、「これはお盆に帰りそびれた霊たちを迎えに来た妖怪だー!」って思って、っていうかそういう風に見えたんですよ。そんでそれを脳内に記憶して即うちに帰ってスケッチブックに描いて、「やふたいつ」って名前をつけた。8月25日だからやふたいつ。だから大人になった今でも毎年8月25日になるとそのことを思い出す。いや、もしかしたらまだ大人になってないのかもしれないけど(笑)。
それをもとに10年近く前に、てけれっつっていうバンドをやってた時に『立ちくらみ97’』っていう曲をつくった。

あついあついと呻きつつ  遠い夜空に手を振って
ハンコ注射の跡残る 焼けた二の腕ピアニシモ

初めて嗅いだ夏の匂い 初めて聴いたあのメロディ きっと死ぬまで忘れない
擦り切れたとこまだ痛む

国道265号線 奈佐木(当時の歌詞は多良木)西米良 椎葉村
錆びた軽トラお通りよ 風に消えてく排気ガス

十万憶土へ伸びる影 青空飲み込むやふたいつ
転校しても友達だよ もう会えないのも知ってる

あついあついと呻きつつ 見えなくなるまで手を振って
トンネル抜けたらそこは雨 夏の終わりを告げる雨
夏の終わりを告げる雨

十万億土っていうのは極楽浄土のことで、水木しげる著の漫画『のんのんばあとオレ』の中で当時小学四年生だった水木しげるが、都会から病気療養で田舎にやってきた千草さんという女の子と出会って仲良くなるんだけど、ほどなくして病気が悪化して亡くなる直前に千草さんとの思い出を絵にして描いていたらどんどんイメージが湧いてきて、イメージの中でふたりでそれぞれ極楽に向かう白鳥に乗って空を飛んで行くんだけど、九万億土へ着いた所で千草さんは十万億土へ、水木しげるは乗っている白鳥に連れ戻されて涙の別れをするっていう話があって。
十万億土へ飛び立つ千草さんと転校していくいとこと運動場でみた妖怪がすべてリンクして歌になった。
なったっていうより、その時からずっと鳴っていたんじゃないかっていう。というのもそれより以前の1992年に実はテレビドラマでのんのんばあとオレが実写化されて放映されていて、当時4歳だからまだ保育園にいた時のぼくはそれを観た記憶が強い印象として残ってるんですよ。

夏の風景でいうと、のんのんばあとオレと、同時期に放送されていた、芦屋雁之助演じる山下清のドラマ『裸の大将』。それと『となりのトトロ』。うまく言語化できないんだけど、その3つがおんなじ匂いを放つ夏の風景として常に頭の中にあって。

さらにそこに積み重なるようにして、去年リリースされた前野健太のアルバム『ワイチャイ』に収録されている『戦争が夏でよかった』という曲。この曲のMVを観た時に、走馬灯のように瞬時にあの夏の風景っていうのがぶわあああっと浮かび上がった。「ああ、おんなじだ」っていう。たまらず涙が溢れた。

あるインタビューの中で前野健太が、終戦の前の年の夏に沖縄から長崎に疎開する疎開船が米軍の魚雷攻撃によって爆撃され、乗船していた1700人のうち約1500人が亡くなった「対馬丸事件」というのを知った時に浮かび上がった歌であることを語っていた。初めて聴いた時はそのタイトルに衝撃を受けたが、それと同時に歌い手である前野健太自身もそうだけど、聴く側にもそれなりの覚悟が必要な歌だなと思った。ここまで時代に流されるままに、興味の対象から外れた瞬間スルーされ流されて忘れ去られていく現代に、ここまで強くそこに踏むとどまっている音楽ってなかなかないし、この混沌とした現代に生み落とされて今を生きているすべての人々に対しての切実な問いかけのように感じた。「それでも生きているぼくらってなんだろう?」と。

「戦争」というワードをからめてひとつ話すと、すぐに浮かび上がるのは今から5年前に亡くなったぼくの父方のばあちゃんのこと。
1945年8月9日、当時長崎で女学生をやっていたばあちゃんは、ちょうど軒先に洗濯物を干そうとしている時に原爆により被爆した。だからつまり、ぼくは被爆三世ということになる。
もしあの日あの時ばあちゃんが被爆により亡くなっていたら、今確実にぼくはここにいない。だからという訳じゃないんだけど、そういう過去があってもなくても、やっぱり生きていかなくちゃなんないんだなあっていう宿命めいたものが常にあるし、それは自分以外のすべての人も含めて。全部他人事じゃないんすよね。

『戦争が夏でよかった』の歌詞は最後に
「あついあつい炎の中 声はまだ空の中 声はまだ海の底」
と締めくくられている。
その言葉はぼくにとっては、「あなたたちの命はこの時代の空にも海の底にもちゃんと存在しているんだよ」って聞こえる。途絶えた命も続いていく命も同様にそこにあり続けるし、そうであると思いたい。
まだばあちゃんが生きてる間も、ぼくが東京へ出て行ってしまったから会う機会が少なかったっていうのもあるのかもしれないけど、亡くなった今も、まだずうっと実家にいる気がするんですよね。本当に人に別れって存在しないんじゃないかってくらい。命はちゃんとそこにある。










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