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ション横の気分

「今夜飲むならちょうどここ」という気分の時がある。ここ以外ではしっくりこない気分というのが絶対的にある。あるったらある。

脳みそは記憶、気温、湿度、天気、気圧、今いる環境や場所、昨日の出来事、今朝の食事の余韻、さっきまでの会話などなど、あるゆるパターンの細分化によって気分というのは常に変化していて、ふたつと同じ時なんてない。そんな時一番しっくりくる音楽、というと一番わかり易いかもしれないが、それと同じで「今夜飲むならちょうどここ」という夜が存在するのだ。

一度体験した飲み屋の記憶は店内の煙の匂いや質感、テーブルの油のベタつき、空間、大将の動きや喋りのテンポ、短冊の色褪せ具合、常連客の雰囲気、グラスの種類や醤油の配置、メニューのラインナップなど、総合的に五感で感じ取っていて、脳裏にこびりついている。
その幾重にも重ねた数々の居酒屋での記憶が体に染み付いていて、酩酊した体の記憶は帰りのアスファルトの濡れ具合から街頭の揺れ具合から断片的に覚えていて、すべてが完璧な夜というのもあるし、すべてのピースがバラバラな夜もある。

数々の飲み屋の記憶。それは武蔵溝ノ口のかとりやというもつ焼き屋だったり、立川の日高屋だったり、ション横のカブトだったり、国分寺のいながきだったり、小林のいけのやだったり、霧島のスナックjijiだったり、浅草のホッピー通りだったり、武蔵小金井にかつてあった居酒屋乾杯だったり、神戸の高田屋だったり、新潟古町のガンガンだったり、はたまた村上のバー白馬だったり、、、。

店名をあげればうっすらだがその夜の記憶が情景とともに蘇る。すべて体の中にある。
だから現在地点がいま宮崎県小林市にいようと、記憶を辿れば瞬間的にション横へも行けるし那智勝浦にも行ける。新世界へも行けるし、山口の長沢ガーデンにも行ける。

時折とても人混みに紛れたくなる。今日は宮崎県小林市野尻の山の中で仕事をしていたけど、地域のネットワークの中で地に足を半分くらいつけつつ、脳みその半分は新宿へ飛んでいた。トぶ、という表現の方があっていた。モヤモヤやストレスの根源を細かく丁寧に紐解いていくと、結構タネ明かしが出来てくるもので、それは訓練の賜物なのだけど、今日の気分は地元の人らとしゃべんのめんどくさくてひとり、ション横で人混みにまみれて外国人観光客とすれ違いながらガチャガチャと言葉と中央線の電車音とのノイズに埋もれながら第二宝来家のカウンターにどっかと腰掛けひとりでコブクロ刺しをぐるぐるかき混ぜたい気分だった。ネットですぐさま調べたら、今日は営業中になってる。胸踊る。

この文章を書いている瞬間だけぼくは今ション横の第二宝来家にいる。カウンターの左側には20代と思しきサラリーマンとOLが仕事の話をしながらチューハイとポテサラをやっている。グラスの汗がカウンターに滴の輪を描く。それをお絞りでふいてメニューを一瞬見たり焼き場のお兄さんを見たり、通りの人々を見たり。麒麟の瓶を空けて2本目を頼もうか迷っている。外から生ぬるい風が吹き込んできて、なんとなく、ああもう帰ろう、と思い、お会計を頼んだ。ふう。

こっちへ戻ってきた。

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