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自動車逃亡バラード

えー、ちょうど10年前に『自転車逃亡バラード』と称して、東京から宮崎の実家まで自転車で帰ったことがある。以前の記事の中でもチラッと触れたけれど、なんの思いつきか、突然に帰ろうと思ったのだ。だから確か、24歳の時だな。


出発時の自転車のようす

帰る道中での出来事を、Twitterで実況中継しながら、1日の終わりにはその日の移動距離や道中で撮った写真を載せてブログにアップしていた。当然宿に泊まる金などないので、毎日野宿。冬の野宿、しかも安モンの寝袋はさみいんすよこれが。さみいなんてもんじゃない。朝起きたらペットボトルの水が凍ってたこともあった。近くに設置されている温度計には「−2℃」の文字。そりゃさみいわな。

旅の初日は神奈川県寒川町にて、当時毎年寝太郎と称して山奥で小屋暮らしをしていた(今もされているのかな?)Bライフのパイオニア的存在である高村友也さんが所有していた無人テントサイトに泊めさせてもらった。

スモールハウス/高村友也著
寒川町のテントサイト

その時口座の残高が400円しかなくて、「この人大丈夫なのか?」とTwitter経由で心配されたのを記憶してる。

実家に辿り着くまでにかかった日数がおよそ20日間。道中カップ麺をいただいたりお金をいただいたりタイヤがパンクしてどうしょうもなく、飛び込みで近くのお宅に突撃して出勤前にも関わらず空気入れ貸してもらったり、熊本の道の駅では職質してきた警官に缶コーヒー奢ってもらったりと、いろんな人に助けてもらった。「夢」とか「目標」とか「努力」とか「達成感」という言葉に対して鼻息荒く抵抗していたので、「日本一周より日本酒」をテーマに、途中から自転車の前カゴに合成清酒(もはや清酒ですらない)の紙パックをぶち込んで一杯引っ掛けながらの旅だった。

でもペダルを漕ぐだけで実家に辿り着くんだ、と身を持って体感出来たのはある種の達成感に近いものがあった。当時もとにかく出会いが集中していた時期で、山下陽光にあったのもダダオさんや別れた元奥さんに会ったのもその時期だったし、めちゃくちゃ躁状態あっぱっぴーでテンションおかしくなってたし、そういう出会いの周期って10年ごとに起こるんすかね、よくわからん。

それで今回きっぱりと東京を離れる段になり、11月の8日に軽バンに家財道具一式をパンッパンに詰めて東京を経ったのでした。まさに自動車逃亡バラード。10年で自転車から自動車に進化しました。軽自動車やけど(笑)


バイクを積んだようす
家財道具一式を積んだようす(この中にバイクも入ってます)

内容があっちこっち飛んでしまうんだけど、実はさかのぼること1日前、よーくんからライブの誘いを受けていて、そのライブってのが六本木にあるビルボードライブ東京で行われるジャズライブで、2人まで招待できるから行かない?という誘いだった。もうそのワードだけで行くのは確定ですよね。ただ部屋の荷物まとめと掃除をひとりでずっとやっていたので、もうそれはお祭り騒ぎ状態で、多分その時自分は藤子不二雄の描く漫画の目が33みたいな状態になってたし、目処がつくかわかんなかったのでギリギリまで返事を渋っていた。でも当日になんとかバイクと家財道具を積みきったので六本木へ向かうことに。

六本木、いやギロッポンなんてほとんど降りたことなかったし、自分には似つかわしくないアウェイな場所なので、東京ミッドタウンへ着いたはいいものの道に迷いまくり、あげくの果てにはリッツカールトンのホテルに入りそうになってしまった。

ホテルのロビーのお姉さんに場所を教えてもらい、なんとか辿り着く。「招待で来たんですけど」と言うのがなんだか誇らしかった。
入場口から階段を降りると、スタッフの方が席まで案内してくれる。見下ろしたフロアではひとクセもふたクセもありそうないかにも業界っぽい、お金持ってそうなオトナ達が早々に開演前のディナーを楽しんでいた。
そこの一員となりナッツを齧ってビールを煽っていると、程なくしてスタッフの方から「お連れ様が到着されました」と。振り向くとバッチリ黒のスーツで決め込んだよーくんが登場。爆笑。

著者(左)と中国のフィクサー

招待、というのが実はよーくんが以前働いていたライブハウスのスタッフの方が今ビルボードライブでスタッフとして働いているらしく、その方に招待されてここへ辿り着いたのだ、帰る前日って、、、またなんという絶好のタイミング。

ライブはとにかく最高だった。ジャズとはいえどメンバーの大半はアフリカ系で、アフロビートっぽい雰囲気もあって、フェラ・クティの匂いがした。かっこよかった。
東京クライマックスにしては最高すぎる一夜。日本のジャズ・マン、タモリの昔地上波で放送されていた番組のタイトルを借りるとするならば『今夜は最高!』そのものだった。

実はここで一個大きな伏線回収をしていて、今年のお盆休みに新潟の友達くまちゃんと一緒に加茂市にある無料のキャンプ場でキャンプした時に、「実はおれ、新潟にある〇〇(某人気アウトドアブランド)の元女社長と高校の同級生なんだよね」という話を彼がしていて、えー!ってびっくりしたんだけど、
そのジャズライブの会場にその女性が客として観に来ているのを発見し、「ここに繋がんのかよ!」と心の中でひとりツッコミを入れていた。その時ぼくのボルテージはピークに達していた。

そんな一夜を過ごし、明けて翌日の午後にぼくは軽バンに乗り14年間過ごした東京に別れを告げて車を走らせた。

そして夜には小田原に到着。温泉でひとっ風呂浴びたのち前払い制の駐車場に車を停め、前々から気になりまくっていた小田原のもつ焼きの名店、「柳屋ホルモン焼本店」へ。店構えも店内の雰囲気も最高だった。


店構え最高、のようす
シロ
タン
キムチ

ちゃんと下調べしていたはずだが、頼んだメニューのひとつひとつがめちゃくちゃボリュームたっぷりで、まず最初に頼んだもろきゅう(写真撮り忘れた)がマジできゅうり4本分くらいあって、「おれはカッパか、、、」と心の中でつぶやきながらむしゃむしゃとむさぼり食った。その後から出てきたシロもタンも、頭の中では串をイメージしていたが、お皿にたっぷり盛られていて、さすがに食べきれず、店のおばちゃんが袋に包んで持たせてくれた。連れと来たいねこういう店にゃ。

基本的に東京から九州へ入る最短ルートというのはめちゃくちゃ単純で、東京から出ている国道1号線が関西から国道2号線に変わり、さらに九州へ入ると3号線に変わるので、とりあえず1、2、3と走ってりゃ九州へ行けちゃうのです。なのであの時の自転車バラードの時とルートはほぼ変わらず。自然と同じ道を辿る形となった。翌早朝、10年越しのふるさと帰宅旅行もしくは回想旅行は、野宿からワンランク上がって車中泊に変わったはいいものの荷物パンパンの為運転席で、しかもリクライニングできずで体バキバキで目が覚めた。夜明け前から車を走せて西へ西へ。

夜が明け始めた頃箱根峠の頂上から街を一望しながら下る。いい眺め。

そして一度しか行ったことないのにはっきりと記憶している柿田川公園へと立ち寄る。何故か知らないがとても印象に残っていたのでどうしても行きたくなったのだ。


10年前の湧水
10年後の湧水

柿田川湧水群は地下に染み込んだ富士山の雪解け水がこの場所に湧き出るのだそうで、なんとその量1日100万トン!確かに物凄い勢いで湧き出ていて大地の息吹きを感じた。

息吹きを感じた後は、2年前に訪れた、50年以上やっている喫茶店「ケルン」へ。店内の雰囲気がとにかく独特で、まるで実家のばあちゃんちに帰ってきたみたいでめちゃくちゃ落ち着くんす。80越えのママもお元気だったし、バタートーストがめちゃくちゃうまくて染みました。

ケルン
ホットサンドメーカーで焼いたっぽいめちゃうまバタートースト

今年んなって特に「フォルム」というのに着目していて、すべてにおいてフォルムって大事やなあと思っていて、それは植物の葉っぱのフォルム、建物のフォルム、人間のフォルム、顔のフォルム、すべてがその内面性を打ち出しているので、フォルムだけで惚れる、好きになるというのはまんざら間違いではないのだなあと思ったりした。
ケルンの店内のフォルムはそのまま身近な場所に持ち帰りたいくらいだったし、あの空間を再現できないかなあと考えたりもした。

店を出てさらに西へ。静岡ってのがこれまた横に長くて、行けども行けども愛知へ進んでる感じがしないんだけど、途中コンビニで昼飯食べてとあるお店に寄ってから国道へ戻って走っていたら、まー景色は様変わりしないしまだかなーと思っていたら、1時間近く東京方面へ逆走していた。もともと方向音痴なタチだけど、これはもはや方向音痴どうこうっていう話じゃないですよね。馬鹿が東へ東へ。もう東京住み直そうかなって思ったもん(笑)。

そんな余計な寄り道こいたせいで日もとっぷりと暮れて、辿り着いたのは湖西市にある「あけぼの食堂」というお店。ここも自転車で以前通りかかった時にめちゃくちゃ気になってたけどお金なくて泣く泣く入るのを諦めたお店で。閉店直前だったが入れさせてもらった。店内にはごっつのコントとかに出てきそうな夫婦かどうかもわからない、何を喋ってるかもほぼ聞き取れない老男女が肴をアテに焼酎飲みながらガス代を払った払ってないという話を口喧嘩寸前のテンションでずーっと喋っていた。

そんな中ホッケ定食を頼む。最高。

ホッケ定食

念願叶ったあとは、そこからほど近くにある潮見坂公園という、バイパス脇にある殺風景な公園に車を停める。ここにポツンとあずま屋が一個あって、自転車の時はそこで野宿したのだ。うっすらとした記憶を回想しつつ、さっき買っておいたワンカップと肴でいい塩梅になり車内でうとうとし、ようやく眠りについた頃、いきなり運転席側の窓を懐中電灯で照らされる。びっくりして飛び起きる。ドアを開けると警察だった。

つづく。

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