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【着物沼】あの反物に触れたときの気持ちを忘れたくない

七五三のときに撮った赤い着物を着た笑顔の七歳の私と弟たちの写真が、祖父母の家に飾ってある。成人式はアメリカにいて出なかったが、22の時に弟の成人に合わせて振袖を借りて後撮りをした。江戸時代を再現した某テーマパークでは、股引を履いて男物の着物に頭に手拭いで働いたこともある。劇団の公演では作務衣を着、足袋と草履を履いて動き回っていた。

芝居をしていたおかげで、和装に触れる機会こそあったものの、着物とは何なのかいまいちわかっていなかった。浴衣すら一人で着れる自信がない。そんな私が今では着付け教室に通って、今年の10月には自分で着物を着られるようになると意気込んでいるのである。

きっかけは今年に入ってすぐであった。『着物モデル募集中 訪問着と帯をプレゼント』という広告がインスタグラムのストーリーに現れたのである。一度演劇を辞めたものの、自分が被写体になりたい欲はふつふつと胸の奥でざわめいている。着物を着てみたい。きっと似合うに違いない。もしかしたらモデルになれるかも。

同じぐらい不安もありつつ、話を聞いてみると、お仕立て代はかかるので着物モデル募集というより、将来的に着物を買ってくれる人・着物を広めてくれる人に投資するようなイベントであった。しかし一度頭でイメージしてしまった光景は消えてはくれない。プロのカメラマンにお写真を撮って頂けるということと、自分のお着物が手に入るということで予想外の出費ではあったが申し込みをした。就職するのだから自分へのご褒美でということである。

着物選びほど楽しいことはないかもしれない。手触りの良い絹に触れて反物を身体に巻いてもらい自分の顔色や雰囲気に合わせる。私は濃い色が好きで、初心者だからこそ何もわからずに琉球の反物など見ていたのだが「初めてのお着物だから」と勧められる通りに、薄い黄色に桜や短冊の柄のものを選んだ。淡い色の方が自分の顔色に合うのは知っていたし、一番好きな色というわけではないけれどと選んでみたらこれが大正解だった。

仕立てられた訪問着は落ち着いているのにしっかり華やか。白地に金糸と銀糸の袋帯も品が良い。その他全部レンタルで着付けて頂き、ヘアメイクさんに(1000円カットで手入れをしてワックスで誤魔化しているぼさぼさの)髪を上品に纏めて頂き、タクシーで撮影所まで送って頂き、他の女の子たちとお写真を撮って頂いてもう有頂天である。後日頂いたお写真の仕上がりも素晴らしく、撮影はとても疲れたけどこれはもうまた着物が着たいなあと思ってしまったのである。

せっかくお着物ができたのだから着付けを習おうと思って着付け教室にも通おうとしたのだが、撮影をしてくれたお着物屋さんは家から遠くなかなか続けられずにいた。そんなとき職場の近くの着付け教室がたまたまインスタグラムのストーリーに現れたのである。しかも今度は『腰ひも・足袋など小物一式プレゼント』である。実は着物と帯があったところで他に何もないと一生着せてもらうことすら叶わない。それで他も揃えなくては、と思っていたタイミングでもあった。

他にも沢山の着付け教室がストーリーには現れては消えていくのだが、やはり立地とプレゼントには弱い。迷っていたが結局申し込んで無料説明会でしっかり、レッスン代を支払ってしまった。(因みにレッスン費は格安である。恐らく今ではどこも着物に触れてもらい、とにかく続けてもらい、勧めて売るというビジネスモデルが主流で、初期費用やハードルは低すぎるぐらいである。)

着付け教室に通い続けるにつれ、着物に対する知識も少しは増え、逆に今私が持っている訪問着と帯にも誇りを感じるようになった。特に帯は訪問着に合わせてフォーマルな用途に使える袋帯ではあるが、落ち着いているので小紋やお召にも合わせられる優れモノであった。改めて撮影をしてくれた着物屋さんに感謝である。

着付け教室ではお出かけをする日などもあるので、草履・帯紐・帯揚に加えて自分のサイズの長襦袢はここで仕立てなければならないと覚悟した。既に訪問着と袋帯はあるので(本来であれば友人の結婚式や七五三やお宮詣りに着ていくものではあるが)訪問着と袋帯があり、足袋などの小物類はプレゼントで頂いているのでそれで一通り揃っていた筈なのである。

だがしかし。

自分の好みの色合いで、素材も良く、しかも訪問着と違って気軽に外に着ていけるようなお召に出会ってしまった。「舎人座」というメーカーさんのものなのだが、繊細で手触りもよく軽いのに品があってもう考えるだけで恋焦がれるような気持ちになってしまうものであった。願わくば反物のままずっと手に取って眺めていたいぐらいである。コート用の織物と合わせて、勧められるがままローンを組んでしまった。(誰にも言っていないので私の旦那さんや家族には内緒でお願いします。)

結局言いたいのは着物の魅力に取りつかれかかっていて、沼にはまりかけているということなのだけれど、何故お金をかけてしまうのかを説明したい。

着物を愛でていると幻想を見る。東京に通いだしてから憧れるようになった世界。品が良く、教養があって、お金に余裕があって、洗練された装いですっと佇む。穏やかに微笑んで、バレエやオペラを嗜んだり、良いものを当然のように食し、どれだけ恵まれているかに気が付かないぐらいの無垢さも持ち合わせているような世界。

私は王族や貴族の歴史が好きだ。何故だが身の回りにいるお金持ちの子たちも好きだ。自分自身は土に手をついて、身体を使って労働をするのが似合うと思っている。這い蹲って生きてきたことや、そう思いながら生きていることに居心地の良さを感じているのだけれど、その上の世界への望郷のような憧れの気持ちは消えることがない。上流階級の世界と労働者の世界と、両極端をどちらも好きで、どちらにも属さずに生きてきた。

指先で何度も撫でてしまうようなお着物は、そんな世界への夢を私に見せてくれる。一生叶うことはないかもしれないけれど、お金のことなんて何の心配もしなくていいような、幻想の世界の中でお姫様でいたかのような気分に帰るのである。

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