母に寄せて
前回の投稿で初登場した母ですが、元旦の能登半島地震で帰らぬ人となってしまいました。
40日たった今も、まだ現実味がありません。
その日一緒に居なかったこともあり、実家が全壊したことも、母ともう会えないということも、本当の意味で実感できていません。
前回の記事にも書いたように、実家は海の近くにあり、亡父は漁師をしていました。
父が海で亡くなるかもしれない可能性は昔から考えていましたが、まさか母が津波に飲まれるとは。
うちだけでなく、あの辺り一帯はひどい有様で、考えると涙がこみ上げるので、出来るだけ考えないようにしています。
ですが、昨日、同僚が不意打ちで「お母さんにお供えして」と素敵なキャンドルとお線香のセットを持ってきてくれました。
母の写真は居間に飾ってあり、毎日眺めているのですが、同僚からもらったお供えにさらに笑顔を増したように見えます。
地震があってから、仕事も記事を書くこともあまり力が入らず、ポヤポヤしている自分に気づきます。相続や罹災証明書などの手続きも、妹がいなかったら全然進んでいなかったかもしれません。
ただ、行政のほうもいろいろ遅延していて、母はまだ戸籍上は生きていることになっているので、私もゆっくり進めばいいのかなと、考えています。
地震の4日前、母に最後に会った時も、いつも通り妹と3人でご飯を食べて、お菓子をつまんで、おしゃべりが止まらない時間を過ごしました。
現在、実家はぺしゃんこで、まだまだがれきに埋もれた状態です。田舎に帰っても過ごす場所もありませんが、しばらくは2週間に一度程度は定期的に帰る予定なので、この地が少しずつ復興していく様子を見守りたいと思います。
母と仲良くしてくれた近所の人たちが、早く日常生活を取り戻せることを願うばかりです。