ファシリテーター日記(19)_ゴッフマンと三谷幸喜

実践から投稿までだいぶ時間が空いてしまった。

大学の授業の日。
2限も3限も今日は講義で伝える部分が多い。
一気にしゃべってしまいたい欲求にも駆られるが、今日はきちんと学生の表情や様子を見て、話すスピード、場合によっては情報量を調節することを心がける。また話し手である私がきちんと呼吸することを心がける。

2限始業。前回大いに盛り上がった授業なのでそれを心のどこかで期待してしまう自分がいるが、リセット。比較的淡々と進めた。
今回の講義中に実施したワークは中学校や高校でもやることがあるのだが、大学の講義用にワーク後のフィードバック、リフレクションの部分を大幅にアップデートした。だいぶ悩んだがそこがきちんと機能したので一安心。

3限も講義が多め。ゴッフマンについて扱う。演劇を芸術学からやや社会学的に接続していく部分で、私としてはアツい回だ。
ゴッフマンは著作の中で具体例を十分に示してくれてはいるが、それが体感的にわかりづらいだろうと思い、私が実際に演じてみせたりしながら講義を進めたところ、理解度は高まった(または面白さが伝わった)ようには感じる。
講義中に説明をしながら気付いたのだが、シチュエーションコメディ、わかりやすいところだと三谷幸喜作品はゴッフマンの示すようなある種の「おかしみ」のわかりやすい例示になりそうだ。
というか、シチュエーションコメディが焦点化しているのって「人が人にどう思われたいか」と「実際に他の人がその人をどう思っているか・どう見えているか」のズレなのではないかしらん。

こうして講義やワークショップを通じて、演劇や演技の骨組みがふと見えてくる時があって面白い。


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