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ファシリテーター日記(21)_場が「見える」だけでなく「肌で感じる」には

雨の日。埼玉の県立高校で、探究の時間の枠内でのお仕事。8クラスに対して別会場に分かれて同時にワークショップを実施する。

私はプログラムデザインは担当せず、当日のファシリテーションのみを行う。
このように自分でプログラムを作成していないワークショップを担当することは度々あるが、今回はあまり私にとって馴染みのないプログラムだ。
これは言ってみれば「ほぼ初演で、その上自分もまだセリフが身体に馴染んでいない演目に俳優として出演する」のと同じ状態である。
ある程度こちらで意図するものの、開幕しないと観客の反応がわからないのと同じように、ファシリテーションしてみないと生徒の反応はわからない。
プログラムの構造的に重要な仕掛けの部分を間違えないように、
また大幅に時間がオーバーしたり短くなったりだけしないように、
安全運転でファシリテーションをすることにした。

始業。
時間やプログラムのポイントを生徒に説明するのと同時に自分でも確認しながらファシリテーション。右よし、左よし。
学校でワークショップをするとき、いつもはほぼ教壇にはのぼらず、教室のあちこちに行ってファシリテーションすることも多い。しかし今回はまず自分の身体的な居場所を落ち着けるため、また全体を俯瞰できるように教壇に登ってそこから声をかける形で進行した。パートナーとなるファシリテーターに手足となり目となり耳となって生徒の取り組みを捉えてもらう。パートナーがそれらを細やかに捉えてくれる頼もしいファシリテーターで本当にありがたい。
ワークショップ自体は無事進行し、印象的だった場面や、生徒の課題も見えてきた。しかし生徒の取り組みを「肌で」感じ取るに至っていないのが悔しい。ファシリテーターとして場が「見えて」いることは大事だが、空気感を「肌で感じる」のも同じくらい重要なのだ。
やはりそのためにはワークショップ・プログラムのことを熟知している必要があるなと痛感する。

帰途、バチバチに甘いココアを買い、あれこれ再確認しながら帰った。

以下、再確認項目(個人的な備忘)。

  • 私はこのプログラムのコアの部分が何だと考えるか?→「折れずに主張する」ことの体験

  • そのことと演じることとの関係は?→「折れずに主張する」ことをやりやすくするプラットフォームとしての演劇。

  • 一方で、ディベートと区別したいのは、価値観や情動などの論理ではない部分まで動かすと、ということ。

  • ルールややることの説明のタイミングが難しい上に量が多い。これはほぼ台本として覚えた方が良さそう。

  • 最初の問いかけとリフレクション、そして最後のまとめの一貫性が弱かった。もう少し自分らしい言葉で、かつ一貫しており、さらに生徒からの言葉を多く引き出せそうな問いかけやリフレクションを検討しておく必要がある。


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「菊池ゆみこのウェブサイト/演じる・あそぶ・まなぶ」




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