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ファシリテーター日記(18)_授業が終わって拍手が起こった

大学の授業の日。今日も目に青葉が眩しい。
だがしかし、身体に疲れが残っている(腰が痛い、背中が痛い、首が痛い、手足が重い)ので、今日はファシリテーションの方針以前にとにかく安全に授業を行うことを優先させる。情報伝達の役割だけをもつ身体と化すのだ…。

2限始業。
情報伝達の役割だけをもつ身体と化す、とか書いていたくせに、そうだ、今回の授業は学生と共演を行うワークをするんだった。
やや複雑なルールを一人で説明しなければならないので、学生の表情をしっかり見ながらゆったりめに説明を行う。
25分程度の相談と練習ののち本番。私は学生と異なる価値観を持つ他者として共演を行うので、学生にとっては思い通りの行動やリアクションが得られない存在だ。そのため、客席から明らかに「菊池は”ひとでなし”なのでは」と言う空気が漂う。
それをそのままにしておくと何のためにこのワークをやっているのか学生たちがわからなくなる可能性がありそうだったので、「みんな、菊池のこと“ひとでなし”だと思っているでしょう」「ちゃんと理由があるんですよ」とメタ的に言及したら明らかに皆安心した様子にかわった。
学生と共演していると心が動く瞬間が多数あって、何より皆よく考えてシーンを創作しているのがよくわかる。
「また来週、お疲れ様でした!」との言葉で授業を終えると、拍手が起こった。
その場にいた全員が互いを讃える拍手だったのがすごく嬉しかった。
そして私は共演者として学生と対峙したことで、グッと関係が縮まった感がある。

朝は体を引きずるように出勤したが、学生からすっかり元気をもらった格好。


その勢いで3限。
引き続きエリカ・フィッシャー・リヒテ(2010)「演劇学へのいざない」をもとにした上演分析。
学生の議論の中ではっとする考察があり、その考察をもとに私から皆にさらに問いを投げかけた。沈黙。しかし、私の訥々とした問いかけや考えを皆が真剣に聞いて考えてくれていると感じる、良い沈黙だった。
私自身答えになっていないこと、はっとしたことを投げかける。それがきちんと言葉になっていなくてもいい。
そうした瞬間を意図的に作り出すのは難しい。でも、私自身、大学の教員という立場は仮に与えられているだけで、問い続け考え続けている存在であるということは皆に伝えていきたい。



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「菊池ゆみこのウェブサイト/演じる・あそぶ・まなぶ」




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