それでも日々はめぐる〜悲哀の仕事〜
あれから10日ほどの日々が流れました。まだまだ終わらない手続きなどあり混乱の最中にいることに変わりはありません。でも、家族それぞれが現実を何とか受け止めて、周りの方々に助けられながら新しい生活に適応しようと必死に努力しているところです。
子供たちが思いのほか気丈でしっかりしていることに、ダメダメな母はとても救われています。あの日から始まった、娘とのリビングでの「合宿生活」も一昨日で終了しました。母の我儘で、娘の安眠を奪い続けるわけにもいきませんものね。。
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ブラジルの7月は冬のバケーションシーズンで学校は1ヶ月の休暇。そのため、娘の職場の上司は小さなお子さんに寄り添いたいと、今月の仕事をリモートにしようと提案してきたそうです。娘がうちで仕事をしてくれることは私にとっても願ったり叶ったり。一方息子は自分が学んだ日本語学校で、アルバイトの仕事を始めたところです。
その日本語学校、正確には日系ブラジル学校の前身である日本語教室は、幼き頃の夫にとっても学びの場でした。今の校長先生のお母様(御年95歳!お怪我のためご自宅では歩行器を使われているそうですが、頭はとてもしっかりされてお元気そうで何よりです)がご自宅で開設されたお教室。今や学校のブレーンとなられて子供たちが大変お世話になった校長、副校長先生と夫は、まさにそのお教室で学友だったのです。
うちの子供たちは(娘さんの代で大きくなった)ブラジル学校ではなく併設の日本語学校の方に通い、夫の恩師でもある、校長先生のお母様(学園長)にも大変お世話になりました。昔ながらの教育方針でとても厳しい方ではありましたので、子供たちにとってはちょっと恐れ多い存在だったかもしれません。
今回のことで休み中のアルバイト先を探していた息子に、先生方が温かい手を差し伸べてくださったことにはもう感謝の気持ちしかありません。こんな時だからこそ何かに集中して気を紛らわすということは、家族を亡くした彼にとって何よりもセラピーになると考えていたからです。
初日の勤務を終えて帰宅した息子の開口一番は、「大変だった〜、身がもたない」でした。2、3歳児9人のグループのお世話係を仰せ使ったとのことでした。(先生方の助手ですね。)
幼児たちはちょっと目を離せば小競り合いで泣く、給食は食べたくない、言葉を覚えたてな年齢で、言っていることが理解できないなど。意思疎通が難しい年齢では、言い聞かせることが容易でないことは理解できます。幼児とはいえ、「新米さん」には手厳しい反応を示すでしょうし。
「悪ガキ同士の喧嘩は自分もそうだったのではない?」
と言ったら、
「同じような年齢の頃の僕は、自分から喧嘩を仕掛けたことはなく、やられっぱなしだったよ」
と。
そういえば幼稚園児だったころ、お迎えの時に
「肩のところにお友達に噛まれた跡が残っています。止めてあげられなくてごめんなさい。他の子は結構やり返したりするのだけれど、ニコラスは決してそういうことがなくて」
と先生に言われたのだっけ。息子は繊細で気弱なところのある子供でした。そんな気質は今も時に見え隠れして。。
非日系の幼稚園に通っていたので、言葉の壁も厚かったのでしょう。でも、不思議なことにかつての「天敵」が、卒園の頃には大の親友になっていたり。子供の世界あるあるでしょうか。
卒園後、子供たちはカトリック系の小学校に通いながら、習い事として日本語学校に通い始めました。言葉を学びながら、運動会、文化祭、お話し会(スピーチ大会)、お正月の餅つき、節分、桃・端午の節句、七夕などの季節の行事を楽しみました。大きな学校行事があるたび、皇室の皆様にご招待の手紙を書き、お出しすることもまた恒例行事だったようです。
下の手紙は7歳だった息子が当時の皇后陛下だった美智子様に宛てて書いた手紙のコピーです。
先生方が極力子供たちの手紙には手をお加えにならず、彼らの文章表現を尊重して下さったことがよく分かります。それにしても大胆な。文化祭のお誘いでごはんとおにくとたまごって。。
お忙しいところ、美智子様には手紙にお目をお通しくださいまして、侍従職の方からありがたきお返事が届いたのでした。
冬休み期間のこの時期は副校長先生が希望者の生徒たち(使節団)を連れて訪日中です。そういえば我が家の帰国と彼らの訪日の時期が重なって、スカイツリーでバッタリということもありましたっけ。まさかの地球の反対側での喜びのハグ。あれも忘れられない思い出のひとつとなりました。
約10年ほどの学園生活でたくさんの思い出ができたその場所で、息子が微力ながらお手伝いできることをとても喜ばしく思っています。冬休み期間中で園児の延長保育、林間学校の付き添いが主な仕事となっているようです。小中学校の児童、生徒たちは、補習授業、追試の後すぐに冬季休暇に入ります。さて今日はどんな話が聞けることやら。
【あなたがいなくなってからのウォーキングで】
今はまだ何を見ても只々哀しいです。2人で一緒にしてきたあれこれ、あの時、あの場所でのあの会話。あの表情。思い出される全てが涙を誘うのです。まだ10日?もう10日?頭では理解しようとしても心が追いついて行きません。
よく眠れないと私が言ったせいでしょうか、昨晩はニコラスが私のベッドに柴ワンコのぬいぐるみを置いてくれていました。。
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