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それは全部王さまの夢でした、ならいいのに。

2020年春、私たちは未曾有の孤独を体験した。それはたとえ世界のどこにいたとしても逃れる術がなくて、病魔それ自体以上に、私たちの多くを蝕んだ。2021年春、その増殖してぶくぶくと肥え太った孤独は、私たちの全ての器官を鈍化させ、無感覚となった私たちは、また刹那その孤独から逃れるために再び交わり始める。そして。

ゆりちゃん

ゆりはさ、ってゆりちゃんは自分のことを名前で呼ぶ、それが甘くて可愛いと思っている。確かに甘ったれていて鼻にかかったその声が発する「ゆり」に私はなぜか欲情する。そのことを彼女も知っている。

「最初にマスクを外すのがこつなの」とゆりちゃんが上目遣いでこちらを見て、にっこりと微笑む。私がドアを開けて、ゆりちゃんを部屋の中に促すのが早いか否か。淡い色に塗った、薄く小さい唇を私は見ていた。マスクをしゅるっと外したゆりちゃんが、私にキスをしようとする。彼女は小さいから、私は少しかがむ。甘い甘いむせるように甘い、ゆりちゃんの匂い。

私たちは、お互いの身体のことをよく知っている。すぐにピンク色に上気する、白くマシュマロみたいなゆりちゃんの身体。ゆっくりゆっくり。輪郭を確かめるみたいに、私はそのかたちを辿る。彼女の声を、聞いている。行為の途中で、私たちは熱いチョコレートを飲んだり、ブランデーをたくさん落とした紅茶を飲んだりする。一つのカップで交代に口をつけながら、その間に間に、彼女が私の枕もとの本のどれかを手にとって、声に出して読む。ごくごく小さい声で。でも今日は、私が読んだ。言葉が、溶けて溢れる。アナイス・ニンでしょ。あたり。じゃあ、とゆりちゃんが本を受け取る、そして少し子音の甘い彼女の英語の発音。彼女の声を、私は聞いている。

華子さん、今何を考えていたの?彼女が、たずねる。いま遠くに行ってた。私が?そう、華子さんのこころが。身体はここにいるけれど。何を考えていたの?誰のこと考えていたの?そういうゆりちゃんは、少しだけつめたい声を出す。私はここにいるんだけれど、と言いかけて、確かに遠くの何かを見ていた私は言い淀む。私の中には、別の目と耳があって、ここにはないものを見て、ここにはない声を聞くことがあって。かなしくなって涙がぽろぽろと零れたら、ゆりちゃんがぎゅっと抱きしめてくれる。彼女の心臓の音が私の頭の中に響く。

はるきくん

「おれは好きですよ、華子さんのこと。人間としても、女性としても。」何かを念押しするみたいに、時々彼は言う。

3月のある昼下がり、閑散とした豪奢なリゾートホテルのプールでぼんやりしていたら、見知らぬ人からテキストが届いた。あなたに、会いに行きたいんです。そのひとは書いていた。それから、あっという間に伝染病が蔓延して、それは叶わない約束となった。

そこから、私たちは静かに交差しはじめる。おはよう、おやすみ、花が咲いている、雨がずっと降っている、とびきりおいしいカレーを作った、そんな他愛もないテキストを幾百も私達は送り合い、時折、遠くの回線の向こうで長く話をした。日常の些末なことから、普段は心の奥にしまっておいて見ないことにしていることをわざわざ引っ張り出して、お互いにさらけだすような会話を繰り返して、それを受け止めてもらえる。そういう安心感が、私たちにはあった。

そういう程度には、私たちは互いにとくべつだ。こころの一部の、ごく柔らかな部分を、生贄みたいに差し出すことを要求しあう。あなただけ、でも、あなたがいちばん、でもなくていいけれど、そのかけがえのなさを互いに人質みたいに抱えあっている。喪失したら、きっと痛い。すごく痛い。

あるいはこの全ては、私の産んだ幻影かもしれない、とたまに思う。それは全部赤の王さまの夢でした、みたいに。

カイ

今日はゆりちゃんが来たの?、ネクタイを外しながら夫がきく。彼はゆりちゃんの来訪を喜ぶ。私の機嫌がいいから。昼にちゃんとお薬は飲んだ?私の髪を撫でて言う。うん。私は彼の身体に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。あたたかい。お帰りなさい。

カイは、弱くて支離滅裂で透明な私が好きだ。私の乱暴な混乱も、全部受け止めて、丁寧に優しく解いて、暴れておきながら自己嫌悪で泣いている私を、抱きしめる。カンガルーのお母さんの袋みたいに、温かくて暗いカイの腕の中で、私は少し目が眩む。温かくて、居心地が良くて、何も聞こえなくて、何も考えない、私は。

私たちは私たちの「家」をつくった。そこで毎日食事をして、一緒に眠って、毎日を生きている。日々のかなしくてつらくてくるしいことを、互いに吐き出す糸で包んで、その繭の中で目を閉じる。ここは私たちの安全な避難場所。

その安寧の中でも、切羽詰まった衝動のようなものが、私たちの間には確かに存在している。それは彼が、まだ恋人(のうちのひとり)だった頃、暗い湯船の中で不意に、別れるんだったら殺してと言われた、あの時のあの顔で、今でも私を見る夜があるから。私は、彼の妻でいるのだと思う。

そして、私

自宅勤務になったカイが側にいつもいてくれるのは、温かくて楽しい。毎日一緒に食事ができるのも素敵だ。離れて暮らす母とも毎日連絡をとって、安否確認するのが日課になっていることも、子どものときのような親密な家族の時間でうれしい。同じ街に住む友達と、毎朝短い電話で励まし合う、ケーキやパンやちょっとしたおかずなんかを交換し合うその安心感。少し疎遠になっていた遠くで暮らす友人たちとまた親交を繋いで、こころのやわらかいところに触れるような大事な話を交換するという精神の充実。

私たちは、私たちの孤独を、そんなふうに埋める努力をたくさん重ねて、不安に押しつぶされないように、孤独に蝕まれないように、日々を温かで居心地の良いものにしようと努めてきた。

それなのになお。できるのなら。今。
私はひとりになりたい。

ひとりで泣きたい。
誰にも声をかけてもらわなくても。暫しの時間、匿名で没個性の大勢の中に埋もれて存在したい。私という個人の一切を放棄して、誰でもない中年の女、として何食わぬ顔で都市の中に埋もれて、ひっそりとお茶を飲んだり、窓の景色を眺めていたりしたい。

そうしたらまた。私は私のこの温かい世界に帰ってきたいと思うから。それまでのあいだ、少しだけ。


あなたがもし、この創作物に対して「なにか対価を支払うべき」価値を見つけてくださるなら、こんなにうれしいことはありません。