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「啓蒙された使用法」からレゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを考える

 レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドを使ったワークでは、問いに答えるためにモデルを作る。
 そこで、何かを作ることとはどのようなことか?を考えようと、少しずつではあるが上記の本を読み進めている。

 上記の本の中で、モノを作る職人たちが近代化の流れの中で、手作業の世界に機械や新しい装置が導入されてくることについての話がある。

 多くの場合、機械や装置が入ってくることで、個の人間では達成できなかったようなスピードと正確さ、そして時には高品質のものが安価で生み出されるようになった。

 ざっくり言うと、それに対して、反発し、競争しようとした職人たちはほとんど滅んでいった。自分たちの技術のすばらしさを広め、高めようとしても自分たちの持つ技術について上手く言語化できないという限界にも悩まされたふしもあるという。

 著者によれば、それを乗り越えることができたのは「啓蒙された使用法」にたどり着いた職人たちだったという。そこでは、機械は「このような方法が効率的だ」と示し命令する存在ではなく、「ここまでは機械がするから、その先に加えて個性を付け加えることを職人は考えてみて」という提案する存在とみなす考え方であったという。

 職人たちが反発や競争としようとして失敗するくだりは、これからの私たちの社会の在り方を考えるうえで興味深い。
 ここ最近でも、インターネットの普及から、デジタル化、生成AIの出現は、私たちの仕事や日々の活動を根本的なところから変えつつある。それらの技術の進展は、どこか私たちの心を反発させ、これらの新しいものと競い合おうとしたり、距離をとったりさせる。それは結果として、私たちを不幸に追い込ませるような気がする。

 レゴ🄬シリアスプレイ🄬メソッドにおいても同じようなインパクトがある。メソッドでは、参加者が問いに対する答えを作品を作り、それを見せ合い語り合うことで答えに迫ろうとする。その代わりに、生成AIに尋ねて打ち返してもらうことの方が時間も早く良いのかもしれない(多くのデータから平均的な回答をかえしてくれるという意味で)。
 このとき、生成AIと回答の質を競い合うのでもなく、かといって避けるのでもない態度が大事なのだろう。それが「啓蒙された使用法」であろう。具体的には、まずは問いに対する生成AIに聞いてみて、そこを出発点として、自分なりの答えを加えていくということになるのだろう。

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