自分はどこを目指すか?
やっと作りたかったイメージ画像が作れて
ちょっと長いです。
なので、初めて目次というのを
作ってみます。
リハビリ介護生活の今
うちの母はリハビリで身体はしっかり
「ぴんしゃん」を取り戻せていても
それを維持しているのは今は私のようで
ほっとけば簡単に元に戻るのかどうか?
実際のところ
外に出る予定がない日に
手を貸さなければ
声をかけなければ
自分からトイレにも
お食事にも
全く起きてはこないです。
これって私の持続のメンタルきつい…
…けど、やっていますが…
母の終末イメージ通りの認知症⁈
母は実家、婚家いずれも
親の介護経験に苦労した経験は
ほぼないと思われます。
今でいうダブルケアラーであった
叔母への配慮ある言葉を
聴いた記憶がなかったところから
そう感じました。
子育てと、義母、義理のおばをみながら
明るい笑顔で生家のパート仕事にも
通ってくれていた叔母
母へのまなざしがだんだん屈折していく
私の思春期
叔母の存在に救われていました。
母の終末期イメージは
親や知人が入院した病院のベッドの上の
景色ばかりだったということかなと。
祖母に最後にあった病院では
私のこともわからなくなっていたし
実の娘の叔母がわからず
嫁の自分だけをわかってくれると
自慢げに言う母に
親に自分を忘れられることの
哀しさとか辛さとかを思いやれないのか
と激怒した私
その祖母、母にとって義母の
終末をなぞるように認知症を選んだ
とも思えてしまいます。
私は、父の急逝にショックを受けた分
健康なまま逝くというのがどういうことか
早い時期から興味を持ち
死生観を考える方とも
ぽつぽつご縁があったりして
そんな話をよく私にされても
リアルに見たイメージが強固で
自分は誰が誰やらわからなくなって
病院で死ぬもの、と思っていたのかも。
それを辞めさせるという視点
↑こちらのリアル開催時に参加していたんですが
まだ、認知症をやめさせられていません。
ですが
大腸がんになる思い込みは
辞めさせていたのを思い出しました。
それが痛い話で…
母は、実父の死因だった
大腸がんになるという思い込みが強くて
検査だのポリープの手術だの、と
大腸がんコースしかないかのようでしたが
私がそれを断ってしまったのです。
健康オタクの娘との生活
腸活なんて言葉がないころですが
親を見習うって
いろんな素晴らしいことがあるのに
なぜ、最後の最期だけを
真似しようというのか?
母の大腸がん願望を封じた私の言葉は
「私がそのパターンで思い込むとしたら
お父さんは49歳で心筋梗塞で逝っちゃって
私はもうとっくにいないということになる。」
ちなみに当時の母は70代後半で
祖父が亡くなったのは確か90代半ばです。
プレゼントした電気おかゆ鍋で
しっかり自炊している台所を
パリッとした着物姿で見せてくれたのも
90前後だったと思います。
今どきだとレトルトおかゆを
アマゾンで定期宅配のプレゼント?
いや、私が送るなら
わざわざ手間がいるものを選ぶことが
変わらなかった、母の認知症初期に
食材を持って通った甘くない娘です。
話がそれました。
戻ります。
母が病気願望を断たれたのち
好きなことを前向きに
楽しんでくれたらよかったけれど
何か、これ、というものに
しっかり錨を下ろさず
また、夫の急逝のショックや悲しみの感情を
しっかり感じきって
ひとりの自分を再生する機会を
母は通っていないのかも。
そんなことが認知症の理由にあることも
少なくないそうで
であると、突然夫を喪失したショックを
胸の底に置いたままに
「娘まで⁈
また私はひとりに…」
そんな不安を生み出してしまった?
そんな「推測」に対しての自責で
介護生活やってるわけでもなく
早くに先に逝ったもの勝ち
父はいい人、母は困ったちゃん
という構図をなかなか崩せなかったのが
今はそうではないです。
社会全般として
今よりずっと男尊女卑や
弱者いじめもあったような時代の子育てを
3人やり切って巣立たせ
その終盤の異性である息子たちの子育てに
男親なしでやり切った母
私は母の母子家庭時代を知らず
自分の事で精一杯でした。
知らない時代のお互いの成長を
最大限にリスペクトし
今後のために
いい事探しの「推測」
なんていうのがよいかもしれません。
夢から願うこと…
1年前くらい?の
ある晩、祖母の夢を見ました。
フラワーエッセンスを長く使っていて
意味深げでクリアな夢を
よく見るようになっています。
その中でも特にクリアな
印象が薄まらない夢です。
長かった祖父の介護をやり切った祖母が
健康なまま逝けたらこんな感じ
…という姿を見せてもらったような
実際のシーンの記憶みたいに
印象深い夢でした。
…
その夢での私は
新卒で会社に入ったばかりの帰省っぽく
そこは美容サロンのようなところ
若くてきれいなおねーさんたちが
「先生~
お孫ちゃんが来ましたよ~~♪」
と盛り上がり
奥から出てきた祖母は艶ピカで
いったいいくつだ⁈
という可愛らしさで
「あら~♪ みかちゃん~~♡」
とニコニコしながら迎えてくれて
そのあとはみんなで
もうちょっとこのへんああしてこうして
お洋服のセンスも
と、楽しくいじられて
というものでした。
思い出すたびにそのシーンが愛おしくて
涙がじわんとしてきます。
今回のnoteは
その祖母に似た叔母
私と母との絆の希薄さのなかでも
その叔母の存在や笑顔があったから
私はこけることなく大人になれたと思う
叔母を思って文章にしました。
祖母の夢は
私だけでとどめるのはもったいない。
嫁や娘がどんなおしまいを
思い描いて終末期を生きるのか?
お迎えに行くまで
元気で笑って生きるよう
見守ってくれているよと…。
見守ってくださいと
私からの願いも込めて…。
5本指で語る老後イメージ
トップ画像の五本の指ですが
母の認知症という事態で
顔見知ることになった
母の友人知人から私への
ねぎらいの言葉で
何度も聞いたフレーズの
「誰でもいつかはそうなるのだから…」
…に、お礼するばかりで済ませられず
街中で、スーパーで
何度も自分の手を開いて
話したことです。
やっと作りました。
認知症を発症する人が
65歳以上の5人に1人という…
5人に1人ですよ!
みんなじゃないでしょ?
少数派じゃないですか!
みんながそうなっちゃったら
後の世代は困ります。
よく知りもしない私に
優しくねぎらう言葉をかけてくださる
あなたにそうなってほしくないですよ。
5本の指のうち、親指が認知症なのは
ピンころりの人の方が
少ないらしいという事からです。
が…
ひっくり返しましょう
一病息災の人が
ピンころりを目指して
「∞」ここ、中指は
とってもいろんな幅があると思いますが
健康になるために、ではなく
誰にでも必ずある
その人が内側から輝ける何かを
いくつになっても
はぐくみ続けるような?
「健康になるため」
…は良さげなんですが
「自分は健康じゃない」
とか
「健康に不安がある」
っていう思考なんですって。
ここはとっても大事ですよね。
何か小さなものでいいから
笑顔とか
まなざしの輝きとか?
あとなんだろう?
どんなものでも
これは、という何かを
磨き続けましょう
お迎えが来るその日まで。
自分はどこを目指すのか?
私は、ピンころりを目指しつつ
食とかハーブとか
フラワーエッセンスでメンタルも磨いて
一病息災のセルフケアを
楽しむのがいいと思っています。
お迎えが来たとき生に執着せずに
身体から離れて
あちらに移行することを助ける
フラワーエッセンスも
あるんですよ。
人生の最後に使うフラワーエッセンス
そろそろかな、って
これを使う日が来る
そういうのだと
それがどんな体験になるのか
楽しみになります。
万一自分がわからない状態でも
子どもか誰かに浴びさせてもらえるように
遺言に書いておかなくちゃ。
これはオオオニバスのフラワーエッセンス
ご自宅での終末期に
お使いいただいたブレンドに
選ばれていたことがありました。
見送られる方、見送る方どちらにも
よい形で花のエネルギーは働いてくれました。
そのようなシーンで役立ちます。
そのような時のブレンドエッセンスもあります。
必要な方に届きますように。
m(__)m
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