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コロナってなんなん?

『ママ、陽性でした。』

バイト帰り、父からラインが来たときの私の思考回路はこうだった。

「うわまじか濃厚接触者って何日間家いなきゃいけないんだっけ。まあ最近疲れてたしひきこもるの全然アリ、帰りに丸善で本買ってこ。とりあえず明日の美容院と遊びはキャンセルして、ってか来週ディズニー行くし京都遠征もあるんだが、、、5日間とか家にいれば耐え??バイトのシフト変わってもらうのだりぃ、てかディズニー行きてぇ」

私はなんとも他人事な態度で母のコロナ感染を受け入れた。その時の最大の懸念事項は立て込んだ予定をキャンセルすべきか否かであり、とりあえず家にいて、発症しなければ別に普段通り生活できるだろう、そんな気持ちだった。

しかし、母の発症から3日後、私は喉の痛みとともに37.8度の熱を出した。完全にコロナである。すぐには検査を受けられなかったけれど、どう考えても陽性だ。言うまでもなく、ディズニーもサークルの京都遠征もキャンセルした。

約2年前からこの世に蔓延り、あらゆる場面で人生の邪魔をしてきたコロナ。コロナのせいで、予備校を対面型から映像授業型のところに変えたし(これは悪い出来事とは言えないけど)、高校の卒業式も大学の入学式も親は参加できなかったし、大学の授業は半分以上がオンライン、サークルの活動もコロナ陽性者が出るたびにストップした。これだけの期間コロナに振り回されてきた身としては、このウイルスが持つ力、影響を理解し切ったつもりでいたし、もう完全に”withコロナ”できていると思っていた。

でも、実際に罹患すると自分の理解がかなり浅はかであったことに気づく。喉が痛い、頭が痛い、強い倦怠感。とんぷくを飲んでも熱は37.5度までにしか下がらない。というかそもそも、陽性とわかっても処方されるのは普通の風邪薬だし、根本的な治療ではないのだから、もう寝るしかない。母が発症して間もない頃は、「ママは陽性になっちゃったけど、私はワクチン3回目も打ってるしな〜同じ家にいてもかからないでしょ〜」などと高を括っていたが、このウイルスの感染力は3回のモデルナワクチンによる私の免疫に打ち勝った。恐るべしコロナ。もうちょい頑張れよ、私の免疫。

しかも何よりも驚いたのが、検査をできる場所がとても限られていること。最近では街中にも「PCR検査センター」なるものが増えているが、それらが対象としているのは、無症状かつ濃厚接触者ではない人。母が陽性と診断された時点で私はゲームオーバーだし、ましてや喉の痛みが出てしまっているのだから使いようがない。かかりつけの病院は奇跡的に抗原検査を行なっており、母は比較的早く陽性と診断されたがそこも完全予約制の受診システムだった。私が発症した翌日がその病院の休診日であったことも重なり、発症してから丸2日経ち、ようやく私はコロナ陽性と診断された。

罹ってみないとわからないことがたくさんあるなぁというのが正直な感想だった。京都遠征をキャンセルするときは、サークルの代表、遠征を取りまとめている担当の方々に連絡をした。「直前の連絡で本当に迷惑をおかけします、、」という日本語を何回打ったかわからない。サークル、というのもよさこいを踊るサークルで、今回は京都で行われるお祭りに参加する予定だった。遠征の段取りから予算、パフォーマンスの隊列表まで、事細かに準備してくれているというのに、出発3日前に「行けなくなりました」だなんて、私が担当だったら発狂してる。絶対キレてる。本当に申し訳ない。でも連絡した先輩も同期も本当に優しくて、こちらの体調まで気遣ってくれた。人の優しさに触れた。

また母も私に対してとても申し訳なさそうな顔をしてきた。京都遠征、ディズニーをキャンセルすると言った時には暗い面持ちで「ごめん、、、」と言われた。京都もディズニーも行きたかったけれど、だからと言って母を責める筋合いはないし、もはやコロナが悪いとしか思えない。母が寝込んで、毎食全てスーパーのお弁当に変わってしまうのも、部屋がいつもの1.3倍くらい汚くなるのも、コロナのせいだ。

ここまであまり話に出てこない父だって、かなりコロナの被害を被っている。父はこの一年間、仕事が完全に在宅に切り替わり、まともに外に出ていない。会社に出勤するのは月に2.3回程度で、その度に「あぁ、やっぱ外に仕事行って疲れて帰ってきてから飲むビールうまいわぁ」と言う。昼ごはんは毎日冷凍パスタかカップラーメンだし、自分の寝室が仕事部屋と化し、「オンオフの切り替え」なんていう概念は消え去った。そんな生活なのだから、寝込む母が「うどんを食べたい」と言っても、手作りのかけうどんが作れないのは仕方ない。コンビニの冷たいぶっかけうどんを買ってきてしまうのも仕方ない。全部コロナのせいなのだ。

コロナが無ければ、と誰しも一度は考えたことがあるだろう。コロナがなければ留学できたのに。有観客で卒業公演ができたのに。引退試合ができたのに。遠方の祖父母にもっと会えるのに。サークルのアフター飲みもたくさんできるのに。大講義室で大学っぽい授業が聞けるのに。対面でもっとたくさん友達ができたかも知れないのに、と。
いくら考えても悔やまれることばかりだ。
でも、コロナはいる。無くなるなんてことはもうない。

濃厚接触者として引きこもっていた間、川上未映子さんの『春の怖いもの』を読んだ。コロナが蔓延しだす春頃が舞台となっていて、異なる境遇を生きる6人の物語が描かれている。まだコロナが今ほど常態化していない頃。皆「夏になれば収束するだろう」と思っていた頃。でもそう思いながらも「いつまで続くのだろう」と不安が広がっていた頃。あの頃の自分に「2年後もまだコロナいるよ」と伝えてみたらどんな気持ちになるんだろう。多分私はこう思う。

コロナってなんなん?


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