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信仰を利用した嘘

 現代、アメリカも日本も先進国の宗教離れが進んでいる。
 かのジョン・レノンもキリスト教離れが進んでいるアメリカを嘆いて「僕たちはイエス・キリストより知られている」と発言している。日本も同じような状態で若者は困った時の神頼みという言葉がぴったりである。祭りは楽しむもの、大晦日も同じく楽しむもの、年神様だとかなんだとかを習いはするものの大人になって覚えている人間は少ないだろう。
 このように宗教離れが進んでいてネット上で無宗教の人間が宗教を聞かれたときに答えられるように無神論者の宗教、見えざるピンクのユニコーン教というのが作られたりするほどである。
 現在、彼らは何に縋っているのか、何がそれに代わるものになっているか、答えは科学なのである。
 「われ思う故にわれあり」で有名なデカルトが作った近代科学の流れから始まった科学、これは神と違い多くの人に奇跡を見せている。
 産業革命で多くの人の生活はがらりと変えられ、情報化で農業従事者が少なくなってもやっていけるようになり、Amazonに注文すれば地球の反対で売っているものまで買えるのである。
 このようにわかりやすい実績を残しているがために科学は信用される。
 しかし、科学知識は積み上げられ積み上げられ続けた。その結果膨大な量になり教科書では全部は載せられないし、その教科書ですら隅々まで覚えることは難しい。だからこそ専門家がいるわけであるが、専門家も人間であるし間違いを犯すものであるし嘘をつくものである。
 よく医療番組で偉い権威あるお医者様が「このトマトのリコピンという成分は……に効いて……」という風に特定の食材を身体にいいと紹介すると馬鹿みたいにその食材が売れたという話を聞くが、無論その食材ばかり食べていても身体に良くない。よく栄養分が書いた桶から水かこぼれている図で表されるようにまんべんなく栄養を取れるように色々な食材を取らないといけない。
 こういうことが科学を信仰するがゆえに起こる。
 たとえば、怪しい商品であったとしても「私共の商品はこうこうこのような科学結果に基づいています」という宣伝の仕方をしてみると驚くほど信用するのである。
 科学も時には嘘をつくのだ。

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