見出し画像

嘘つきが教える嘘つきはこういう奴/ギャンブラー編

 酒、博打、タバコ、これらは人の脳に快楽を与え現実を見えなくしてしまう。
 特に博打は金がかかる。金があるやつが全財産の何百分の一でギャンブルをするのは健全だが生活基盤を揺るがすような賭け事はよろしくない。少し変わるが経営だってギャンブルのようなものだ、しかしながら損をしてもある程度立て直せるようには考えているだろう。経営者には失敗した時に負う責任が見えているがギャンブラーは金を失った時にどうやって残りでやりくりするかを考えていない。
 直木賞や芥川賞の創設に関わった小説家、菊池寛は「ギャンブルは、絶対使っちゃいけない金に手を付けてからが本当の勝負だ」という迷言を残している。まさしくギャンブラーの生態をよく表した言葉だ。希望的観測で当たる未来を信じ続けるが当たる前に手元の金が底を尽きついには借金をすることになる。当然のようにその借金も使い込む。
 そこまでいかなくとももやし生活になるくらいには使い込む人間が多い、たとえパチンコで勝っていたとしてもその勝った金を使い無くなるまでやる。当たった時の興奮が忘れられないのだ。その瞬間は報われたような気持ちになりやってて良かったと思い、再びやりたいと思うようになる、これが沼というやつだ。
 ギャンブラーの嘘は雑であるとこの一言に尽きる。「病院行かないといけないのに金がない」と言ったりするがどうしたのか聞こうとすると「転んだ」などと見え見えの嘘をついてくる。見切り発車で先のことは考えなくてもなんとかなると考えているから目の前にある自分のミスに気づかない。失敗に気づかずに過ごしてきた報いを受けることになるのだ。
 雑な嘘でも信じてくれる愛すべき馬鹿はどこにでもいる。私がさっき座っていたベンチにも愛すべき馬鹿がいたのだからいたるところに生息しているだろう。ギャンブラーはその下手くそな嘘を何度も繰り返し引っかかってくれる愛すべき馬鹿をカモにして愛想を尽かされ縁が切れるまで続ける。縁を重要視しないのは貧乏人と同じだが貧乏人よりもとっさの嘘が圧倒的に多く、自己防衛の嘘は少ない。自己防衛の嘘よりは詭弁に近い言い方をする。めちゃくちゃな論理の下で言い訳を始めるのだ。「あれはあの時金を使わないと運が落ちそうだったから」などという風に詭弁を述べる。もちろんそれで通せるとは思ってやしないが詭弁が口から出るのだからどうしようもないのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?