見出し画像

だいじょばないって言う練習中

あなたは大丈夫だよね。

と言われ続ける人生であった。
私もそうだと思っていた。
でも学んだ。私は大概のことにおいて全然大丈夫ではない。

大学の時は成績優秀でゼミ長もやっていて卒論の中間プレゼンも難なくこなして、誰からも心配されなかった。
でも結局私は卒論が書けなかった。
教授に質問する、という行為が思いつかなかったのだ。
全部一人で考えて一人で形にしなくてはならないと思い込んでいた。
周りのみんなは上手に教授や友達に相談してうまくやっていた。
卒業できるギリギリのラインの出来の論文を何とかひり出したが、私に期待をかけていた副査の教授は「がっかりした」と言った。

高校の時もやっぱり成績優秀だった。
子供の頃から体が弱く学校は休みがちだったがテストの点だけは良かった。
何度か英語の小テストがあった日に休んだが、先生から「お前はどうせ100点だろ」と言われ追試を免除してもらったことがある。
それで調子に乗って高校の三年間、私は大いに英語をサボった。
結局今も私は英語が話せない。

みんな善意で「大丈夫」と言ってくれる。
あなたならできるよ、今までのあなたの頑張りを見ていたよ。
そこに他意はない。
私に対する優しさで言ってくれている。
私もそれを感じ取って喜ぶ。

そして大丈夫、大丈夫! と思い込んで運転していたらいきなりバーーーーーンと崖から落ちて気付くのである。
キャパシティ以上に動こうとして故障してしまうか、怠けてしまいケアレスミスするか。
どちらも自分の力を過信して起こる。

一番損するパターンだぞ! と最近になってようやく気付いた。
大丈夫じゃなさそうな人は周囲から注意深く観察されるので少し故障した時点で気付かれるのだ。
おや、エンジン音がおかしいぞ、ちょっと見てみよう、と。修理が可能な段階で見つかる。
私の場合は時すでに遅し。車体ごと大炎上した時にようやく発覚する。
もはや修理は不可能。
周りにも一番迷惑がかかるパターン。

今いろいろあって新しい環境(改めてご報告するかもしれません気が向いたら)に身を置いているがそこでも既に「大丈夫な人認定」をされてしまった。
そこでの立ち位置はこれからの私にとってとても重要なものになりそうなのでこれで良いものか、とずっと悩んでいた。

「私は思い込み激しいし、人の話聞いてるようで全然聞いてないし、なんでもすぐに忘れるし、時折とんでもない地雷発言もぶっこんで場を凍りつかせたりする、全然大丈夫じゃない人間です」

こんな余計なこと言わないで生きていくこともできる。
無理して格好つけて、涼やかな顔でいるのが大人の振る舞いだと思っていた。それが出来る人ももちろんいるし、格好良いと思う。
でも大炎上する前に「大丈夫じゃない」と先手を打って発信して、故障箇所を見てもらうのが私にとっての本当の大人なのではないか。

今年ついに前厄に入った。
恐れている本厄に向けて今から「私、大丈夫じゃないです」と周囲に言い散らかす練習をしていきたい。大人として。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?