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01_地元を通して相手を知り、自分を知る

超帰省…ってなんだ!?「超」ってなんだろう??
生まれてからずっと地元で暮らしており、帰省という言葉に無縁だった私は、この未知なる言葉との出会いに首を傾げて考え込んでしまった。
今回、超帰省を運営する皆さんに取材をしたのだが、その1ヶ月後、実は私も友達とプチ超帰省体験をすることになった。
オンライン授業で仲良くなって、初めて実際に会う友達。何をしようか…。そうだ!お互いの地元を案内し合うのはどうだろう。
「地元の共有って究極の自己開示なんじゃないかな」
取材時の原田さんの言葉を思い出した。
そして始まったプチ超帰省では、小学校の通学路を案内することになったのだが、案内しているうちに当時の小学校の思い出がフラッシュバックしてきた。
ここの公園に氷が張ると毎朝アイススケートごっこしてたな…
ここの木の実よくつまみ食いしてたな…(笑)
なんだかんだ言っても地元っていいよな…
そんな風に改めて地元の良さを感じた一日だった。
予想外の体験だった。

…と長くなってしまいました。
こんにちは。編集部の寺崎です。
今回は、「超帰省協会」の発起人の一人である原田稜さんにお話を伺いました。
原田さんは芝浦工業大学建築学科卒業後、ハウスメーカーに勤務。現在はHITOTOWA INC.に所属し、エリアマネジメントやスポーツコンサルティングを行なっています。その傍ら、超帰省プロジェクトを手掛けています。
原田さんの地元、静岡県焼津市での思い出を楽しそうに話されるのを聞きながら、きっと地元が大好きな方なんだろうな…そんな風に感じました。

建築と地域への愛着

サッカーが盛んな静岡で生まれ育って、高校までサッカーをやっていました。当時は本当にサッカーしかやっていなくて、学校行く前に朝練をして、夜も学校の照明が落ちるまでずっとボールを蹴っていましたね。

サッカーばかりやっていたんですけど、中学校の頃に通っていたクラブチームが、高校と連携していたチームで土日の高校の練習試合とかよく見ていたんですけど、ただの練習試合なのに、地元のおじさんさんたちが100人位試合を見に来ていて、びっくりしたのを覚えています。

他の学校に試合にいったときは地域の人が集まることなんて無くて、僕が通っていたチーム、地域はなにか特別なんだなと。うっすら思っていました。

小さい時から遠征で県外に行くことも多くて、どこへ行っても建物も人もマチも雰囲気が違う。その頃から地域の違いに興味を持っていたと思います。

だから、大学進学の時には「県外に出たい!」って自然と思ったし、都会への憧れもあったから東京に決めました。地域をつくっているのは建築なんじゃないかって当時は思っていて、新しい建物やかっこいい建築をつくりたいなって考えるようになり、建築学科を選びました。就職する時も、東京という敷地が限られた空間で、いろんな要素を組み合わせた面白い設計をしたいなと思って、当時の人事の人に「東京じゃないと就職しません」って言ってましたね(笑)

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社会人になり数年経って、何かモヤっとすることが増えてきて、地域って何なんだろうって考え出した時に、地元でサッカーを見に来ていたおじさんたちを思い出しました。

おじさんたちの楽しそうで、イキイキ暮らしている姿が印象的で。
「今年の選手はいい!強いぞ!」「〇〇くんは、こういう所が良いよね!」
みたいに、子供たちのサッカー解説をしたり、今では当たり前ですが、ネットの掲示板に試合結果を書き込んでいる人もいましたね!(笑)

毎週の試合を楽しみにしていて、本当にこのマチが好きなんだろうなって他人の僕から見ても伝わってきたんですよね。

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それから、小さい頃から見てきたいろんなマチや地域に対して何かできないかなってずっと考えるようになって、建築も勿論地域にとっては欠かせないものですが、人の暮らしだったり、居心地のよさ、愛着のようなものを生み出していきたいって思うようになりました。

それからは、都心のプロジェクト以外にも地方のリノベーションや街おこしの企画をネットで調べたり、いろんな地域にベクトルが向くようになりましたね。

建築や街並み、スポーツやお祭り、地元の有名なおばちゃんやお店。1つでもいいから、住んでいるマチや暮らしにとって愛着があることって大切だと思うんです。

「友達」では収まらない「家族みたいなつながり」

実家は、焼津というマグロやカツオの水揚げ高が日本有数な港町です。

うちはおじいちゃんが漁師をしていたから、釣ってきた魚がそのまんま晩御飯に出るような家だった。でも、僕はその頃は刺身が嫌い(食わず嫌い)で、自分だけ別メニューでから揚げにしてもらってました(笑)。大学生になったくらいで刺身が食べられるようになった頃には、おじいちゃんが他界していたから、結局その刺身は食べずに終わっちゃって。いまでは、なんで食べなかったんだろうって後悔しています。

小学校の通学路にはカツオの加工場があって、ずっと鰹節の匂いがするんです。海もめっちゃ近いから、もう磯臭さと鰹節の加工場の匂いが混じって辛くて、隣町の子が焼津に遊びに来ると、磯臭いってずっと言われていましたね(笑)。

小学生の頃にはテトラポットの隙間に秘密基地を作って遊んだりしていました。そこでカードゲームをやったりして、満潮になったら家に帰ったり。いまでは懐かしい思い出ですね。

原田さん画像3

当時は、東京に行きたい!っていう欲はなかったんですけど、東京と比べて思うのは地元の人と緩く繋がっていられることがとっても良いなって思います。
東京だと、隣に住んでいる人の顔もわからなかったり、あいさつもないじゃないですか。

仕事仲間や、ある一定のコミュティ、シェアハウスなども、何かしらの目的が一番上にあった上で成り立っていることが多いと思うんですけど、地元は自然に仲間や知り合いができていると思うんです。

小さい時は、友達とサッカーしてそのまま友達の家に上がり込んで、お母さんにこんにちは!って言ったり、そのまま夕ご飯も食べちゃう。

家族ではないんだけど、家族のような緩いつながりがいくつかあって、ずっと継続されている。いまも帰省するときにたまたま知り合いの人に会うと、久しぶり!元気だった?みたいな会話が自然に生まれて。

当たり前のことかも知れないけど、こういうシーンに出くわすたびに帰ってきたんだなーって実感が湧きますね。

(第2回はこちらから)


ありがとうございます。 列島ききがきノートの取材エリアは北海道から沖縄まで。聞きたい、伝えたい、残したいコトバはたくさんあります。各地での取材にかかる交通費、宿泊費などに使わせて頂きます。そして、またその足跡をnoteで書いていければ。