それぞれのアート支援のはじまりと変わりゆく社会
昨秋、嬉々‼CREATIVE GALLERY&CAFEでは一般社団法人ALTAM(オルタム)主催の展覧会『今 気になるあの人の表現 ここまで来た 表現活動の今』を開催しました。今回はこの展覧会の関連イベントとして平塚市美術館で行われたトークショーの内容の一部をご紹介します。
日本のアート支援を牽引してきた全国各地の福祉施設の代表によるトークショーです。
北澤:
今回の展覧会は、福祉とアートの領域で長く活躍されていて私自身ずっと憧れていた団体の皆さんにお声掛けさせていただきました。今日はよろしくお願いします。
それぞれの団体のご紹介を交えながら、これまでの活動や今後の展望などについて伺っていきます。
まず、宮本さんが管理者を務められている工房集さんは母体の法人がとても大きくて、もう40年ぐらいになるんですよね。
宮本:
法人自体の利用者さんは350名ちょっと、職員は300名ほどいます。その中で現在 約160名の方が 創作活動に関わっています。
元々はみんな軽作業などのお仕事をしていて、職員がメンバーさんにやり方を教え込んで、できるようにするというやり方だったんですけど、そういった決まったお仕事がなかなかできない方をきっかけに、その人ができることや得意なこと、好きなことを仕事に変えていこうという発想で始まりました。
重度(障害)の人が多くて、床で描いている人もいたり線を描くのが精一杯っていう人もいたりしますが、スタッフがフォローしながらその人の表現を大事にするってことをやっています。
山下:
まさに「生きることが、表現できることが表現だ」っていうことですね。工房集は日本で一番初めにギャラリーを併設した施設ですよね。
宮本:
そうだったみたいですね。
絵を描くようになって、それが少しずつ“作品”として注目されるようになり、美術館に展示されたりグッズになったりと少しずつ広がる中で 2002年に新しい施設を作ろうとなった時に、福祉の敷居を下げたい、障害のある方もない方もいろんな人が交わっていく場にしたいという思いで、ギャラリー付きの施設を作りました。
展覧会の時にはカフェもやるんですが、そこでは後援会のお母さんたちが活躍する場にもなっていて、一緒にメンバーさんたちの表現活動をサポートしてくれています。
北澤:
宮本さんが初めに表現活動に着目されたきっかけについて伺ってもいいですか。
宮本:
大変な人が担当だったというのがそもそものきっかけです(笑)。
うちはとにかく労働は大事にしようというところから始まりました。だからどんなに障害が重たくても働こうということは大事にしていて、軽作業的な仕事とか空き缶を集めてお金にするとか。そういうのを職員が探してきて仕事として成立させていたんだけれども、それを全部嫌がる人が入ってきちゃったんですよ。もう拒否して拒否して暴れて。その方がたまたま私の担当で、一生懸命取り組んだんですけど、まぁ心が通わないというか、どんどん嫌われていく感じになって、私の顔を見れば「こいつまた来やがった」みたいな感じで(笑)。
北澤:
他の皆さんもそうだと思うんですけど、やっぱり一番はじめは困りごとから始まっていったんだろうなと思います。
宮本:
私自身「なんでこの仕事してるのかな」って悩み始めた時に「関西で面白い施設がある」っていう噂を聞いたんです。それがやまなみ工房さんでした。その頃は無認可で活動されていて、研修に伺って当時の施設長さんとお話をした時に「お金を稼ぐことだけが 仕事じゃないだろう。どんなに障害が重たくてもその人自身が豊かに働いていないと仕事じゃないと思っている。」っていう話を聞いて、すっごく感動したんですよ。それから、それを持ち帰って私たちもやってみようって思った。
こっちが 教え込んでできるようにするんじゃなくてその人ができることで何かしたいと思って。
先ほど話した私の担当の方が人の集団に入れなくて小部屋にいつも閉じこもって紙に落書きをしてたんですね。それで、ある時お祭りのチラシに挿絵を描いてみてとお願いしてみたら、断らなかったんですよ!今まですべてを拒否していた人が、初めて素直に応えてくれた。「これを仕事にしよう!」と思いました。
山下:
それが工房集のはじまりなんですね。
宮本:
そうですね。そのメンバーさんが先日50歳の誕生日を迎えたんですよ。皆の中ですごく楽しく祝われて、こんな50歳を迎えるなんてその当時 本当に思いもしなかったから感慨深いですよね。
山下:
一つ一つのストーリーが泣けますよね。支援 っていうのは。
その方と宮本さんとの関係は今はどうなんですか?
宮本:
今は仲良しですよ(笑)。
山下:
最初にメンバーさんの絵を見た時から「これはアートだ!」と思ったんですか?
宮本:
実はそんなことなかったです(笑)。
これでいいのか?果たして仕事になるのか?と悩みました。やっぱりその当時だから職員会議でも揉めたんですよね。「絵画が仕事になるのか?」って。
北澤:
それすごく興味深いです。どこでも一度はありそうですね。
宮本:
やっぱり日本ってアートだけで食べていける人なんてそんなにいないから。
それに「額に汗して働くことが労働だ」の時代ですから、「好きなことだけして仕事になるなんておかしい」ってかなり議論になりました。
山下:
今は彼らの得意を生かして仕事を作り出すというふうに変わりましたからね。その走りが工房まるさんとか皆さんのところなんじゃないですか。
北澤:
工房まるの施設長でいらっしゃる吉田さんは、写真を学んでいた学生時代に卒業制作で訪れた養護学校や施設で湧き上がった疑問、気づき、経験が工房まるの活動の礎となったと伺っています。工房まるは最近移転されて約50名のメンバーが3つのアトリエを拠点に絵画や造形など 創作を中心に活動しているんですよね。
吉田:
うちはもう本当に吹けば飛ぶような ちっちゃい団体でして。一番最初は97年に無認可作業所 から始まりました。私たちが 活動を始めた時期っていうのは社会福祉法人しか認可施設というのができなくて、それだけじゃ当然いろんな障害の人たちの生活支えることができないという中で無認可作業所というのが全国にたくさんあったんです。行政からのわずかな補助金をいただきながら活動しているというところでした。
うちも最初は土地がちょっと地盤沈下したところに傾いて立っている木造のアパートっていう劣悪な環境で活動を始めたんです(笑)。
北澤:
学生時代に湧いた「疑問」というのは?
吉田:
写真を勉強している中で、養護学校 (現在の特別支援学校)で撮影する機会があったんです。それまで障害のある人は僕の身近には全然いませんでした。だから、最初は「養護学校って当たり前の場所、当たり前の学校としてあるんだな」というふうに思いました。でも何度か通って関わり続ける中で、逆に「なぜここにこれだけたくさんの障害のある人だけが集まっているんだろう。なんで僕はこの人たちを今まで街中で見てこなかったんだろう。」という疑問が湧きました。
いろいろ調べたり聞いたりしていく中で、 社会の仕組みがそうなっている。障害のある人とない人が分け隔てられている社会なんだなっていうことに気づいたんですね。障害のある人たちを知る機会も関係を深めていく場もない。だからこそ偏見・差別が生まれていくのかなと思って。
もっと日常の中で、障害がある人もない人も関わっていけるような場ができて、今は分け隔てられているものがどんどん交わりあっていけば、偏見・差別というのもなくなっていくんじゃないかな、と思って「工房 まる」を始めました。
それで、その交わり合っていく場の中で「障害者」というくくりで見られるのを打破したいし、何か魅力あふれるものがないといけないなと考えた時に、アートをするっていうのは個の存在として外に出していけるし、個の存在として認識されるっていうのが強みかなと思っていたので、個の表現、アート活動っていうのを大切にしていこうというふうにやっていきました。
北澤:
まるさんといえば私が2003年に福祉施設に勤め始めた頃からすごく「新しい」という印象がありました。もちろんアートがおしゃれというのもあるんですけど、街に出ていくという姿だったり、逆に街の若い方たちがデザインのお手伝いなどをしに遊びに来てる印象があって、とても敷居が低い福祉施設という印象でした。 まるさんがアート活動をするようになったきっかけは何だったんですか?
吉田:
工房まるでは元々、軽作業ではなく木工をやっていて自主製品などを作っていたんですが、ある雑誌に紹介されていた「エイブル・アート」を通じて知った施設で障害者の方が絵を描いていて、それが作品になるということがあるんだと、そういうことを知ったんです。今思えば当たり前なんですけどね。
工房まるは最初のボロアパートから移転したりアトリエが増えたりして今に至るんですが、今の場所に移転した時、作業場所が広がったんです。そしたら、それまでA 4の紙に細かく描いていた絵はごちゃごちゃしてそんなに魅力的に見えていなかったのが、大きい紙に描くようになってその人の表現の仕方と紙の大きさがマッチするということが起きました。「こんなすごい絵を描くんだ!」って感動して。
それでギャラリーを経営されてる方から個展をやってみないかというお話いただくようになりました。「個展なんてさせてくれるんですか!?」と思いましたよ。その様子を他のメンバーが見て「俺も絵をやりたい!」と言い出す人が増えたんです。
山下:
今でこそ、こうして皆さんと展覧会をご一緒させて頂いて、彼らの作品もある程度認知をされて「障害者なのにすごい」とか「障害者だからすごい」って特別視することもなく、一人の人、表現者として評価されるところまで来たことに驚きがありますよね。
北澤:
山下さんが施設長を務められるやまなみ工房さんでは、どんなふうにアート活動が確立されていったのでしょうか?
山下:
元々はこういった障害のある方々の事業所で表現活動しているところなんてないような時代から始まってますからね。「そんなことしてちゃダメじゃないの。もっとお金になることをしなさい。」とか「社会に適応できるように訓練をしなさい。下請け作業しなさい。」みたいな中で、利用者一人一人の生きがいとか笑顔とか喜びとか大好きなことを大事にしてきた結果なんですよね。
だからやまなみも「アートをしよう!」と始めたんではなくて、内職をやっていた時に落ちた紙に何やら落書きをしていた人がいて、その時の顔がとても嬉しそうな顔だったんでそういう瞬間を大事にしよう。やっぱりそれ以上に価値のあるものはないっていうことでやり続けてるだけなんですよね。
「作品を作ろう」「高値で売ろう」とかそんなのはもう全然考えてなくてね。
だから今の状況はラッキーだったなと思いますよ。でもそれは共にこうやって一緒に戦ってきたみなさんと同じで、制度だとか流行り廃りだとかそんなことに惑わされず目の前のメンバーを大事にしてきた結果だなと思います。
北澤:
どんなところで戦かってきたという印象がありますか?
山下:
やっぱり、まだ障害のある人たちの表現が「作品」とも言われませんし、市民権を得ていないし認知されていなかったですよね。
例えば 、やまなみ工房のある利用者さんが30年前に作った一つのお人形と、昨日作ったお人形を横に並べてもどっちがどっちか分からないですよ。でも30年前は「こんなの作ってどうするの」 って言われていたのが 昨日作った方は「 アートね!」って言われる。
作り手も作品も変わっていないのに、何が変わったかって言ったらやっぱり社会の人々の目線や、心の置き方 が変わってきたということなんですよね。だから長く続けてきてよかったなと思います。美術館で展覧会なんかできると思ってませんでしたし、地元の公民館の文化祭にちょっとコーナーをもらえませんか って言っても断られてましたからね。
北澤:
登壇者のみなさん共通できっとそういう体験ってありますよね。
2~30年前と、ここ数年で特別支援学校を卒業される年代の利用者さんの保護者の方達の明るさみたいなものの違いを私は肌で感じます。
その明るさってここにいる皆さんが活動されて障害のある方の本当の才能が注目されるようになって、世間の目も大きく変わってきたからこそだと思います。
“社会参加”とはなんだろう?
山下:
まるさんは食器も作るんですよね。 陶芸をして。で、聞いたところによるとコース料理を出してお客さんが来て、普通はシェフが「今日のお味はどうですか」って言うじゃないですか。それをメンバーが来て「今日の食器はどうですか」ってやったんでしょ。
吉田:
(笑)。
イベントで1日 レストランみたいなことをやったんです。食器を作った人たちに、使い手がどういう顔でそれを使っていたかということを知って欲しかったんです。
僕はアートだけが大事っていうわけじゃなくて、いかにつながりを持ちながら自分がどういう役割を果たしているかっていうのを実感できるかっていうのが一番大事だと思ってるんですね。
だから、実は下請け作業だって別に僕は構わないと思ってるんです。
例えば作業所でお菓子の箱折りをするのでも、その箱に最終的にはお土産物屋さんのお菓子が入って、駅の売店で売られて、という流れがあって、「お菓子の箱ができたら完成」ではないわけじゃないですか。そうするとそのお菓子に関わってる人は作業所の人たちだけじゃなくて、お菓子を作る人、駅で販売してる人、営業する人、運搬する人。いろんな人たちが関わっているわけですよね。そういう関わりや関係性を、箱折りをやっている人たちが実感できる場が作れないかなと思ってます 。
その関係者をみんな呼んで、毎年1回 忘年会でもやってお互いに顔を知れればいいなと。あの人たちと関わりながら働いてるんだと思って仕事をするのと、それを全く知らずにするのでは全然違いますよね。
山下:
「あなたがいて初めて」ということですね。
吉田:
どの役割が抜けても最終的にお菓子は完成しないですからね。
それこそが 社会参加という意味じゃないかなと僕は思ってます。社会と関わって社会とのつながりを感じないと、作業所の中で収まってしまう。
山下:
いかに 就労するかとか工賃がいくらになるかとかが「社会参加」だと思っていた時代もありましたけど、そうやって色んな形の社会参加がある。あなたがいないといけないんだ、とお互いに感謝ができるって素晴らしいですね。いろんなところに教えたいですね。こんなやり方もありますよって。
本当に一人一人が楽しく生きて、あなたがいないとダメなんだよと目の前の人に対してまっすぐ 関わってきたことが今に繋がっていますね。
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