昨今、インターネット

インターネットに暮らしはじめたのが小5
今はなきキャスフィという掲示板サイトで当時毎週買っていたジャンプの感想を投稿し始めたのが最初です。歴史ですね。

そこからフォレストで夢小説を漁ったりさまざまなサイトで息をし、最終的にXに落ち着きました。
小5から付き合いのあるインターネット友人は結婚しておるし、子供もいるような年齢になってきて、驚いています。
でも当時、色んな家庭内での苦労を共有し、励まし合い、はじめてSkypeでプリクラを送り合い、はじめて会ったこともないのに声で喋ったひとが、幸せそうに子育てしていることが心の底から嬉しいです。

そしてそれを遠くから、呟きとして眺められてることは幸せなことだなあと思います。






インターネットで育ちました。
家に分厚い古いパソコンがあり、誰も使ってなかったけれど、小学校の友達がパソコンを使っていることを聞いたんだと思います。
自分も触り始めて、触りながらこんなことが出来る、あんなことが出来ると覚えていきました。

やがてインターネットの人とやり取りするようになって、なりちゃなんかで遊び始めることを覚え、其れ等が今細々と創作活動をすることに繋がっています。
漫画の感想を共有し、誰かに共感出来ることや、自分の頭の中にあるものごとを出力し、それをやはり人に見てもらえること、共感してもらえることにハマっていきました。



無論、嫌な思いもしました。
入り浸っていたスレが誰かに荒らされるとか、インターネット友人になってくれた人と一緒にやっていたゲームで失敗してめちゃくちゃ不機嫌になられるとか、パソコンを触っていたことで親に色んな悪口を言われるとか、それこそインターネット友人と喧嘩別れするとか。

兎に角色々ありました。あの時自分が悪かったなあと思うこともあれば、いや今考えても向こうが理不尽だったなあと思うことがあります。
でもどれも振り返ってみれば、良い学びでした。


それから、チャット人狼に傾倒し、中学高校の4年間過ごし、TRPGに出会い、今日までこの遊びで楽しく過ごしています。

インターネットの裏の現実は、褒められた人生じゃなかったです。
中学生の時は殆ど不登校で、家庭環境もよろしいとは言えず、めちゃくちゃでした。
卓の時に、急に親と喧嘩して卓を中断させてしまったこともありました。

あの時、不安定な私に怒ってくれた人も、大人の都合が優先される理不尽な日常の中で味方になってくれた人もインターネットにはいました。今になって、どちらも凄くありがたかったなあと思います。


オフ会を経験し、それからインターネット友人たちと一緒に出かけたり、先に大人であった友人たちは、私が酒を飲める年齢になることを楽しみにしてくれました。
大人になった今殆ど下戸で、お酒を飲めないのが本当に残念だけれど、それでも20歳になったときに、一緒に飲みに行ってくれて、お酒の飲み方を教えてもらったこと、宝物です。


そういうインターネット人生を過ごして大人になりました。







昨今、現実にあった色んなものがインターネットに入ってきました。
もはや現実とインターネットの区別がつかないというか、インターネット優位なくらいになりました。


元いた場所が認められていくことへの安堵もありつつ、違う場所になっていく不安もありつつ、まあこれが移り変わりであるな〜と思います。
いつか私にあった居場所が今の若い子達にも広くあると思えばそう悪いことではないです。

素敵な場所です。インターネットは。
これからも私の居場所であり続けると思います。



………………











だけどよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
最近あまりにも殺伐としてない!?!?!?!?!?

俺は様々な情報をインターネットで得てきたんだよ!!!!
生物が好きで、学者先生のXとか一般つよつよ知識勢のXとか眺めて、世界を広げてたの!!!!!!
学がないからさ、どんな本買ったらいいかとか分からないのはさ、Xから学んだり、取っ掛かりを得たりしていますから、様々な界隈の人間をフォヨーしてます。


昨今、色んな問題あるじゃん!?!?
政治とか、AIとか、戦争とか、社会で色々起きてるんだもん!!!!!!

色んな問題があって、それについて考えるのってすっごく大事だと思ってる!!!!!
俺も選挙権得た頃、年が近いインターネットフレンズにね、「投票って言われても、どこにしたらいいか分からないから、ちょっとみんなで話しながら一緒に勉強しようよ」って言われた時に、「ああそうだ何も知らないな」って皆で話し合ったりしたこともあるし、話の中で分からないことは出てきたし、もうなんなら今でもわかんないし!!!!!!

掲げてる政策とか、「でもいざ当選したらやってもらえない」とか「現実的に無理」とか、考えても無駄なこともすっごく多い!!!!!
「現実的に無理」なこととかじゃあなんで掲げてるの!?!?とか、「いや、でもそれが理想なら尊重されるべきだし皆で目指したい」みたいな気持ちがある。

でもなんか、気持ちも現実もたくさんあって疲れても、考えた方がいい!!!!!結局物事の多面性が多様で、何か一つ「これでいい」って物がないとしても!!!!!!

但し、考えを広い周囲へ向けて発信する時の言葉や態度は精査しないか!?!?!?!?

うわ〜この人の思想とか意見とか共感するところがあるな〜と思ってフォローしたりして、度々投稿されるツイートに対して、ああなるほどな、そういうものの見方もあるよな〜なんて思って学びを得ていたの!!!!!!!



でも近頃そういう人が、何か大きな物事で、自分の思う意見を大々的に発信したり、それに伴ってアンチとレスバをはじめたりしたんですね。

そしたらさ、昨日の選挙の際とか、「バカが投票すると碌なことにならない」とか言い始めちゃって!!!!!俺びっくり!!!!!!!

ち、違うじゃん!?!?!??!!?!?!!
みんなで考えること、間違えたら改める為にやっぱり考えることが大事なんじゃないの!?!?!?!?

人を貶めたり、レスバしたりこれが正しいですって過度に主張する人って絶対なんか変なカルトアカウント化しない!?!?!?!?

ってなり、かなしくなりました。

でも物事の本質は多分そこじゃなくて、そういうことを言う人でもある程度正しいことも言っているということで。
俺がかつて共感したその人の考え方は、凄く立派に思えたんだよね。

俺はとんでも発言を見て、フォロー解除を押そうとして、やめました。

人って嫌なところも良いところもあるし、フォロー解除とかブロックひとつで自分にとって平和な世界は作れるけど、なんかそれをしたら俺も同じ穴に入っちゃいそうな気がして、この人の好きだなと思った部分と、好きだなと思ったかつての自分を大事にしようと思いました。

何が言いたいかというとどんな人にもそういう、良い面嫌な面があると思う。
完璧超人なんていないので、己にとって誰かが完璧であることを求めたらきっと俺を育ててくれたインターネットに失礼だなと思ったからです。

何事も人と争う、人を貶めることが当たり前になってしまうと常にそうなってしまいます。
それを受け入れてくれるのもまたインターネットで、良いところと嫌なところの両面の性質があると思うんだけど、ただ、根本「誰でもいていい」のがインターネットだった気がしてたから、俺はフォロー解除を押せなかったんだな。

己の健康の為に、嫌を己の周囲から排除するとか、自分は見ないようにするとかいいけど、その為に過度に貶めたり、人に悪評を広めるとか、それは嫌な人間がやることであるな〜と、最近思っています。

正しいことでも言い方一つで悪くなってしまうから、これは相手がどう受け取るかなって考えてから発言していきたいなと思いました。
それでも受け取る側が言葉を歪めてしまうことはあるけどそれはもう人間の性質だから、歪めた相手が悪い馬鹿とかよりなんかもうちょっと、こういうこともあるよね〜的に、考え方をポジティブに変えられるといいな。

色々荒れていた俺がそれでもグレることもなく、なんか悪い道に走ることなく育てたのはインターネットのお陰だから、インターネットが人の可能性や学びを潰していくところであってほしくはないな〜と思っています。
例え間違えた人だとしても、その間違いを過度に糾弾することなく、じゃあ次はどうしようかと生産性を持てたらそれがいいのかなと考えたりもしますが、難しいことだよね。
俺も引き摺ることは引き摺っちゃうしね。



本当は匿名でなんか別のところで認めようとおもったことだけど
深夜朝方のテンションで書いちゃった。

なんか以前仏教dis見たことあるけど寺の孫としては、仏教ってめっちゃ合理的で、諸行無常だけど頑張って人間善性を維持して生きていって、己に誇れる生き方してこバイブス↑みたいなアゲアゲギャル思想なところあるとおもってる。
人は皆凡夫だけど凡夫であることは恥ずべきところではなく学ぶ機会が常にあることだって阿満さんも言ってた気がする。
おすすめの本は、阿満利麿さんの「行動する仏教」とか
関係無いけど皆川上和人先生の本読んでる?夏休みこども電話相談のバード川上の本めっちゃおもしれーから読んでな。
「鳥類学はあなたのお役にたてますか?」とか超おすすめ。

人生って難しいけど、インターネットと人への感謝と、間違えたときのごめんなさいと改めの心をを忘れずにいよう。
この記事は独り言と自戒です。

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