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①【考察編】スマホやゲーム漬けのわが子と、どう向き合ったらいいのか?考えてみました。

高1の息子がオンラインゲームとスマホ(特にyoutube)に人生の殆どの時間を支配されています。

そして、小学校時代はスマホを持っていなかったために、そんな兄の姿を見て憐れんでいた、現在中1の娘も、youtubeとtiktokに人生の殆どの時間を支配される始末。

更に、世の中は大きく変化してきており、ただ単に勉強していい大学目指していい企業に入れば幸せな人生が待っているとも言い切れないという始末。

一体親はこんな前代未聞の状況で、どうやって子どもと接して、どの方向に導いてあげたらいいのか?全く分かりません。

とんでもない時代です。途方に暮れてます。

そこで、我が家に起きている状況を冷静に分析し、対策を考えて、実行してみる様子をnoteに記すことで、少しでも同じ悩みを抱えるご家庭の役に立てればと思いまして筆を執りました。

まずは、現状の考察編です。まだ解決策は考えません。そんなに簡単に解決できるなら、とっくに手を打ってるはずです。さて、考えてみます。

親である僕は何をぐるぐる考えているのか?

これまでのように受験戦争一辺倒で、いい大学に入っていい会社に入ることが必ずしも幸せじゃない状態で、子どもに何を目指して成長していって欲しいか分からない。

本当は勉強はそこそこでいいから、自分がやりたいことに向かっていって欲しいけど、その先に経済的な自由を約束もできないので不安。

そんな状態なのに、子どもと言えば、ゲームやyoutube漬けで、勉強をしないどころか、自分がやりたいことを見つける機会すら得ようとしていない気がしてイライラする。

じゃあ、ゲームやスマホを取り上げたらいいかというと、それを通じて友達との交流をしていたり、自分たちの時代のテレビがyoutubeになってるだけだと考えると、闇雲に制限するのも可愛そうな気がする。

でもこんなyoutubeを見るにつけ、何とかして制限してあげないといけない気持ちにもなってくる。↓

とりあえず時間制限などを入れようと思っても、単に親子関係が悪くなるだけで、ゲームやスマホをやれなくなった時間で、有意義な体験をしてくれる気もしないし、親が機会を提供したところで「ダルい」の一言で乗ってこない。

Facebookで自分のやりたいことを明確にして頑張っているご子息の情報を目にすると「一体どうやったらそんな子に育つのか?」と羨ましく思うも、「と言っても今の子供の状態は自分の責任だな」と納得せざるを得ない。

そして改めて問う。問題の本質は、子どもにどう育って欲しいかの方針を決められない自分なのか、それともその探索の機会を奪いまくってるゲームやスマホなのか?

恐らく両方なんだと思うが、ゲームやスマホを制限するには、子どもが自発的に取り組む「何か」が必要だと感じる。でも、その「何か」が分からないし、自分が子どもの頃だって、そんなものがあったかというと、なかった。

かくいう自分だって、一浪して入った大学にも無目的で入って、入った後に、目的をもって学びに来てる友人が眩しくて苦しかったし、就職だって何かを成し遂げたくて入ったわけじゃない。

自分は社会人になってから、徐々に自分のやりたいことが明確になってきた。いや、つくられてきた。

だから高1の息子に「やりたいことを見つけさせる機会を提供する必要」なんてないんじゃないか?と思い直す。

ただ、一つだけ違うことがあるとすると、自分は勉強だけはやって、浪人までして、一応上位大学と呼ばれる大学に入り、友人関係も変わり、見える世界も変わり、学ぶ学問も変わった。頭が悪いので大学の授業の全てを理解できたわけではないが、少なくとも素晴らしい教授陣や学問というものの幅、深さに触れることはできたと思う。

そこで、実家の呉服屋の跡を継いだのでは出会えなかった友人や学問や先生に出会って、リクルートに入りたいと思うようなレベルまで成長できたことは間違いない。

もちろん、実家の呉服屋を継いでいたら、それはそれで地域のコミュニティに入って、今の僕には持てていない、地域の仲間たちと出会えたり、一緒に何かをしていたという別の人生もあったと思う。

でも、そうだとしても、やっぱり大人として幸せになるために必要な素養はあると感じていて、それは1日中ゲームやスマホをやっていては身につかない何かがある気がしてならない。

それは、多分、多様な人と協働する力とか、課題を発見する力とか、ITなども上手く使って課題を解決していく力とか、論理的思考力含めた地頭の良さとか、文章を書く力とかだと思う。

人と仲良くなる力・協調性は部活やゲームを通じて一定以上は育んでくれている気がするし、息子も娘もいい奴だと思う。でもそれ以外の課題発見力や課題解決力、地頭の良さ、文章力は、このままバカみたいにゲームやスマホを見ている生活では身につかないという焦りを感じる。

ITに関しては「プログラミングスキル」ではないと思う。ITを使って課題を解決したり、新しい面白さを創り出したりする発想力とそれを誰かに発注できるだけのスキルがあればいいと思う。実際に僕もプログラミングはできないし。そもそも子どもたちが大人になっている頃に今でいう「プログラミングスキル」が必要とは思えない。no-codeや様々なSaaSを駆使すれば、やりたいことは大抵できる世の中になってるはずだ。

そうなると、残りは課題発見力と地頭の良さと文章力になる。ちょっと待て。それを鍛えるのが大学教育なんじゃないか?いや、地頭の良さに関しては、大学じゃ遅くて中学高校なんじゃないか?とすると、今はやっぱり勉強(による地頭力の向上)をさせるべきなんじゃないか?と戻ってくる。

やっぱりゲームやスマホばっかりやらせてないで、勉強をさせて地頭を良くすることがベストな解なんじゃないか?と戻ってくる。

いい大学入学を目指す受験勉強の中で、自分の能力と向き合い、自分なりの学習法を工夫し、それで結果が出たという成功体験を積むことで、努力することの喜びを感じて、地頭が良くなり続ける学習習慣が身につくんじゃないか?

そして、息子は中高大一貫校に入学させたせいで、中学受験で合格してからどんどん勉強しなくなり、どんどん学力が下がり、学習習慣も失われていき、学ぶことに対する興味も忍耐力もなくなっていっていると感じる。

せっかく中高大一貫校に入ったんだから勉強ばっかりしてないで、のびのびと世界観を拡げて欲しかったのに、のびのびとスマホとゲームの世界に消費者、プレーヤーとして世界を拡げている。誰かが作った仕組みの中で踊っている。何も意識せずに。それが嫌だ。

考察編のまとめ

ここまで書いて、どうやら自分の中には「誰かが作った仕組みの中でただ、消費者として踊るだけの人生は不幸せ、もしくは経済的に苦しくなるので、自分で創造的に何かを生み出せる人になって欲しい。そのためには、多様な人と協働する力とか、課題を発見する力とか、ITなども上手く使って課題を解決していく力とか、論理的思考力含めた地頭の良さとか、文章を書く力を伸ばして欲しい」という考えがあることに気づけました。

でも、恐らくこれは、自分の人生を振り返って通ってきてよかったと感じている道を子どもにおススメしたいという想いだと気づきました。

これは親の押しつけなのか?それとも子供のための正しい思い遣りなのか?

こんなことをウジウジ考えている暇があったらスマホの時間もガンガン制限して、有名大学を目指させて一生懸命勉強させたほうが、いずれにせよ地頭が良くなって幸せな人生に近づくのに、その機会を奪ってるんじゃないか?という焦りを感じたりもします。

今回は考察編なので、ここら辺にしておきます。

次回あたりから解決に向けた「脱・平凡発想」を繰り出していきたいと思います。

悩み苦しんでいるみなさん、頑張ろうね。



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