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死に対しての軽さ

明日死ぬとしたら…
明日世界が滅亡するとしたら…

なんて具合に軽く特殊な状況状態を
質問に織り込んでくる事がある。
いち質問で、相手をよりよく知るため、
ベストアンサーを引き出すことということを
理解しているが、
これが死に対しての軽さなんではないかと
思う。  …大袈裟すぎなのも知ってる。

よくテレビからもネットからも
死ねー くたばれー 
と聞こえてくる時がある。

言葉に簡単に発される、簡単に聴ける、
ってもう死ぬことって
簡単なカード、手札なんじゃないかなって。

辛い時、行き詰まったとき、
嫌な事があったとき、
これから先にそれらがあるのがわかった時、
逃げたい、避けたいっていうのと同時に、
死が湧いてくる。
なぜ湧いてくるかって、
自分の中で軽いからだと思う。
重く封印されていれば、
湧いてこず、沈んだままだ。

湧いた、浮いた、かと言って、
すぐ死のカードを切るわけではなく、
様々なカードを場に出していくのだ。
リフレッシュするや
人に話すとかなどのカードだ。

自己理性の関係で、
死のカードが場に出てくるスピードが違う。
ただそれだけのことだ。

自分の死生観は理屈御託を並べて
自分を守ることができるが、

他人の死は本当呆気ない。

過去3人、直接関わりがあった人で
死後報告を受けたことがあった。

自分の父親もそのひとり。

他人の死は呆気ないけど、
すこーんっと簡単に人に穴を空けることが
できる。

実感ないし、知らんかったし。
そこに対しても重さなんてない、

フワついている空気みたいなもので、
空気を圧縮した銃で撃たれた感じ。

いいのよ、わかってもらわなくて
こんなこと。

こんなことない方がいいんだから。

話が転々したが、
要は死は軽いのさってこと。

一生懸命生きるはあるけど、
一生懸命死ぬはないからね。

本当に生きづらくしてるのは
だれ?自分?

画像は
ラーメン福 野菜多め 小ライス。

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