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死生観

久しぶりの投稿になります。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
相変わらずコロナ感染は続き、情勢不安もありますが、当事者国でないところはいつもと変わらない日常が続いていて、どこか混沌としたような不思議な感覚になります。

さて、死生観とタイトルを付けましたが、去年の9月に父親を亡くし、その時から、その前からもそうですが、自分なりに死について考えました。
私の考えを見ていただくことによって、私と同じように身近な人を亡くした方、また、将来そうなったらどうなるだろうと不安に思っている方が、死生観を考えるヒントなどになればいいなと思い書くことにしました。

身近な人の死についての向き合い方についていろいろ考えてみた結果ですが、結論、

生きていることが全て

という考えに至りました。

悲しいけれど、これが現実ですよね。
亡くなった方を思って心の中で話しかけても、どこかにいると思ったとしても、お墓の前で手を合わせて念じてみても・・・結局どこにも存在しているわけではないんですよね。
じゃあ忘れろと言うのか?と怒られてしまいそうですが、そうではなくて、まず1つ言いたいことは、生きている間が全てなので、死んでからどうこう思うくらいなら、生きている間にその人を大事にしてほしいし愛してほしいということです。
どうしても、いつか会えるからいいか・・・と先延ばしにしたりしている人ほど、いざ亡くなると後悔が大きくなるものです。
ですので、まずは身近な人を大切にすることが大事だと思います。

そして、もし身近な人が亡くなったら・・・どういう心持でいればよいか

私は、亡くしたことを悲しむより、生きていたことを愛してほしいと思います。難しいことかもしれませんし、辛いことかもしれません。ただ、死んだことは事実で、それはどれだけ考えてもどうにもならないのです。生き返ることもありません。それであれば、生きていたこと、その人が叶えたかったこと、好きだったことを愛してほしいと思います。あるいはその人の代わりにやってあげてほしいなと思います。ただ、そうしたとしても、心の中が安らかになることはないですし、悲しいこと、辛いことには変わりありません。ただ、死を思うのか、生を思うのかではだいぶ違うと僕は思っています。

ですので、ひとつめは、生きているときが全てなので、その時に大事な人を大切にしてほしいということ。
ふたつめは、亡くなったとしても、その人が生きていたときを想ってほしいということ。

人が亡くなるのは悲しいことです。
ただ、そう思っている私もあなたも、いつかは死にます。
死は誰にだって訪れます。逃れることはできません。
生きていることを喜び、生きていたときを想いましょう。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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