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何もない部屋の

光・水面・空・月・太陽・風・花・季節・北極星・時計・指標・塔・矢印・定規・お母さん・お父さん・神様
????

四角く切り抜かれた
なんらか

すごく眠いのに
30分くらい死ぬほど笑ってて、腹が引き攣ってきた

でもこれ笑ってるのかな

昔、佐藤雅彦のサイン会に行った時、会場出てから笑いが止まらなくて

ほんとずっと笑ってたんだけど、突然せきを切ったみたいに泣いてしまって
同行者に

「そうか、私は泣きたかったんですね」

「大人になると泣くの大変だから、笑ってたんだと思います」

て言ったことある

私は泣きたいんじゃねぇかな

何を?

佐藤雅彦がクソダセェ映画作ってることか…

いやダサ…
今公開前の時点で、既に情報の全てのノリがダサ

散髪の酷さがまだ鳩尾に残ってるのに

散髪はマジで映画のあらすじみたいな映画だったな
説明乙。だった

流石に散髪の試写会のとき不安そうにしてたから、なんか方向性変えてくるかと思ったけど

誰でも思いつきそうな、そりゃ使ったら画面が締まるだろうね…てサブカル好きする俳優使って、ワロタ

一番嫌いなサブカル邦画じゃん
先生が一番嫌いなサブカル邦画を…???www

暇つぶしみたいなエンターテイメントに侵されたこの映像業界をひっくり返す、
interestからintrigueな体験へ発展する本質的な"面白さ"を求道的に突き詰めた作品によって、体系的な理解を促し、人類の進化を押し上げる……ってコト…?!?!

(一発ギャグ
タイトル:「全部本人が言ってる」)

なんか昔Twitterとかもうちょっと意味不明なこと言ってイキってたイメージあるのに、(「刮目せよ。」)(深夜のテンション?)(実際告知は3時半)

ずっと「〜に評価された」「〜賞をとる」「〜って言われた」みたいな寄っかかったイキり方してて、いや量産型サブカル重鎮じゃんwwwてなる
きっつ

なんなら「〜って言われたけど違う、そんな事じゃない」くらい言って怒涛の説明に入れよ

元々パルムドールとるプロジェクトだったことが影響してんのかね?

佐藤雅彦、作った段階では
「マジでこれはカッコいい。
いやわかんない、どっかがカッコいい。
もう作り方から違った。めっちゃキてる。
とにかく僕はカッコいいと思う。
は?なんでわかんないんですか?(←理不尽)
ほらね?!?!なんか賞取ったし」
で居てくれ せめて

「先生がクソダサい映画を作ってる」って泣くの、失礼すぎるからやめなさいwwww

私この人好きなんだよな

「ちょっと好き」なわけではない

「ちょっと好き」なわけではない

だから、「ちょっと辛い」では済まないっぽい

何が辛いんだろうな

実際、佐藤雅彦の映画がマジでダサかったとして、まぁそれは…言うて好みだから。
別に…
辛い、とかではない

流石に辛いは失礼

てかむしろ今までより、クライアントの無い個人的な作品な分、自己表現に近くて見応えもあるし

作家・佐藤雅彦が好きならめちゃくちゃ面白いと思う

佐藤雅彦自体がカッコいいし面白いから、自分の話するだけで映える
目を引く

好転と言えると思う

そもそも「教育」はやめた方がいいぜってずっと言ってたし(天沢聖司??)

いやほんと、「教育」は嘘すぎる
やりたいとしても性格が向かなすぎるからやめた方がいい

ルーツを考えたら、「先生」であることが本人にとって意味があるのは分かるんだけど
驚くくらい年下に対して態度が悪いし

作風が教育コンテンツに向いてても、技術の前にある根底の"気質"の向かなさがノイズになっている

この人の「教育」って、自己の押し付けすぎて、見てて嫌なんだよな

「子供に伝えたい」というよりは、「子供の頃の自分に見せたい」じゃ?てなる
これ、ぜんっぜん似て非なるものだから…

「子供の頃の自分」を想定して、自身の感動の共感を強要してる感じで、ただただダルい顧問。

一部共感する子は当然いるから、その「成功体験」で必要以上に増長するし

これ実験的思考wwwで一番避けなきゃいけない思考回路じゃないの?
(キノの本のインタビューをいつまでも茶化すファン)

"子供(=自分)"にとって良い教育である事実は確かにあるから、自己評価が無駄に高くて、柔軟性も多様性も無いそれを「独自のメソッド」として「教育とは」とか言い始める

そんで最近の子賢いから、ちゃんと忖度しちゃう…という…地獄。
泣いちゃう。

最近の子は…少子化で…おじさん優先社会にアホほど慣れてるから、日常も限りなくキャバクラなんだ…気づいてくれ…
被害者が子供なのはマジで「お試し」もダメ…

特に「新しい」「革新」みたいな売りで成功した人は、「若い子にキモがられてない」という承認が無いと話にならないから、モテるべき場所が教育になるのはなんか…分かるけど

「自由な教育」とか自分に酔って、授業しないで公園連れてくヒッピー教師とかと問題点が同じで、
「主人公」はあくまで教育を受ける側なのに、する側の話ばっかりになってるんだよな

教育に向いてる人って最低限人の話聞く人じゃないのか?

少なくとも26歳も年下の、人んちのお子さんをゼミの生徒だからって私物化して徹夜させて、それでも一部の付いてきてくれた子を労基無視で3時に連絡待機させ、挙句仕事の出来でネチネチ虐めて休職に追い込むような奴がすることではねぇ(大早口)(ブチギレじゃん)

でも私は、そう言いながら、
EUPHRATESが好きだった

EUPHRATESと佐藤雅彦の、SFC佐研の持ってたあの雰囲気が好きだった

っぽく言うなら「世界観」が

石川将也が「手を叩いて笑っている」って言った時、本当に「敵対」なんだ、ってデトロイトビカムヒューマンの情緒になったし、

菅俊一が分業やチームワークの重要性を度々強調する感じといい、好きだった空間が、何かどんどん「呪い」みたいな扱いになっていく

良い、悪いではないのだが
固まっている矢印というか、見ていた方向というか
魚群がパーッと霧散して、目が散るみたいな気持ちになった

そこにきて、ここ数年の先生の映画を見てて、
「解きたくなる数学」を見てて、
2011年に私が「先生」て呼んでた世界は完全に失われてるんだと気づいた

あれだね、もう、そういうノリでは無いんだね

まぁそれは人間だから、
自分の中の流行りとかあるわな
身内の空気とかね

好みの問題
別に辛いことじゃない

だから


感傷だよ

私が小さな体を震わせて、ちょっと家具に寄りかかって、ストレスを、
「凄まじい腹痛に襲われてる」みたいな様子でやり過ごしているのを見てると
ケージの中で死ぬハムスターみたい

見なければいいじゃん…て言われるけど

作家が死んだわけではないし
作家が消えて無くなったあとも、過去が消えてなくなるわけじゃない

実際、この人にもう「表現者」として驚かされることは無いかもしれなくても
1日は確実に驚いたから

本当に驚いたから
今でもその時のことを、驚いてるから

というか
多分それすら、もう関係無いんだよ

だって私は気がつけば、この人しか「知ってる人」がいない

あまりにも長い間、他の情報を選択しなかったせいで、「唯一の」

月があれば月を見るし、
窓があれば窓を見るだろ

その通りで、よく思う

「私はまっ白い部屋の中に閉じ込められてて、
自分では閉められないほど高いところに
小さな窓があいている」

それは、見るだろ
慕うみたいに、カルガモの赤ちゃんみたいに

晴れてるか雨かとか、風が吹けばそちらを向くし
朝か夜か、肌寒いのか

何もなくても、他に何も無いんだからそちらを見る
情報を

届かない、クリスマスツリーの星みたいに

物欲しそうに、ずっと見てるよ

別に、実際はマジで
「他に物がまるで無いから見てるだけ」でも、
私のその様子を他人が見たら「狂信」に見えるだろうと思う

単に選択肢が無い

別に被害者ぶるつもりはなくて、私は自らこの部屋に入ったし
出れるのに出てないよ

今床に這いつくばって、ストレスをやり過ごしてる
卵巣嚢腫になった時と全く同じ挙動してる私を見てると

もうなんか、
「大損」て感じだけど

私はこの部屋にいることを、すごく得したと思ってる
誇りに思ってる

自分が下品なほど宝石のついた、バカ高い時計をしてるみたいに、腕いっぱい、財産の重みを感じてるよ

「良かった」「どうだ!」と思ってる
勝ち誇っている

宝くじ当たったみたいな感覚で

うん
それで言うと、雷が当たったんじゃない?みたいな痛み方だけどね…

この部屋から出ればいいのに

多分振り向けば、もうドア空いてるのに

むしろ出てよって感じで
スタッフのお姉さんが見てるだろうにね


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