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そしてnoteを再開しました

文を書き散らすのは好きだ。全く苦にならない。
もちろん読むのも好きだ。殆ど苦にならない。
が、人に読ませ、人の役に立ち、人を喜ばせる文章を書く、となると話は別である。これは本当に頭を使うし、難しいし、苦しい。

それでも私が必死で言葉を重ねていくのはなぜかと言われたら、私にとって書くことが生きることと、ほとんど等しいからだ。

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1日3食ご飯を食べるのと同じように、わたしは文章を書き綴る。1食抜くとお腹が空くし、2食抜いたら死にそうになる。空腹で倒れそうな精神を落ち着かせるために、私はパソコンを開き、真っ白なメモ帳に安堵しながら、思いの丈を一気に流し込む。見たくもないし知りたくもないような情報で溢れている昨今、一つ、また一つと言葉を積み増す。自分の居場所を高く高くしておかなければ、もはや溺れて死んでしまう。

そうやって必死に積み上げた言葉のいくつかに、他の人にも伝えたい、と感じるものが出てくる。共感は癒しだ。このフレーズが刺さる人もいるだろう。これは他の人にもお裾分けしよう。と、公開するに至る。

以前なら、公開まで踏み切ることは殆ど無かった。

まず、私の文章は読者を明るく気持ちよくさせるようなものではない。淡々としていて、相方からは「病んでる」と評される。これには自覚がある。他者のことなど眼中になく、自らを救うためにひたすらに積み上げられた言葉の本質は、どんなに取り繕ったところで自己愛でしかない。

が、意外なことにこれを「面白い」と言ってくれる人がいた。長ったらしい文章を真っ直ぐ読んでくれる友達の「いいね」に何度も救われた。

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私のたわいもない文章が、誰かに面白がってもらえるのであれば、それほど幸せなことはないと思う。だからnote再開しました。また来ます。

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