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小説|なまえ-よんかけ



***杏果


やめて!!!!
声すら出なかった。
足も一歩も動かない。
お母さんが鈴菜ちゃんを抱きしめているけど、そこは時が止まっているみたいだ。
直感でダメだと思った。
お願い、私のお母さんから離れて。
鈴菜ちゃんがこっちに気づいてくる。
取り残されたお母さんはその場にパタリと倒れてしまう。こわい。この子は、誰?鈴菜ちゃんは、どこから来たの?

「ごちそうさまでした。お邪魔しました。」

その場で私は泣き崩れる。
こんなにわあわあ泣いて、赤ちゃんみたい。

高橋が隣に来ている。
「どうした、芝。しっかりしろ!何があった。」
「、、、お母さんが殺された。」
泣いて泣いてそのまま意識が遠のいていく、、、。

誰も橘鈴菜を覚えていない。
最初からその存在がなかったかのように。
お母さんは急な心臓発作により死んでしまったとされた。

そんなわけないのに!
私は見たのに!
何を?
何を見た?

私がこの目で見た事実はお母さんが鈴菜ちゃんを抱きしめて静止していた。
二人の顔は見えなかった。

だけど、私が感じたあの感覚は、確かにあのときにお母さんは死んだのだ。
鈴菜ちゃんを抱きしめて。

私のお母さんを返して。
返してよお願い。
手を伸ばすけど届かない、助けを叫ぶけど声が出ない。どうしてこんなときに。
「・・うか、杏果!」
「あ、、ごめん。」
「大丈夫か。頼りないお父さんでごめんな。急なことで杏果には苦労をかけるな」
お父さんのやつれた顔がそこにある。

私はまたあのときの夢を見ていたんだ。

パーティーに来ていた人は誰もみんな鈴菜ちゃんの存在を知らなかった。
学校の先生も、クラスの子も、高橋すらそんな転校生きていないという。
わけがわからなかった。私は混乱の中にいた。
なのに、時は流れる。
私の中のモヤモヤは解消されることはなくそのままに。



***
「杏果、またぼやっとしてると遅刻するぞ。」
追い抜きざまに小突いてきたのは高橋輪太郎だった。腐れ縁もいいとこ、そのまま高校、大学校と一緒になってしまった。
「ぼやっとなんかしてないもん、あんたこそ寝坊なんじゃないの。おじさんに怒られるよ。」
「言い訳考えてるとこ!」
そう言って思いっきり走っていく輪太郎を見送りながら空を見上げる。
大学校修士2年目の春が来た。
農業先行の大学校は二年制で、高橋はその後家の卸売会社を継いで、私は修士のコースに進みぶどうの品種改良の研究をしている。
私がブルーに輝く実を見つけたあと、ブルーの実は稀に現れる。
その謎を解くため、今は研究の中で色の変化による水分量、糖度の研究をしているが、成果はない。青いバラができるこの世ならきっとブルーのぶどうも作ることができるのではと信じて続けている。

私は今でも橘鈴菜を覚えている。
ブルーの実を作る方法を見つけられれば、また現れる気がした。母を殺したあの子に、どうしても聞きたいことがある。

休みの日は特に出かけることがなければ習慣的に葡萄畑を歩く。それはいつものことだった。
桜が散りきってしまう前に桜広場まで行こうと思った。
それはそれは美しい桜なのだ。

きっといる。
なぜかそう思った。
少し駆け足になる。
なぜだかもう桜がすべて散ってしまっているような気がした。
走る。

と、、、、!
落ちる、、!?

急に地面がなくなって、上か下かわからない
落ちているような、飛んでいるような、
目眩のような感覚になり、目を閉じる


目を開けると桜広場の前にはぽっかりと崖のような穴がある
穴の底は見えない
なに、、これ、、

そして、桜の木の下には鈴菜ちゃんがあの時の姿のままでそこにいた。
桜を散らす風に紛れてふわっと降り立ったように私には見えた。


つづく

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