ブログを初めてみてしまった。

令和2年の1月31日。弓道部の私にとって、明日は関東大会に繋がる大切な大会。的中も上々でやってきて、学校の中で1番の的中率だった私はAチーム。安定して羽分のあたりを出せていた私は、この調子ならば大丈夫、と自信を持っていた。2日前までは。


1月29日の水曜日、チーム分けが発表された。今までは同級生のI、私、Sというチームで今回はどうなるか…緊張していたが的中が上々な私はなんとかAチームに入ることが出来た。メンバーはS、私、後輩のO。IはBチームだった。BチームはI、後輩のM、それからもう1人の同級生のA。その日の立ちで私はいつも通り羽分を出すことができ、安心して家に帰った。しかしその日、母に「Aチームになった」ことを報告した時からなんだか歯車が狂い始めたように感じる。

母は「勝ちたいならそろそろ頑張れば」などと吐いてきたのだ。私は信じられなかった。この母親は、30分しか部活が出来なくても走って部活に参加したり、毎日部活後に残って練習をしたり、生徒会より部活を優先していたりした私を見続けて、「頑張れば」などという台詞をぶつけてきたのだ。この人の中では私は頑張っていなかったのか?信じられなかった。父が仲介しなければ私は車内で母に掴みかかっていたかもしれない。でも私は「的中率はいちばん高いんだ。大丈夫。」そう信じて次の日の部活を迎えた。


元々私は中学から弓道部に所属していた。中学の弓道部はなかなか適当で、指導者というものがいない部活だった。顧問は未経験、しかも3年毎年変わった。同級生が男女合わせて5人、後輩には女子はいなくて男子だらけの7人。私はいつも同じメンバーの3人で大会に出ていた。それでも私たちの中学は昔から強豪で、県大会では必ずと言っていいほど賞状をもらっていた。わたしたちも例外ではなくて、3回の県大会で2位、1位、1位という好成績を残した。関東大会と全国大会にも出場し、全国大会ではベスト16にまで残ることが出来た。その時の大前の子はその結果を背負って前期で高校に行き、中の私と落ちの子も前期で高校に受かった。しかし、この中学には1つ問題があった。それは前述の通り、「なかなか適当だった」ということだ。弓道で適当。手の内なんて考えない。狙いは矢先でつける。射型云々より的中。たまにふざけて的をペットボトルのキャップにする。そして何より、「全員が早気」だった。私も例外ではなくしっかりと早気。でもあたるし、いいか。そんな感じで3年間をすごした。

でもこれが、今の私を苦しめることになっている。


1月30日の部活。昨日までと同じようにやれば大丈夫。別段心配などしないで部活に望んだ。おかしいな、と思い始めたのは最初から。なぜかやたら的の前、2時や3時や4時に行くのだ。弓手の締りが甘いのかな?そう思って必死に締めた。妻手が振りすぎてるのかな?矢筋を確認した。それで最初はどうにかなった。しかし、中盤の立ち、そこで問題が起きた。なんと8日連続羽分だった私は急に残念を出したのだ。しかも、元々早気だったが口割りまではついていた。それがさらに悪化したのだ。私は焦った。どうして?なんでここに来て急に?今の理由は何?なんで大会の後じゃなくていまここで?恐らく原因の中に昨日の母の台詞で無意識に焦っていたのだと思う。でも、それがわかった所でどうにもならない。できないという焦り。元々ネガティブな私はどんどんと自己嫌悪に陥っていった。

これはやばい。立ちの後はひたすらに会を持つことに専念した。巻藁の前で3秒、的前で必ず3秒。そこまで的中も悪くなかったし、大丈夫…。そう思い込んで家に帰った。

家に帰ってから寝るまでの6時間、私はずーっと「やばい」「どうしよう」そんな気持ちだった。でも母に相談したらまた怒られる。努力が足りないとか言われる。どうしよう。でも大丈夫。明日もある。でも明日もダメだったら?そんなことない。でも… そう思い続けて次の日、つまり今日、1月31日の部活を迎えた。


結果から言おう。立ちでは2/4と1/4。的中率は戻ったと言えるのかもしれない。それでも、私は駄目だった。

まず、会が持てない。わかった事として、私は口割りの若干上の方が安定した射ができるということ。そしてやたらなぜか前にいくのは続いているということ。死ね、と思った。自分に。

立ちはとてもまっすぐ矢を放つことが出来たんだ。それなのに今日最後の6本、なぜか全て前に行った。しんどくてしんどくて、死んでしまいそうだった。ズダボロだったのが先生にバレたのか、立ちでは補欠の子と交代してやった。死にたかった。駄目だ、と言われているみたいで。


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