おじいちゃん、サンキューベリマッチョ

さて、ここ1ヶ月なにがあったか。まずは大会が終わったら、年度末の定期試験がありました。これがまた不思議な日程で、これのせいでわたしは今少し後悔しているんだけど。普通は月曜日から木曜日とか続きでやるもんだと思うんですけど、何故か木金(土日月の休みを挟み)火水でした。そしてその休みの土曜に祖父母がお風呂に入りに来て、わたしがそれのお手伝いをしました。おじいちゃんは1ヶ月くらい寝てばっかりで動かなかったので無理やり入らせました。お風呂って大切ですよ。入ってね。

そのあと日曜の朝、じいちゃんが倒れたとばあちゃんから電話。びっくりしたよね。救急車で運ばれて、「低血糖」とのこと。倒れたというのに三連休のど真ん中だから入院できないと言われ私の家で過ごすことに。もう歩くのも大変で、足なんて象みたいに浮腫んでて。2時間に一回トイレ行くのも家族みんなで介助して。おじいちゃんめちゃくちゃ話しかけてくるけど、わたしはテスト期間だったからうんうん!くらいしか返事できなくて。

火曜日になって病院に行ったら、入院だけど最寄りの(そこの)病院にはいれられないから遠い、僻地の病院に入院になりました。1週間くらい、わたしは学校があるから見舞いには行けなかった。でも母とか祖母とかから「元気だよ」って報告を貰ってた。いつも「〇〇(私の名前)ちゃんが寂しがってるから早く帰ってやれし」って私のことを気遣ってくれてたらしい。

3日の午後からコロナ休みになって、母と一緒にお見舞いに行ったけど病院はコロナだから見舞い禁止だった。入れなくて残念だけど次に会うのが楽しみだなってそう思ってた。

次の日。友人とカラオケに行っていたら突然母から電話がかかってきた。

「おじいちゃんが危ない。今すぐ帰れ。」

信じたくなかった。チャリを飛ばして家に帰って、母を待つ間恐怖からくる震えを抑えながらスマホで「危篤 治る」とか「危篤 家族」とかいろいろ調べていた。持ち治せ、持ち治せ、ずっとそう思って母と共に病院に行った。車内で母は「昨日の時点ではトイレには自力で行けてたんだけど、ご飯が食べられなくて点滴で栄養を取ってたんだって。そしたら今朝、目も開けられなくなっちゃって、脳梗塞みたいな…。」とおじいちゃんの様子を教えてくれた。怖かった。身近な、それも1週間前まで一緒にご飯を食べて、生活して、話していた人がいなくなってしまうかもしれないということが。

病院について、おじいちゃんのところに行った。おじいちゃんは浅い呼吸を繰り返していて、目を閉じていて、話しかけても反応がなかった。手を握ったらとても冷たかった。耳は聞こえてはいるらしいから、祖母や母と共に「おじいちゃん、来たよ。目開けられる?」とかいろいろ、ひたすらに話しかけていた。そのあと祖母の妹一家と、父と、県内の大学にいた姉が来た。みんなで呼びかけて、大丈夫だよ、とかとにかく話しかけた。

母に、祖母と姉と1度家に帰って、ご飯を食べて風呂に入ってこいと言われて行った。すると途中で「今夜が山かも。ご飯食べたらすぐ来て。」そう電話がかかってきて、速攻で向かった。

おじいちゃんはさっきより脈が遅くて、酸素マスクを付けていた。吐いてしまったのか、ベッドには汚れがあった。もう、今にも行ってしまいそうなそんな感じだった。

母の姉で私の叔母、つまりおじいちゃんの娘とその子が県外から向かっていた。「まだ来てないからね、来るまで待とうね」そう必死に呼びかけた。グーグル先生は「危篤の人に頑張れと言っては行けません」そう言っていたけど、「頑張ろうね」「もう少し」「大丈夫だよ」そんな言葉しか出てこなかった。頑張ってる。今とても頑張ってる。苦しみながら。わかってる。だけど、そう言うしか出来なかった。

祈りが通じたのか、2人が到着した。そのあともみんなでおじいちゃんに呼びかけて。そしたら、看護師さんがやってきて「こんな状態なので、葬儀なども考えた方がよいです。もしかしたら家に帰るかもしれないから」つまり、亡くなったあと、家で寝ることになるかもしれないから。でも祖父母の家はなかなかの汚さ…というか荷物の多さで、母、父、姉、いとこ、私の5人で片付けに行くことになった。おじいちゃんに、「ちょっと行ってくるからね。待っててね。」そう言って。

祖父母の家に着いた瞬間、叔母から連絡があった。

「おじいちゃん、亡くなりました。」

簡潔な一言、だけど意味を持ったその言葉。実感なんて何もわかなかった。そのあと私たちはてんてこ舞いになりながら家を片付けて、誰も一睡もせずおじいちゃんを家に迎えた。

おじいちゃんを看取れなかった。悔しかった。悲しかった。あと30分出るのが遅ければ、立ち会えたのに。おじいちゃんは祖母と叔母2人に看取られていった。母は看取ることが出来なかった。

後悔した。テストでもなんでも、おじいちゃんのところに行けばよかったと。

私たち家族はおじいちゃんの退院を楽しみに待っていた。退院したらデイサービスで歩けるようになって、またみんなでご飯を食べるんだ、そう信じていた。

でも、おじいちゃんは頑張った。頑張ったんだ。家族がみんな揃うまで。一家の大黒柱として、最後まで頑張ってくれた。思う。おじいちゃんの孫でよかったと。本当によかった。あんなにかっこいい人が私の祖父でよかった。

おじいちゃん、大好きです。今までもこれからもずっと。


サンキューベリマッチョ!

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