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父の卵焼き

父は小学校のPTA副会長をしていた。会長は、近所の少し年上の人。昭和の終わりの、田舎の小学校は、人間関係が濃く、今の小学校とは比べ物にならないくらいにPTA活動が盛んだった。

元々飲み友達だった2人は、他の役員さんも交えながらよく家で飲んでいた。

わたしも、テーブルの端っこに座って、会長さんが持ってくる手土産や母のつくるおつまみをつまんだ。夜更かしして、大人と一緒にダラダラと過ごすのは、わたしにとって楽しい時間だった。

ある日、父は卵焼きを作ってふるまった。普段は全く料理をしない父の得意料理だ。お寿司屋さんで使っているのと同じ卵焼き器を、取り寄せてもらって使っていた。わたしも、卵焼きの作り方は父から教わった。

父の作る卵焼きに必ず入るものはしょう油と牛乳で、あとは台所にあるものを気ままにいれていた。酒・塩・砂糖などの調味料だけでなく、残った煮物の煮汁やらっきょうの汁など、とにかく手当たり次第に入れて混ぜて焼くのが父流だ。

せっかちな父は、終始強火で、箸でがちゃがちゃとかき混ぜながら短時間で焼き上げる。わたしが作り方を教わった時も、フライパンを右に傾けろ、左に傾けろ、かき混ぜろ、と箸とフライパンをひたすら動かし続けるように言われたものだった。出来上がった卵焼きは、いつもふわふわしていて、毎回味が違った。

父の作った卵焼きを初めて食べた会長さんは、「おいしい!」と驚いた。

そう、父の 卵焼きはいつも、ちょっと美味しい か とても美味しい のどちらかなのだ。気が短く・前向きで・好奇心旺盛な父と卵焼きとの相性は抜群だったのだと思う。

それから、家での役員会には、父の卵焼きが度々登場した。会長さんがあちこちで「おいしい」と言ってまわり、「食べてみたい」とやってくる人もいた。父は喜んでふるまった。

次に行われるPTA行事の話をしている時に、会長さんが、「お弁当と一緒にこの卵焼きをつけよう」と言い出した。役員さんたちは「それはかなりの手間だから申し訳ない…」と遠慮がちに言ったけど、父もその気になり、母も特に反対はしなかったので、話は決まった。

次の行事は、地引き網。100人以上の親子と先生で海に行き、漁師さんが仕掛けた網を引いて魚を獲る。お昼はお弁当が出されるから、その時に卵焼きを全員に一切れずつ配るという。会長さんも父もノリノリで、母もまんざらではなさそう。

小学生のわたしは、いったいいくつ卵焼きを焼くんだろう?父は当日、何時に起きるんだろう?と考えたけど、大人だからそれくらい簡単にできるんだろうな、凄いなと思った。

地引網当日、朝わたしが起きると、既に卵焼きは出来上がっていて、荷物の中に入っていた。父と母と妹と一緒に、集合場所の小学校に向かった。

学校に着くなり、父も母も受付やらバスの誘導やらで 忙しく動き始めた。わたしは同じ学年の友達の輪を見つけて入り、年の離れた妹は、グラウンドを1人でヨチヨチ歩いた。

バスの中は遠足そのもの。親も子も先生もいて、楽しくて、あっという間に海についた。

海岸に着いてからは、全て地元の、おそらく漁業組合の方の仕切りで、いくつかのグループに分かれて順番に網を引く。

引いた網を見ると、魚は沢山とれたけど、全員分はない。希望者がじゃんけんをして魚を持ち帰ることになった。早い段階でじゃんけんに勝った料亭の息子が、大きな魚を持って、「これは今日、店で出す」と言って張り切っていた。

地元の方が用意した、あら汁とお弁当が配られる。いよいよ、父の卵焼きが登場する。なんだかドキドキしてきた。

会長さんが、連絡事項の通達を兼ねた挨拶をはじめる。「副会長さんが卵焼きをつくってくれて…」と言っているけど、地引網を終えた腹ペコの小学生が、PTA会長の話を静かに聞いている訳がなく、何を言っているのかほとんど聞き取れない。

母と他の役員さんが手分けして卵焼きを配り始める。同学年女子でなんとなくまとまった、わたしたちのグループにも卵焼きがやってきた。

小さい…。こんなに小さい卵焼きは初めて見た。たくあんの切れ端みたいだ。いくらなんでも小さすぎる。1歳の妹だってこれなら2~3個余裕で食べる。みんなどう思っているんだろう。

近くの人をチラチラと見る。きっと、誰がつくったのかわかっている人はほとんどいない。お弁当に入れ忘れたとでも思うのだろうか?

ちょっと背伸びして、遠くにいる父と会長さんの様子をうかがう。満足げだ!卵焼きがみんなに行き渡って喜んでいるようで、二人も満面の笑みだ。何故?こんな小さい卵焼きで正解だったのか?誰にも確認できない。

とりあえず食べてみる。美味しい。いつもと同じく美味しい。美味しいけど…美味しいけど、これで良かったのか?

周りの友達もみんな食べている。誰も感想を言わない。わたしの父が作ったことが伝わっていない証拠だ。

お弁当が終わって、後片付けをはじめると、お母さんたちが、卵焼きを話題にしている!「副会長さんが…」と聞こえる。あっ、ちゃんと伝わっていたんだ。

見ると、父に直接言葉をかけているお母さんもいる。「美味しかったよ~~~」と。大人にはちゃんと口コミで伝わっていたらしい。

レシピを聞くお母さんもいたけど、父は「いや、材料は適当で」と答える。「また作ってね」と言われて「いやぁ、同じように作れるかどうか…」と答える。

謙遜でも、また作るのが嫌な訳でもない、父の正直な言葉だけど、当然相手には伝わらない。また作ったら、今度は違う味の、美味しい卵焼きが出来るけど、小学生のわたしはそれを説明出来なかった。

その数年後、父は病気がわかり、卵は控えるように言われて、卵焼きは作ることも食べることもなくなった。

母も食卓に出すのは悪いと思ったらしく、家で卵焼きを食べることはほとんどなくなってしまった。

大人になって、父の卵焼きを作ろうと思っても、全く再現できない。毎回味か変わったせいか、味の記憶もおぼろげになってきた。

父の卵焼きを思い出して浮かぶ景色は、お酒を囲むほろ酔いの大人達と、海岸で見た、たくあんの切れ端みたいな卵焼きだけだ。

記憶違いはありますが、ノンフィクションです。


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