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汽笛(廃案)

汽車の中

男 汽車にのって三時間。東京までの寝台列車は進み続ける。しゅっしゅしゅっしゅと。暗闇の中を進み続ける。

汽笛。

男 眠い。今日するべきことはもう終わったかな?郵便の宛名はもう書いたし、靴下は脱いだ。硬く絞ったタオルで顔と体と、足はもう拭いてしまったし、浴衣に着替えた。汽車の中でも電気が通っているのには驚いた。どういう理屈かわからないけど、ともかく作業できる環境にあるなら、まだ終わっていない書類仕事を終わらせてしまいたい。

カバンを取って。

男 あれやこれやと手を付けていると、思い出し思い出し用事ができてきた。やはり今晩の間にやってしまおう。

男、うちわを出してきて。

男 少し暑いな。ただ、窓を開けようものなら頭がじゃりじゃりになってしまうから、あまり開けたくない。最近は日本国中で電化が進んでいるから、出来るなら電気機関車に乗りたかったが、そうも言ってられない。

汽笛

男 トンネルに入る。通路と客室の間に荒くはまった窓ガラスがガタガタと音を立てて揺れている。よくこれで割れないな。

汽笛

男 外を見ても真っ暗で何も見えないけど、近くなら客室にともったこの小さな明かりが照らしてくれるから、ここが道か田んぼかくらいのことはわかる。汽車の切る風に流されて、ちらちらと白線が現れては消えを繰り返している。分厚いガラスにごちんとおでこを付けて汽車の真下を除くと、次々と現れる枕木はどれも真っ白でこんもりとしたものに覆われている。額の冷たさにはっとして椅子に座りなおすと、思わず身震いがした。

ぶるぶる。
車窓を見やる。

男 雪だ・・・。

と、立ち上がって

男 おかしいぞ・・・、寒い・・・、

ベットに乗っていた、タオルケットをひっつかむと、自分の体に巻き付ける。
他の客室を覗こうとして、扉に手をかけるが、止まり、少し考える。

男 ・・・。

と、ゆっくり扉から手を放し、冷えた手をさすりながらベッドに腰かける。

男 あたまが、おかしくなってしまったのかな。

横を見るとさっきまで使っていた団扇がある。
手に取って考えてみる。

男 ・・・、

くる、くると回す。
車窓から遠くを見た。
団扇を窓ガラスに押し当て、そこにおでこを置くと、遠くを見つめた。

太鼓の音が聞こえる。

男 祭りだ・・・。

と立ち上がり、

男 うう、、と頭を振り、嘘だ嘘だと叫んでみても、寒さは変わらないし、お囃子も耳元で大きくなっていた。

大きなお囃子の音

男 うわああ!!

がらがら、と、戸の開く音
通路の女と目があった。

男 なんですか、いえ、私は書き物をしていたんですよ。そうしたら、暑かったのに急に寒くなったりして、狐にでもばかされたか、また例の精神分裂病が起こったのかと思って、少し、取り乱してしまったんです。寒いですか、暑いですか、今は寒いですか、暑いですか、いや、参考までに聞いているだけです。いや別に、貴方がたまたまそこにいらしたから、物のついでに尋ねてみようと、ええ、別に応えなくても、恨みはしません。赤の他人ですから、別にいなくなっても、なんとも思いません。今ですか?別にかまいません、なんですか、私別に貴女を引き留めてなんか

と、自分の手元を見ると、女の手を固く握っていた。

男 ・・・・!あなた!

汽笛の音。
汽車、トンネルへ入った。
男、思わず女を部屋へ引き入れ、ベットに押し倒すと、硬く握ったこぶしを振り上げ、女をにらみつける。
汽車がトンネルを抜けた。

男 ・・・・。

汽笛。
男、ゆっくりと体制を直し、反対側のベットに座る。

男 女でした。無我夢中でした。汽笛のなる間、私の意識は煙のように朦朧となり、トンネルを抜けるころ、正気に戻った私の前にいたのは女でした。どうやら、私がこの部屋に引き入れたようです。女はガタガタと震えています。この小さな明かりだけが、拾い広い田園の中に、ぽつりとともっています。見えないはずだけど、そう感じます。列車はいま、平野に差し掛かったところです。

外を見ている男

男 ごめんなさい、私は、気が弱い性質で、たびたびこのようになるんです。今は落ち着いているようですから、今のうちに出ていってください。ひどいことをしてすみませんでした。謝ります。

と、外を見ながら頭を下げる。

男 女は、出ていく様子がありませんでした。どうしてでしょう。外は桜の花びらが散っています。私が汽車に乗ったのは、8月13日、夏の真っ盛り。セミの鳴く季節だったはずなのに。

振り返る。

男 女は、そこにまだ座っていました。じっとこちらを見ています。どうしたんですか。

男 あなたにも見えるんですか?桜が。

男 あなたが汽車に乗ったのは、

男 女も、8月13日、東京行きの寝台列車に乗ったということでした。どうやら、おかしいのは私ではなく、この汽車のようです。私はてっきり、古傷がぱっくりと開いて、また例の精神ナントカ病になったのかと思ったのですが、いや、悪い夢でも、見ているんでしょう。きっとそうです。

男 これは夢です。貴女も早く消えてください、夢なんだから。どうしたら目が覚めるかな、

と、女を見て

男 そうだ、僕を殺してください。首でもなんでも絞めて、

見つめあう二人

男 ぽとり、と、僕の口から転げ出た事でした。言っておきながら、私は、その時流れた彼女とのなんとも言えない、恥ずかしいような、怖いような、うれしいような、へんてこな空気に、言葉をなくしていました。綺麗な人でした。指も細くて、扱いを悪くすれば傷が入ってしまうような、そんな尊さがありました。彼女の白い肌が、私の顔に近づいてきたとき、心臓はドキドキと、激しく脈打っていました。頬や耳を紅潮させて、僕は目を閉じました。彼女の細い指が僕の胸元にぴと、と触れたかと思うと、おそらく反対の手のひらで、彼女は私の首筋を触りました。彼女も緊張しているのか、ひんやりとしたその手のひらや指の感覚が、しっかりと具体的に伝わっています。ゆっくりと時間をかけながら、彼女はぎゅっと、僕の首を握っていきました

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