甘やかされ人生


私はかなり甘やかされながら生きている。

自覚はある。


そんなこと○○ちゃんはしなくていいんだよ!とか
俺/私やっとくからいいよ!とか
そんなんばっか。

期待されていないのは分かっている。
でもちょっと、たまに、いやその度に、自分が情けなくなる。

甘やかしてくれるのはとてもありがたい。
私は私にとても甘いし、人にも甘い。
だから周りが与えてくれるその甘さも、ありがたく享受している。

でも、思えば私の人生ずっとそうだ。


数年前、とあるベンチャー企業で働き始めた。
やってみたかった仕事で、すごく楽しみにしていた。
実際すごく楽しかったし、知識やそれに対応する技術が身につくのが嬉しかった。
褒めてもらえたり、私の案が採用されるのも、本当にやってて良かったなと思った。
先輩方も優しくて、毎日が楽しかった。

入社してしばらくした頃、社長から2人きりでの食事に誘われた。
立場上、断るのもなぁと思い行くと

「○○は俺のために雇ったから
俺のこと癒してくれればそれで良いから、仕事なんかしなくても良いんだよ
俺はそんなこと期待してないよ」

とはっきり言われた。
別に私はあなたを癒したくないし、癒したつもりもないけど。

私の頑張りってなんだったのかな、と帰りのタクシーの中でぼんやり考えて、1DKの狭いマンションの浴室で泣いた。お風呂の中で泣くと目が腫れないんだよ、と中学生の頃に教えてもらった。

私なりに頑張ってたつもりだけど、だめだった。

たしかに、なんでも上手くこなせるわけじゃないし、仕事だってたまにはミスをする。
分からない出来ないこともまだまだたくさん。
先輩にご迷惑をおかけすることだってあった。
それでも、私だって頑張ったし、私の案が採用されて、それをお客さんとか社内の人に褒められると、すごく嬉しかった。
頑張って良かったと、心から思っていた。

でもそれ、全部無駄だったんだな。

私の中で何かの糸がぷつんと切れた。

分かってる。昔からそうだった。
私がそこにいる理由は、自分で見つけたものじゃなくて、誰かに『置いてもらってる』。
私は結局どれだけ頑張っても、誰かに頼って甘えて価値を見出してもらわないといけない。
私そのものに、価値や理由があったことなんて、なかったのに。

私はそちら側にしかなれない。
その結果「あざとい」も「ぶりっ子」も前にも増して言われるようになったのに。
「○○さんはあざといからな〜」と言われても笑って、ダメージなんて受けてないですよ〜みたいな顔して受け流すスキルまで体得したのに。

なんで忘れて、自分を過信してしまったんだろう。


それからしばらくして、私は会社を辞めた。
そのくらいで、と思うかもしれないけど元々そんな感じのことをふんわり言われ続けていたので、溢れてしまった。自分宛じゃなくてもパワハラを見続けるのもしんどかった。
その後しばらくフリーターをして、気ままに生きた。
そして、実家がごたついてしまったので実家に帰った。
そこで就職はするけど、なんの興味もない全く別業界に入った。
期待しても無駄、やりたいことをやらなくてもやれなくても人生は進むし、人は生きていける。
そんな悲しい考えだけ、残ってしまった。

仕事だけじゃなくて、誰に対しても何に対してもぶりっ子して「えへへ〜わ〜い」と笑う私を、常に冷静な私が監視している。
どうせそれしか出来ないもんね、と。

たまにお店とかで当時のその会社の商品を見かけることがある。
その度に、私の無能さや無力さを思い出す。
そうだよなぁ、私、何もできないもんなぁ。

私がよくて、私じゃなきゃダメで、私が1番で特別で、そうなれる何かがある人なんて滅多にいないとわかっていても、少しだけ羨んでしまった。


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