おむつにラクガキ
おむつにラクガキ
おむつにラクガキ。
記事のタイトルでもありますが、実はこれが私の日課でした。
我が家には柴犬がいました。名前はゴン。過去形なのは昨年(2020年)の10月末に亡くなったからです。亡くなるまでの最後の2年間は家族総出で介護をしていました。このゴンが履くおむつにラクガキをするのが私の日課だったのです。おそらくですが、250枚くらいはラクガキしたと思います。
ゴンは幾つか病気を患っていて、なかでも大きいのが膀胱にできてしまった移行上皮癌でした。この病気のためにおむつ生活になり、それを機に元々は外飼いだったゴンを家の中で生活させることにしました。
ちなみに我が家と書きましたが、正確にはゴンは実家で飼っていた犬です。私は実家の近所にある別の家で暮らしており、ゴンの病気が発覚してから亡くなるまでのおよそ2年の間は、ゴンのお世話のために自宅と実家を行き来しているような状態でした。
当の本人(本犬?)は最期まで割とお元気であそばれて、家族全員を小間使いのように従えて、毎日せっせとおむつを消費しておりました。
頼んでないのにやって来る
2018年11月中旬。
ゴンの様子がおかしくなりました。
この様子を見ていたのは母と継父です。別の家で暮らす私と姉は実際にゴンの異変を目の当たりにはしていません。
一晩中、鳴き叫んで暴れて、さらには血尿が止まらない。45リットルのゴミ箱が血尿を拭ったティッシュでいっぱいになるほどの量でした。
どこが痛いのか、何を苦しがっているのか。それが分からない。その頃、ゴンは腰にヘルニアを患っていたので、それが痛むのかとも思ったけれども何だか違うような気がする。一体、ゴンの体のなかで何が起きているのか。母も継父も原因が分からずに、その晩は永遠とも思えるとてつもなく長い夜に感じたそうです。
別宅で暮らしている私と姉は夜中にそんなことが起きていたとは知らず、早朝の母からの電話でそれを知りました。電話を受け、私達はすぐに実家へと向かいました。
実家の玄関を開けて聞こえたのは、ゴンの悲鳴のような鳴き声。一晩中鳴いて疲れ切っていたにもかかわらず、その鳴き声はとても大きなものでした。それだけの痛みがゴンを襲っていたのです。
荒い息に早鐘を打つ心臓。顔を引きつらせて、ゴンは痛みと必死に戦っていました。苦しんでいるゴンを目の前にしているのに何もしてやれないことが悔しくて、出来ることなら代わってあげたいとそればかりを思いました。
仕事に行く時間まで余裕があったので、母と姉と私の三人ですぐにゴンを病院に連れて行きましたが、病院に入った途端、獣医さんの顔色が変わりました。そして、他にも順番待ちをしていた子達もいたのに、ゴンを真っ先に見てくれたのです。それだけゴンの状態は緊急を要するものだったのでしょう。
何が原因でこんなにも鳴き叫んでいるのか。獣医さん達が二人がかりでゴンの体の異変を探してくれますが、結局はその時には判らずに一週間ほど預けることになりました。
入院中は毎日様子を見に行きましたが、それで心配する気持ちがなくなるわけでもなく、点滴を刺されてぐったりとしている姿を見て、どうかこの子の命の終わりが来ませんようにとそればかりを願っていました。とてもとても長い一週間でした。朝から晩までゴンのことを考えていた気がします。
その入院中に獣医さんから受けた診断は酷い膀胱炎とおそらくは結石でしょうというものでした。
容体が急変した時のためにはもう少し入院させたままの方がいいかとも考えたのですが、ゴンがあまりにも生気を失っているので、獣医さんとも相談した結果、やっぱり慣れている自分のテリトリーの方が落ち着けるだろうと結論付け、自宅に連れて帰ることにしました。
癌だと判明したのは退院後です。膀胱炎が治らず、もう一度さらに詳しい検査をしたところ、移行上皮癌だと診断されました。簡単に説明をすれば、膀胱のなかの癌です。進行すれば尿の通るところがなくなってしまい、それにより腎不全やの尿毒症などが起こり、命の危険が迫る。そういった病気でした。
ただ、この癌は患者がそう苦痛を感じるものでもなく、わりと穏やかに過ごさせることができるということで、ほんの少しだけほっとしたことを覚えています。但し、頭をよぎった二文字は「完治」ではなく「余命」でした。
病気は頼んでいなくてもやって来る。無慈悲で残酷な現実がそこにはありました。
おむつ会議
排尿ができなくなったら
24時間でアウト
だから、自宅ではつぶさに様子を観察して、少しでも異変があったらすぐに連絡をしてください。獣医さんからはそう言われていたので、家族みんな、手の空いている時はゴンの様子を見る生活に変わりました。
普段はちゃらんぽらんで各々勝手気ままに過ごしているうちの家族が一致団結するのですから、犬はかすがいです。余計な外出はせず、とにかく家にいる時間をなるべくふやしていたので、家族全員の生活が急激に変化した時期でした。
退院したばかりの頃のゴンは尿道確保のためにカテーテルを入れられ、後ろ足は両方とも麻痺してしまい、全く立てないような状態でした。排尿が上手くできない、動きたいのに動けない。そのことに苛立った様子のゴンには本当に胸が痛みました。
おむつをすることになったきっかけはこのカテーテルです。カテーテルの隙間から尿がぽたぽたと落ちてしまうことと、ゴンが舐めてしまうことを防止するためにおむつを履かせることにしたのです。
一番最初は犬用のおむつを履かせました。
しかし、これがなかなかサイズの合うものがなく、家族全員参加でおむつ会議となりました。みんなで様々なおむつやおむつパッドにペットシーツ、さらには人間の生理用ナプキンを持ってきて、どうすべきかを話し合います。
他のお宅ではどうしているのか。犬が快適に過ごせて、人間も世話がしやすい方法はないものか。毎日が試行錯誤の連続でした。
病院で会う余所のお宅のわんちゃんの介護事情を聞かせて頂いたり、わんちゃんを介護している方のブログや動画を見て、他の方々がどんな工夫をしているのか情報収集をし、家族みんなであーでもないこーでもないと話し合って、暇さえあればおむつのことを考える日々でした。
そんなおむつ会議を何度も経て、退院してから2ヶ月ほどの間は犬用おむつとペットシーツ、そしてナプキンを組み合わせたものをゴンの腰に巻いていました。
右手にペン、左手におむつ
そんな介護生活に慣れるのに要した時間はおよそふた月。ゴンの容体が安定してきてくれたこともあり、退院からおよそ2ヶ月で家族はみんな、ゴンのお世話ありきの生活に馴染みました。
一番、大変だったのは母でしょう。他の家族が仕事に行っている間、一人きりでゴンの世話をしつつ、家事もそれまで通りにこなしていたので、休む暇などなかったと思います。
ちなみに、この頃の主なお世話内容はこちらです。この他にも細かいことは沢山ありましたが、必ずやらないといけないことがこれらでした。
〇おむつを替える(日によって回数は色々)
〇ゴハンとお薬をあげる(日に2回)
〇ちょこっとのお散歩(後ろ足が悪いのでリハビリのためにしていました)
〇補液(点滴)
最後の点滴ですが、我が家には車がなく毎日病院まで連れて行くことが大変だったので、家でも行えるように獣医さんに教えて頂きました。初めはとても緊張して、自分の指に針を刺して痛い思いをしましたが徐々に扱いに慣れて、やがて怪我をすることもさせることもなく、ささっと出来るようになりました。母がゴンを抱いて支えて、安心して眠くなってきたところで私が点滴を刺すというのが大体の流れでした。
家族が介護生活に慣れてきたこの頃のことです。後ろ足が麻痺して立てなかったゴンが、どうしてだか驚異的な回復力を見せて、自力で立って歩行できるようになっていたのです。これには獣医さん達もとてもびっくりしていました。まだ後ろ足は少々引き摺ってはいましたが、再び自分で歩けるようになったゴンはとても楽しそうでした。
家族に抱っこされて運ばれたり、カートに乗せられたりすることがよほど嫌だったのか、立ち上がることを諦めずに何度も自力で立とうとした結果、少しずつ動けるようになり、とことこと部屋の中を歩き回れるほどの回復してくれたのです。何事も諦めないことが大事なのだとゴンに教わった気がします。
この時期におむつを人間用のものに変更しました。理由は人間用の方が安いからです。立てないうちは犬用おむつの方が着けやすかったので犬用を選んでいましたが、立てるようになったのなら人間用のものでも着脱がそこまで大変ではないので、人間用のおむつを使うことにしたのです。
さて、その人間用のおむつをずっと見ているうちに、絵を描きたい欲がむくむくと湧いてきました。なにせ白い色の面積が多い。ラクガキをしたくなるには充分な白さです。
ひとつぐらい、ラクガキしてもいいかな。元々、余白があればどこにでもラクガキをしたいラクガキ魔なので、犬が履いていないおむつを1つくすねて、ペンも持ってきます。
これが『右手にペン、左手におむつ』の始まりです。
嬉々として、おむつにラクガキしました。その時のおむつは残念なことに写真におさめてはいなかったのですが、こんな感じでした。
「まあ!なんて可愛いの!」
怒るかと思いきや、ラクガキを見た母は大喜びしてくれて、良い気になった私は他のおむつにも次々とラクガキをしました。
こんなのです↓
回復してくれたとはいえ、容体がいつ急変するかも分からないなか、この『おむつにラクガキ』は張りつめていた家族の気持ちをほぐしたようで、それからは毎日おむつにラクガキをしてと頼まれるようになりました。
どんどんやっていいよ
「はっはっは、後ろにもゴンがいるのか!」
ラクガキしたおむつを履かせて病院に行った日のこと。診察台の上にゴンを乗せた時、院長先生が笑いました。おむつのラクガキに気が付いて、大笑いをしてくれたのです。
「あの…、こういうことって、してもよかったですか…?」
恐る恐る訊いてみたら、院長先生は満面の笑みで仰ってくれました。
「どんどんやっていいよ」
何も問題はない。そう言われて胸を撫で下ろしていたら、他のスタッフさん達も見にいらして、口々に可愛いと言ってくれて、なかには写真まで撮ってくれるスタッフさんもいました。
待合室にいた余所のワンちゃん達の飼い主さん達も見てくれて、中には「これはどこで売ってるの? 欲しいわ」とまで言ってくれる方もいて、こんなラクガキに…なんか申し訳ない…となりました。でも、すごく嬉しかったことを覚えています。
大袈裟かもしれませんが、これは『介護をこういうふうに楽しんでもいいんだ』と思えた瞬間でした。犬を玩具にして、と眉をひそめられてしまうかもしれない。介護なのに楽しむなんてありえない、と叱られてしまうかもしれない。
私のそんな小さな不安を吹き飛ばしてくれたのは院長先生の大笑いでした。この時に初めて、私は遊び心の大切さに気が付きました。楽しむことをダメだと思い込んでいたのは私自身だった。つらさを余計につらくすることなんてないんです。つらい時こそ、楽しみを見つけることが重要なんです。心はどんな時だって逞しくなれる。
心から愛しているゴンの介護です。嫌だと思ったことは一度もありませんでしたが、それでも病気に対する不安は毎日あって、ゴンが少しでも痛がれば一晩中鳴き叫んでいた時のことを思い出し、入院中のぐったりとした様子を思い出し、心配で心配でたまらなくなりました。毎日、気持ちが落ち着きませんでした。
愛する者の介護は肉体的な疲労だけではなく、心も擦り減ってゆきます。だからこそ、時には遊び心も必要で、我が家ではそれは『おむつにラクガキ』でした。
クレッシェンドの愛おしさ
クレッシェンドという言葉をご存じですか。
音楽を勉強したことのある方なら分かると思いますが、これは「だんだん大きく」という意味の音楽用語です。
私達家族の心にはゴンを愛する想いが満タンにあります。ゴンが我が家に来てくれた時から、ずーっと満タンです。ゴンが亡くなった今でも、満タンです。ですが、その満タンの量は常に変わっている気がします。
毎日、毎日、大きくなるんです。まさにクレッシェンド。どんどん大きくなる。尽きることもとどまることもない愛情です。
愛するゴンを見ながら、おむつにラクガキをするひと時。その時間は私にはかけがえのない時間でした。
命ある者はいつか必ず死ぬ。終わりが来る。それは避けようのない事実です。そのことを嘆き、恐がり、目を背けるのではなくて、今ここにある『生きている』を愛していきたい。
一番最後の3ヶ月ほどは認知症も進み、要求吠えもふえ、家族の時間のほとんどはゴンに費やされました。亡くなる数日前からは水を飲むこともできなくなり、嘔吐や下痢もあり、命の入れ物である体が朽ちてゆく様をまざまざと見せつけられました。死の足音が刻々と迫ってきていることを感じる数日間で、正直、私はゴンが死んでしまうことが恐ろしくてたまらなかったです。
それでも、今この瞬間をゴンは生きている。ゴンは生きていたんです。だから、私達は目の前にいるゴンを愛する以外にやるべきことなんかなかった。
ゴンの最期は穏やかなものでした。私の腕の中で母を見ながら息を引き取りました。その時に感じたのは喪失感ではなくて「お疲れ様」というゴンを労わる思いでした。
あれほど恐かった数日間が嘘のように、変な言い回しですが「無事に終われたね」という感覚だったのです。もう動けない体はないよ。ほら、自由に好きなようにいっぱい走っておいで。そんな気分でした。
愛するって、そんなに仰々しいことじゃないと思うんです。日々の暮らしのなかに散りばめられている色とりどりのきらきらの光じゃないかなあって。
ゴンのことを大切だと感じるたびに、そのきらきらは満ちてゆく。それはとても温かくて、優しくて、穏やかな光です。
おむつにラクガキをし始めてから私の絵柄に変化があったようで、いただく感想が変わりました。「癒されました」「優しくなれました」「ありがとう」といった感想をいただくことがとてもふえたのです。ゴンのくれた光が他の誰かにも伝わっているのかもしれない。ゴンからもらった光を他の誰かにもあげることができているのかもしれない。そうだったら嬉しいなあと思っています。
私は随分と短気ですし、些細なことで苛々ばかりしていますし、口もなかなかに悪いし、決して穏やかで優しい気質の持ち主ではありません。でも、絵を描いている時はゴンに対して抱いていた愛情が心のなかにぽかぽかと灯っています。絵を見てくださる方の心にもそのぽかぽかを灯すことができていれば、本当に嬉しいです。
ゴンのことばかりを書いてきましたが、子どもの頃にはタロという柴犬を実家で飼っていました。この子はいつも私と一緒にいてくれました。私が赤ん坊の頃には私を守ってくれて、大きくなれば遊んでくれて、一緒におやつを食べたりしていました。ほぼ、私がお世話をしてもらっていたようなものです。タロが亡くなって、もう20年ほどが経ちましたが、このタロのことも忘れたことはありません。
タロとゴンは私に愛されることと愛することを教えてくれました。ふたりがくれたきらきらは私の心をやわらかく照らし続けてくれています。春の暖かな風みたいに優しくて、夏の木陰みたいに心地良くて、秋の晴れ空みたいにきれいで、冬の陽だまりみたいにあったかい。そんな光です。
愛犬達を想って描いたお話をInstagramの方に置きましたので、そちらも読んで頂ければ幸いです。
Instagramの記事はこちら↓
https://www.instagram.com/p/CGIFDCnjD_T/?utm_source=ig_web_button_share_sheet
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
こそっと宣伝も失礼します。おむつ(というか、もこもこのパンツ…)を履いてる柴犬のスタンプも作っちゃいました(LINEスタンププレミアム対象のスタンプです)ちらっとでも見ていただけたら、とっても嬉しいです。よろしくお願い致します。
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