仮面を棄てた囚人と、空に放った願いのこと。
最近、どうも書きづらいと感じていた。
書きたいことはあるはずなのに、うまく押し出せない。何か、衝動が喉に詰まっている。
自分の内面に向き合うことから逃げ、人様のマンガばかり読んでいるせいか。
確かにそれも一つの要因ではあったが、しばらく書かないでいる間に自分の精神の組成が変わり、身にあっていたはずの文体が合わなくなっていたようである。
文体というのは型枠である。もしくは鋳型であり、仮面でもある。
素の自分を他人に見せることに、私は臆病である。
非難されそうな気がする。嘲笑ったりからかわれたりするような気がする。
ために受け入れられそうな仮面を準備する。笑いをとる。受けを取る。
その場しのぎの笑いを取れば、場は和む。
不穏な空気も回避できた気がする。
危機を逃れたことに、私はほっとする。
しかし横たわる問題は依然としてなくなっていない。笑って誤魔化しただけである。
こういう自分の体質は、家庭環境で培われた。
親の顔色を読んで機嫌を取らないと、暴力沙汰になる。
精神的には、毎晩殴り殺されていた。
私は道化であり、サンドバッグであり、すべての諸問題の原因であった。
まあ、よい。
過去を振り返るのは、このぐらいにしよう。
どんな要因であろうと、人の顔色を伺いながら生きるのはイヤなものだ。
なで肩をさらに縮め、その場限りの許しを乞うことに近い。
生きていることが、そんなに悪いのか。
悪くないなら、胸を張ればいい。
許しを乞うことを、やめればよい。
自分は一体、誰の許しを乞うているのだろう?
近くにいる人々か? 焦点のボケた、「みんな」という全体主義か。
焦点のぼやけて霞んだ先に、とうに死んだ父親の、薄れかけたシルエットが見えた。
まだ、そこにいたのか。
出ていかないんだな、私の中から。
私があなたを必要としているから、出てゆかないのか。
そうなのか?
必要なのか?
私は彼に、まだそこにいて欲しいのか。
愛されなかったのに。
………。まったく、おかしなことだ。
文体の、問題である。
ある種の媚びや女性性を含み置くことは、SNSの炎上や攻撃から身を守るためにある程度有効である。
私はそれを意識し過ぎた。
誰も襲いかかってはこないのに、頭を抱えて転げ回り「もうしないから、許してください!」と叫んでいたようなものである。
暴力の幻が降ってくるのに、怯えていた。
長いことそうして生きてきたのに、不意に文体という殻を脱いだ。
仮面を棄てた。
そういえば格好良いのだが、仮面が外れていることに気づいたのは、久しぶりにものを書いた後であった。
化粧をしていない顔に、外の空気が直に当たった感じがした。
…自由だな。
牢獄から出た、囚人みたいな感じがした。
最初は親から、のちに親の仮面を付けた自分自身から、無期限の入牢を申し渡され、刑を執行され続けていた。
文体という鋳型を失った私がこの先何を書くのかわからないが、他人に受けようと受けまいと、より自分の本質に近づいたものになるだろう。
子孫を残さないかわりに、書いたものが後に残って欲しいと必死に願っていた。
しかし、どんなに強く願ったところでどうにもなりはしない。
それを決めるのは、書き手でなく読者なのだから。
掌にきつく握りしめた願いを、空に放してやろう。
空っぽの両手を大きく振って歩くほうが、きっと楽しいに違いない。
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