私の見ている空の色を、あなたに見せたい。
表題です。
二十代の頃、私は傲慢でした。
ついでにいえば、アホでした。
自分と同じ感覚を共有し、同じ尺度を語れる他人が存在すると、本気で信じていた。
世界中探し回れば、どこかにいるかもしれないじゃん!
とか思い、生まれた土地からなるべく離れたところへ進学しました。
その学校には離れた府県からの進学者も多くて、私の目論見はなかなか良かったのかもしれない。
小中高とほとんどいなかった友人もできて、有頂天だったかもしれません。
さて、設問です。
あなたが見ている空の色を、そのまま他人に伝えられますか。
海の色、湖でもかまいません、
陽射しが操る天然のグラデーションが移りゆく様子を、言葉にして伝えられますか。
…私は、伝えられるものだと思ってました。
それも、簡単な単語の連なりだけで。
仲が良いなら、話が合う間柄なら、伝わると思っていたのです。
「あのね。空が綺麗で」
「スミレ色かがってるところから藍色が滲んで」
「空に吸い込まれて、体が透き通っていくみたい」
アホな私が、その時どんな単語を発したのはわかりません。覚えてません。
友人は言いました。
「えー? そんなふうには感じないよお。ってか、あんたそんなことを考えてたの?」
はい、挫折。
二人の人間は、たまたまウマや都合が合うなどして隣に立っているだけであり、視覚や身体感覚などは共有し得ないのです。
バッカだなあ。
打ちのめされた私は、ただでさえ苦手な話し言葉を操ることを諦めました。
そして、奮起を誓いました。←若かったのね
自分の脳内にある、この空の色。
この素晴らしい色をそのまま、友人の視覚に送りつけてやろうと。←まあ、迷惑よw
言葉による共感覚を用いて、自分の中にある映像や感覚を他人に共振させること。
そのために必死になって技術を磨き、作品という笹舟を小さな水面に浮かべようとあがいてきました。
それが小説を本気で取り組み始めた、事始めだと思います。
話し言葉ではどうしても伝わらないことを、どうにか伝えようとあがく。
若い私は気の合う相手さえつかまえればワンダーランドが開けて、すべてが意のままに伝わると思っていたら、伝えるための工夫などしませんでした。
もう、アホなんだから。
伝わりませぬよ、ほとんどのことは。頑張って伝えようと工夫しても、二割伝われば良い方ではないか。
諦め切った今となっては、この世の果にもワンダーランドないのだと知っているので、無闇に旅に出ることもありません。若くもないしな。フ…。
インクを流したような、空の色。
闇がまた闇色に染められていない藍色で、輝きのかけらをまとっている。
透き通る空の向こうに光の気配が息づいていて、藍色の中に金粉を沈めたようになって沈みきらずに、粒子のように躍っている。
天然の螺鈿細工よの、キラきら綺羅。
柿色、茜色、桃色、青と反対色の光が滲みだして、消え残る。
ああ、空に消え残る月。そう描写してのけた宮沢賢治は天才すぎる。
あなたの瞳に映る空は今、何色ですか。
私の心に萌した曙は、何色ですか。
伝わりますか。
心の浮き橋架かるごと 満月のもとに 霞ゆくかな
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