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【小説】日本語と身を守る術

「ねぇ、これ、ヤバくない!?」
「マジで!?うっわ、マジでヤバい!」
「ね!チョーヤバいんよ!」

 教室の中央で、数人の女子グループが中身の何もない会話をしている。かくいう私は、隅の自席で静かに本を読んでいる。

 あんな、頭の悪い話方なんか、私はしない。日本語は、もっと多様性があり、細やかな心を伝えられるものであるはずなのに。何故彼らは、極限まで情報をそぎ落とした単語だけで会話をしているんだ。あぁ、日本語はこうやって廃れていくのか。

 少し前まで、そう考えていた。私は、絶対に間違っていないと思っていた。



「でもさぁ、それ、逆に他の人には情報が洩れないとか、スパイみたいじゃない?」

 私の友人で、私よりも読書家な彼女は、日本語の衰退だ、と怒っていた私に、微笑みを顔に浮かべた。見事な黄金比で構成された、美しい顔がさたに眩しいものになった。
 思考もばらけているため、彼女の言葉の意味を組みとれず、怪訝な顔をして首をかしげて見せれば、彼女は続けた。

「だって、スマホっていう情報共有媒体を覗かない限りは、『どんな話題について話しているのか』ってのは、他の人には伝わらないわけでしょ?でも、その情報の共有・共感、というおしゃべりの目的は完璧に遂行している。」

 ほら、なかなかに上手く機能しているでしょ?そう言って笑う彼女に、私は衝撃を覚えた。
 目から鱗が落ちた。という諺は、まさにこういうときのためにあるんだろう。確かに、自己の情報の保護にはうってつけだ。
 しかし、それでも、あの物言いを許容するには、私の器は小さかった。だから、少し抵抗をした。

「でも、そんなこと、おしゃべり程度では不必要じゃん。もっと、こう、思ったことを正しく伝える方が、日常生活には重要だよ。」

「たしかに、それも一理ある。でもさ、具体的な単語を使って、具体的に感情を吐露してたら、それは知らない人にも聞かれちゃうんだよ?」

「それが何?他人の趣味なんかに興味を持つほど、みんなも暇じゃないでしょ。」

 私の答えに、彼女は悲し気に首を横に振る。耳にかけていた黒髪が滑り落ち、首元に流れる。所作の一つ一つが、完成された彫刻のように、美しく、様になっている。

「それがねぇ。勘違いした奴から、『この前、好きって言ってたよね?』って、プレゼントをもらうこともあるのよ。こう、大変失礼だけどさ。その人がイケメンだったり、もともと好意を持ってたりしたら、嬉しいかもしれない。でも、そうじゃない、気にも留めてない人だったら……。」

「…恐怖および、嫌悪。」

「そう、女子って非情よね。あ、男子も同じように考えるのかしら?さすがに、わからないわ。」

 はかなげに笑う彼女は、そういう人に会ったことがあるんだろうか。教室で頭が悪いと私が断じていた彼女たちは、そんな経験をして身を守ろうとしているんだろうか……。

「ま、完全に詭弁を弄しただけですけどね。」

 あっけらかんと、ネタバレをする彼女に、必死に頭を働かせていた私は口をポカンと開けた。

「いやだって、本当に、疑わないと思わなかったんだもん!多分、純粋に面倒くさいとかだと思うよ。仮に、私の推測が正解だとしても、彼らが実行しているのは完全な無意識でしょ。」

「だ、だって!本当っぽかったもん!私そんなこと、受けなかったし!!わかんなかった!」

「多角的な視野を持つ必要がある。かといって、すべてを鵜呑みにするのも、危険なんだよ、ワトソンくん。ひとつ賢くなったね。」

「バカにしてるでしょう!」

 パイプを吹かすかのような手付きで、ケラケラ笑う彼女に、見事に騙された私は、くやしくて地団太を踏んでいた。



 それでも、彼女の話は、私に新しい視野を与えた。その後、教室で聞こえてくる話声に対して、少しだけ苛立ちが減った。
 そもそも、平安時代のころから、我らが日本語というものは、激しい変遷を経ている。昔聞いた話によれば、織田信長より前の時代の人とは、言葉が異なりすぎて通じないらしい。
 ならば、あの極端に情報がなくなった会話も、ある意味、進化の一つの形として受け止めるべきだろう。

 自分で使うかどうかは別として。

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